同窓会で初恋の人に会う

ってこういう気持ちなのだろうか。イケメンがちっともイケメンではなく、太った微妙にロン毛のお兄さんになっていた。もともとバンドマンだった彼は、社会に馴染むにつれ、どんどんかつてのオーラが消えてきているようだ。 ちょっと頼むよ。今日はイケメンに会えると思って楽しみにしてきたんだから、と言うと、素直に謝られた。

はっきり言いすぎやねん。今日も私の酒癖の悪さは健在だったが、全然かなわないすごい人もいたので、かわいいもんだと思った。

お互いの近況報告をし合って、IT企業なので、ネットワーク系に強い人が多く、引き抜きとか独立とか、景気のいい話がバンバン飛び出した。出向でライ○○アに行っていて秋には中国行きが決まっていたKくんは、まさにあの事件発覚の数週間前に辞めていてセーフ。中国行きも、条件が折り合わなくて見送っていたのだけど、蓋をあけるとかつての炭鉱労働者なみにひどいあつかいだったらしく、自分を安売りしなかった事が、結果的に自分の身を助けたんだね、ていう結論に。

バイト仲間のカメラマンのYさんは、クビになってしまったそうで(私は部署移動ですんだ)、これを機に本業の写真一本に絞る事にしたそうだ。みんなも頑張っているが、私も頑張っているので、今の自分の話をするのは楽しかった。

このところ、この日記にはとりとめのない感傷的な事ばかり書いているけれど、当たり前だけと、仕事や将来への展望についてもちゃんと大まじめに考えているのだ。 また結果を出せたら、仕事についてもどんどん書いて行きたいと思っている。とにかく今はひとつの正念場なのだな。頑張らねば。


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「そして私は一人になった」山本文緒

060215yakan.jpg最近知ったのだけど、私はどうやら、かなり見栄っぱりらしい。 山本文緒の「そして私は一人になった」という本を読んだ。これは著者が離婚して、一人で暮らし始めた時の一年間の日記なのだけど、一人暮らしで何が辛いかと言えば、病気の時だと誰もが思いそうだが、著者は病気の時ほど、一人になれてよかったと思うのだそうだ。見栄っぱりな自分は、たとえ死にそうにしんどくても、そばに人がいると、「大丈夫」と言ってしまう。だから、一人のほうが、心置きなく苦しむことができる、という。 私にもそういうところがあって、でもそれは、自分が忍耐強いせいなのだと思っていた。単に見栄だったのか。

初めての海外旅行でバリ島に行った帰り、ストでトランジットができず、6時間くらい空港で足止めをくらった挙げ句、経由地のグァムで一泊する事になったのだが、空港で足止めされている間、友人達はぐったりしていたのに、私一人、誰に頼まれたわけでもないのに、みんなを励ましつつ、元気にはしゃぎ回った結果、グァムで倒れて、寝込んでしまったのだ。友人達は、私を置いていくわけにもいかず、結局、私の枕元にずっといてくれたのだけど、これが本当に辛かった。みんなにとっても迷惑な話だったよな。

本当は大丈夫じゃないのに、大丈夫なフリをして、一人で勝手に疲れている、本当に困った、見栄っぱりな私である。だから、大丈夫だと言っても、本当は大丈夫じゃないことをわかってくれる人じゃないと、一緒にはいられないのだ。たまに本当に大丈夫で、放っておいて欲しいときもあるのもややこしい。

こんな見栄っぱりな私に、幸せは訪れるのだろうか?


※画像はニワトリケトル。こういうの以前は絶対買わなかったのに、最近は家中が妙にかわいいもので埋まってゆく〜


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新しい環境

060212dot.jpg新しい生活が始まって、ちょうど一週間。

新しい住処は、短気な人なら100回くらい切れるほど、ものすごく不都合だらけで、来る業者さんがみんな同情して、別のところを(ただで)直して行ってくれるほどなのですが (東京も結構捨てたもんじゃないじゃん)     
   
朝起きて、好きな音楽を聴きながら、コーヒーを飲みつつ、11階の窓から見える東京の景色を眺めていると、たとえエアコンが壊れてても、お湯が出なくても、ドアが三回くらい気合を入れないと閉まらなくても、サッシが急にあかなくなっても、物干しに物が干せなくても、(ってあらためて書くとすご過ぎ)全然平気さぁ、と思うほど、幸せを感じるのでした。


新しくなったのは住処だけでなく、仕事もなのだった。今までは何かとストレスの多い職場だったけど、新しい仕事は、今までよりも忙しいけれど、気分的に楽だし、人間関係も良好なので、すごくうれしい。

一年前に一緒に仕事をしていて、その後出向していた仲のいい同僚が帰ってきたので、久しぶりにいろいろ話す。私の境遇のあまりの変化に絶句する相手。そりゃ、そうだろうな。思えば彼女に最後に会ったコンサートの翌週から、私の運命の歯車は逆回転し始めたのだった。今までが正しくて、今は誤った方向へ行こうとしているのか、それとも今のほうが正しいのかはわからないけれど、最近の私は誰が見ても元気で明るいらしいので、きっと今が正しいのだろう。

今まで着ていた重い重い鎧を脱ぎ捨てる。見栄だとか体面だとか虚栄とか同情とか惰性とか打算とか。最後に残るのが何なのか、私にはわかっている。それさえあれば何もいらない、と言うもの。それがなくては生きていけない、と言うもの。


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