最近のお仕事。

150729yuyu_9332a.jpg今日も暑いですねぇ。久しぶりに外に出て、ビックリしました。

今年一番初めにしたお仕事は、雑誌ゆうゆう(主婦の友社)3月号に掲載のイラストカットでしたが、この度、一人暮らし特集として書籍化され、担当した特集ページが再掲載されました。
66ページからの「筋活!」特集で、モノクロの食べ物をちょこちょこ描かせていただいています。


              


さて、タイトルが「最近のお仕事」なので、最近のお仕事について。

ほとんどレギュラー仕事ばかりですが、NHKすイエんサーと、日本実業出版社の経営者向けの雑誌「企業実務」のカット、学研メディカル秀潤社の看護雑誌「ナーシングキャンバス」のエッセイのカットです。
レギュラー以外の仕事については、まだ公開・発売前のものが多く、もう少ししたら公表できると思います。

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左)すイエんサーの絵は、最初は本当に緊張したのですが、最近楽しんで描けるようになってきました。
中)「企業実務」は、レジリエンスと言って、精神的に強くあるための方法が色々と書かれていて、とても勉強になります。いろんなシチュエーションのイラストを考えるのも、アタマの体操になります。
右)「ナーシングキャンバス」は、看護学校に通う学生さん向けで、私の担当するエッセイは、患者さんの死との向き合い方など、重い内容が多く、イラストで明るい感じにできればと言う編集部の意向に沿って描くことが多いです。看護学生さんと言えば、まだ20歳そこそこの若い方ばかりだと思いますが、若い方々が、そう言った重い問題に向き合って、大変な仕事を全うされているのを思うと、頭が下がります。

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これが今取り組んでいる一番大きなお仕事。ホントちょっとだけ公開。(先日はシルエットだけでしたので、これでも大きな進歩?)今は原稿描きの佳境ですが、死なない程度に頑張ります!




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苦いけどフルーティな、自意識ってやつ。

IMG_9330.JPG150728banana_y1.jpg先日のSUNTORYメルツェンに続いて、同じく数量限定品(期間じゃなくて、数量なのね)のスペシャルビター。この名前からして苦いのね、あんまり好みじゃなさそう。と思いつつ飲みましたが、結構いける。ホント苦いけど。後味がハーブのようにさわやかなの。まぁ麦も植物ですからね。ハーブっちゃ、ハーブなのか。


         


2007年頃のブログを、読み返しながら、ブログの整理をしているんですが、それがすごく面白い。自分で書いたはずなのに、覚えてないことも多くて。そしてこの頃、迷える仔羊だった私は、ものすごく自意識過剰のイタイ女で、そりゃあもう、イタイことばっか書いてるんですが、人のイタイ日記って面白いのね。
(8年も経ってるとすでに他人事)

考えてみれば、作家って人たちは大体自意識過剰だし、自意識過剰な人が、普通の人にも起こりうることを、さも特別なように、自意識過剰に書き散らすからこそ、作家の書くものはおもしろい訳で。
だから酒井順子さんは作家業をしていられるわけで。自意識過剰ってのは、ネタが尽きないのかもしれません。そか、だったら私は自意識を大事にしよう。

さて、その2007年8月の日記の中の「8/11(土)禅問答」に出てくるN先生と言うのは、元「海燕」編集長の根本昌夫さんのことなんですが、中にも書いていますが、根本先生ってのは本当にすごい人で、ホント、先生にはスルッとマルッと全てお見通しだったな、と仲間由紀恵入りつつ思ってしまうのですが、私が生まれてはじめて出会った編集者が根本さんだったので、編集者ってのはすごいものなんだなぁと、思ったものでした。


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アワアワさせてしまったワタシ。

150724_IMG_9315.jpg150726_malpu_9324.jpg先日から、漫画原稿についてのやりとりを印刷所としていたのですが、すんごくめんどくさくて、むきーーーーってなっておりました。

普段のイラストのお仕事は、カラー原稿が多いのですが、カラーモードは大抵RGBでOKで、たまにCMYKにするのが、ややめんどくさい程度で、モノクロ原稿をRGBで送っても何も言われないんだけど、漫画はモノクロ2諧調かトーンとか、いろいろ大変!!イラストと漫画って全然勝手が違う!!のね。

解像度に端数が出るとまずいとか、初めて言われたよ!!的なことが多すぎて、そのやり取りで、肝心の原稿が進まないんですけど。むきーーー!!ってなってたら、編集さん曰く、こんなに著者から質問されたのは、印刷所の営業さんも初めてだそうで、アワアワされていたそうです。ごめんなさい。。。

でもねぇ、原稿160ページ書きあげて原稿作ってしまってから「全部やり直し!」とかなるくらいなら、最初にきちっと自分で理解してやりたいって思ってしまうのよね。私はどうやら、リアルで会うと、ものすごく機械オンチに見えるらしく、およそフォトショとか使いこなすように見えないらしいんだけど、こう見えて、大昔はプログラマやCADオペバリバリやっていたのだぞ。ほほほ。

あ、原稿(ネーム)自体はもう描きあがっておりまして、ここ1週間くらい頑張って下絵をほぼ書き上げたので、あとは下絵少々とペン入れして、完成させるだけ。でもそこのスケジュールがタイトすぎるのです。死にそうです。。。しかし峠は越えたかも。もう少し頑張る。んなわけで、地中奥深く潜っております。。。

ありがたいことに、いろんなイベントごとにお誘いいただいておりますが、まったく顔を出せそうにありません。東京はもちろん、名古屋でも。大変不義理をしておりますです。

土用の丑の日は、無事ウナギを食べました!大好きなプレモル(JR東海限定富士山バージョン)と期間限定のメルツェンってビールを飲んで、何とか乗り切ります。マルゼンかと思ったけど、これおいしい!中身撮り損ねたけど、色が濃くて香ばしい感じ。苦味は少なくて飲みやすい!→どうやらこれは私の美味しいと思うポイントらしい。

メルツェンってなんぞや?と調べたらコチラに。
Marzはドイツ語で3月を意味します。したがって3月に作るビールのことです。
3月に作るビールがなぜ特別なのかというと、まだ冷却技術のない中世の時代、夏の間(4月23日の聖ゲオルクの日から9月29日の聖ミヒャエルの日まで)は、衛生上の理由からビール醸造が禁じられていました。しかし夏にビールが飲めないと困るので、3月の間にできるだけ日持ちのする強いビールを作って夏の間に飲んでいたのがメルツェンビールというわけです。そして秋の収穫祭にはその年のメルツェンビールの残りを飲み干すという習慣もありました。もちろん今日では一年中飲むことができます。
メルツェンは下面発酵で麦汁濃度は13.0以上、アルコール度は6.0%。モルトの味わいが楽しめるビールです。
モルトの味わい!ですな。

またコチラによると
ドイツで10月に開かれるビール祭り。その祭りの際に振舞われるビールがこのスタイル。赤褐色。
かつて冷蔵機械のなかった時代、低温発酵のラガービールの仕込み時期は秋から早春までの低温期に限られていた。夏の間はラガーを醸造できないため、夏に飲むビールは作り置きされ洞に氷を詰め込んで保存された。仕込みの最終時期の3月に仕込むのでメルツェン(ドイツ語で3月)とも呼ばれている。3ヶ月以上の長期熟成により角が取れた円やかなビールになる(現代的ラガーの場合は数日から長くて数週間)。3月ビールとも呼ばれる。
現在のドイツでは「メルツェン」の名は単に高級ビールを示す言葉として使われているようだ。
日本の地ビールメーカーでもこのオクトーバーフェストスタイルのビールを期間限定で販売しているところがある。
高級ビール!なんですね。てなわけで、私もアワアワしておりました。(→意味違うし!)

3枚目の画像は、最近とある指令を受けて、着手していたもの。数年前からすると、もう本当にやることばかりで、大変な毎日ですが、それでも、一度やろうと決めたことはやり切る、という姿勢は大事にしたいし、やればできるんだな、と言うのを感じました。

先週は原稿に追われつつレギュラー仕事の受注ラッシュだったり、登録してるエージェントの冊子に載せるデータを制作しなくてはならなかったり。忙しい時って重なりますが、何とか乗り切れた模様。

とはいえ、今年はいろいろコンペなどにも出そうと思いつつ、なかなか出せずにいるなぁ。来年こそは頑張ろう。まぁ今までは、そう言うものに出そうとも思わなかったので、そう思うようになっただけでも、進歩だと思おう。


150724_50years_after1.jpgFBでのこういった遊び。データ抜き出しは拒否りつつ、ちょっと楽しみますが、FB自体には投稿しません。

それにしても、結構似てる。ホントこういうおばさんになりそう。ですが、これせいぜい20年後くらいだと思うわー。50年後って、100歳近くになっちゃうよーw

この年になっても、こんな風に元気に「ひよこ色」の浮き輪で泳ぎを楽しめるよう、元気でいないとね!!

最近、絶望的に運動不足で、足のむくみがひどいー。できるだけ出かけるようにしないとねぇ。ムリだけど!


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描き続けるということ。

150718_genkou9314web.jpg150721_4846_n.jpgもうおとといの話。
週末に送ったメールの返事が全然来ないなぁと思ったら、20日は祝日でしたねー。そんな世の中の3連休とは全く無縁でガリガリ描いていました。一日当たりに換算すると、とんでもない作業量で、本当に死ぬかもしれないと思ったりしますが(んなわけないですけどね)、とにかく描かないと終わらないので、ガリガリ描き続けます。


        


少し前に受けたワークショップで、私の絵が課題とあまりに合わなさ過ぎて、どうしたもんだか、悩んでいたのですが
「あなたに仕事の依頼が来たって言うことは(と言う仮定で)、あなたの絵でいいんだから、自信を持って描きなさい」
と言っていただいたことが、ものすごく背中を押してくれる言葉でした。

そか、私の絵でいいと言われてるんだから、勝手に自分の絵が合わないと思いこんで、勝手に自分の絵を無理くり捻じ曲げて描く必要なんて全然ないんだ、と素直に思えるようになりました。
当たり前と言えば当たり前の話なんですが、イラストレーターと言う仕事は、自分の絵を表現するとういうより、クライアントの想定通りの絵を描く仕事だと私は考えているので、どうしても過剰に期待に応えようとしてしまうんだなぁと思いました。それはいいことでもあるけれど、ほどほどにってことですね。

そんなときに、自分の過去の日記にさらに後押しされたり。
今書いてるこのブログは、実は今年の4月から描きはじめたんですが(これが最初の記事※)、今まであちこちに書き散らかしてきた記事を、集めてきて一つのブログにしてるんですね。んで、2007年10月の記事を拾って来たら、上の記事が見つかったんですが、8年近く前のことって忘れてるものなんですね。

先日のワークショップの件も書かないでおこうかと思ったんですが、多分それだと私は忘れてしまうかもしれないので、やっぱり書き残しておこうと思うのでした。2007年の編集長に言われたことも、覚えてることもあるんですが、大体「陽菜さんはもっと絵をたくさん描かなくちゃダメだ」というものでした。ダメ出しされたことしか覚えてないのですが、いいイラストだって言われていたとはびっくり。けっこう期待されていたのかなぁ、なんて、急に超ポジティブに捉えたりして。
そうそう、実はその後、別の編集さんからですが、その会社からはお仕事頂けたので「ウチでは使えない」と言われたことは払しょくできたなぁって思ってます。

※このブログシステムは記事URLが通番になってる。最初の記事はeid1.htmlになってるでしょ。
このブログ最初の記事  http://hiyoko.tv/journal/log/museum/eid1.html


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誰も携帯を持っていない光景。

1992年ってこんな感じだったんですね。
この時代に、最近少し思い入れが強くて、何だか、ジーンとしながら魅入ってしまいました。まだまだバブルの残り香がしていた頃。よい時代がいつまでも続かないってわかってたけど、まだみんな、本当のところではそんな実感なかった、そんな頃。

誰も携帯を持たず、まっすぐ前を見ていて、何かいいなぁ。
全てをシャットアウトして、本当にひとりきりになれた時代。寂しいこともあったけど、いつでも人と繋がれたって、寂しい時は寂しいよね。

http://a-mp.jp/article/6635

(HD)1992年の東京の日常風景 1/2


(HD)1992年の東京の日常風景 2/2



          


910923la_tour00.jpgこれより少し前だけれど、ほぼ同じ時代。二年前にのっけてたのね。

昔、江戸川区のジェイブ美術館で撮った奇跡の一枚。1991年9月23日なので24年前!今の半分の年齢。髪型もファッションもバブル臭いよねw 当時はこの絵のこと全然知らなかったのだけど、2005年にラ・トゥール展で本物を見たときの感動と言ったら、なかったよなぁ。

いかさま師 (ダイヤのAを持った) (Tricheur (à l'as de carreau))
1635-1638年頃 106×146cm | 油彩・画布 | ルーヴル美術館(パリ)


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モノづくりと受け身の姿勢。

150719_CC-Lemon-Hall-Shibuya-02.jpgいろいろ今浦島な私。

知人がFBに渋谷公会堂の記事を上げていて「あれ?CCレモンホールじゃないのか?」と思って調べたら、2011年9月末で契約が切れて、元に戻ってたんだそうですね。
契約期間の終了時、サントリーは「商品の認知度を高めるという当初の目的は達成した」として、契約の延長を行わなかった。この結果、2011年(平成23年)9月30日には「C.C.Lemonホール」の表示や看板も撤去され、翌10月1日には5年ぶりに「渋谷公会堂」の呼称が公式にも復活した。この命名権について渋谷区は、新たな契約者を募集している。
ってことですが、認知度で言えば、あのチータの歌声だけで十分だったんでは?と思ったりする。とはいっても、今の若者は知らないのかぁ。
しかしまだ、画像がCCレモンホールのままになってるWiki(笑)

渋公と言えば、新人が一流に昇り詰める登竜門的な場所でありながら、すでにビッグになってた「BOØWY」が解散宣言した場所として有名ですが、行ったことないんだよねぇ。

もう一ヶ所、行ったことないホールと言えば、舞浜のNKホール。先日、初めてNHKホールに行く時に「あれ?これって渋谷のNHKでいいんだよね?千葉じゃないよね?」と、一瞬疑問が頭をよぎったんですが、名前似すぎよね。

んで、舞浜のNKホール、吉井さんはセカンドのツアーで2005年7月2・3日にライブ行ってますが(私はこのときチケット取れなかったんですけど)、そしたら、NKホールはその一週間後の7/10で閉館しちゃってたんですね。今思うと残念。それにしても、2011年まで我々は東京に住んでいたんですが、住んでてもホントに知らないことって多いのね。。。

ストリートビューに、ちょうど解体するところが残ってました。
150718maihama_nk_hall1.jpg
実は舞浜にはいろんな想い出があります。
初めて行ったときに泊まったのが、今はオークラになってる当時の第一ホテル(NKホールのすぐ左隣)。次は右のヒルトン。シェラトンでは、磁器絵付けをしていた時に展覧会を行いました。今思うとゴージャス!あ、違った。上のは2004年の浦安ブライトンホテルで、2001年のシェラトンはコッチ(めっちゃヘタ)。
いつのまにか、ディズニーホテルも3つも出来てたんですねぇ。でも今だったら、私は東京ベイ舞浜ホテルに泊まってみたいかな。まぁ、たぶん行くことは無さそうですが。。。


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依存することとそこから抜け出す方法。

150712my365_n.JPG150712_MG_0361web.jpgIMG_9301.JPG今度、EPSONの布にも印刷できるプリンタで出力して、オリジナルの布で作品を作って展示する「紡ぐ展」に出展することになった。すごく楽しみなんである。

4年前までは帽子の学校に通っていた。最後の方は帽子作家なんて名乗ったりして、何だか赤面ものだけど、自分としては必死だったなぁ、と思う。ただ言えるのは、帽子の学校が本当に楽しかったのは、帽子を売ろうなんて考えてなかった、ウェデイングの帽子を作った頃までで、着物イベントで帽子を販売してから、急速に帽子作りは「義務」になって、苦しいだけの作業になって行った。

結局のところ「絵がダメだったから帽子で」なんてふざけた考えが通用するほど、甘い世界ではないことを思い知り、帽子の道はスパッと諦めて、今はイラスト一本でやっているわけである。けどね、逃げ場がないというのは、本当にしんどい。

精神的に依存しやすい人が、依存しない方法はただ一つ。依存しないようにする、のではなく、多くのものにちょっとずつ依存するのが正しい、という理屈に気づいたのは、割と最近だけれど、実は私は20歳くらいの頃から、このことを肌で感じて実践していた。常に二つの世界を持って、そこを行き来しつつ生活しないと、自分の精神が安定しないことに気づいていたのだ。

先日、Rossoのイベントで知り合った人たちの写真展を見に行った。Zip-FMの主催するモーチャ写真部のイベント。行ってみて思ったのは、とにかく楽しそうだってこと。私が普段出す展示は、どうしても仕事と直結してしまうので、ただ純粋に楽しむという感じではなくて。
ああ、いいなー、こんな風に、ただイベントを楽しむような時間が欲しいなぁ、と思った。思わず、入っちゃおうかと思った、モーチャ写真部(部員募集中だそうです)。

仕事って言うのはこの世で一番エキサイティングで楽しいものだと思う。仕事が趣味みたいなもので、一番楽しいからいいんだ、と思っているけれど、ただでさえ、厳しい世界に身を置いているので、どうしても、交感神経バクバクで、リラックスとは程遠い状況になってしまう。次から次へとあれこれ考えないと、置いていかれそうで。心休まる暇がない。

そんなわけで、先日「ブログを趣味にします」宣言をして、結構楽しく書いているんだけど、すごく閉じた趣味なんだよね。このブログもリンクしてるアメブロもコメント欄は閉じてしまっていて、交流がない。実はコメントに返事するのも、相手のブログにコメントするのも苦手で、こう言う形にしているのだ。
(できれば、FBもコメントできなくしたいくらい。SNSでそれって、意味ないじゃんって話だけど(笑))

やっぱり仲間とリアルに交流しながら、仕事みたいな完成度を求められずに創作できるのものがいいなって思う。って考えると、帽子に復帰できるのが一番いいんだよねぇ。次に復帰しても、もう売ろうなんて考えないでさ、楽しくやりたいの。死ぬほど努力するのはイラストだけでいい。すごく親しい人だけにお譲りすることはあるかもだけど、基本は私とオットのだけ。

そうそう、最近帽子の学校のお便りで読んだんだけど、この方、私が帽子の学校を休学してから入学して、たった3〜4年でお店開いちゃったんだって!!すんばらしい!やるならこれくらいやらねばね!お会いしたことないけど、応援したいわって思うー。
LeonCecilia http://leoncecilia.jugem.jp/

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おまけ
帽子イベントの懐かしい写真をおどろな感じに加工してみた。それから、趣味で絵付けやってた頃の写真。コレも楽しかったなー。そうそう、途中のサンマルクカフェの写真は、久々入ったら、ベトナムコーヒーがあって、美味しかった♡という話。え?今更でゴメンナサイ〜。


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「第十回<郷学>名古屋城の魅力を発見!「天守閣」」

150613IMG_8942.jpg6/14(日)は、午後から「第十回<郷学>名古屋城の魅力を発見!「天守閣」」に行ってきた。すんごく面白かった!
こんなに面白いものが、今までごくごく近所で9回も開催されていたのに、まったく知らなかったのが悔しいくらい。

名古屋城って、姫路城や大阪城はもちろん、江戸城より大きなお城なんですよ。まさに日本一!ってことすら知らなかったんですが、皆様ご存じでしたか?ちなみに、20階建てのマンションより大きいそうで。。。これってわかりやすいたとえなのか?

なぜなら、名古屋城は徳川家康が、西国の諸外様大名(豊臣方)に、大阪城より立派な城を見せて、幕府には向かうことの抑止力として築いた城だったからなんだそうです。その効果は絶大だったそう。

名古屋城は藤堂高虎の築いた城で、先生曰く「名古屋城で一番強い所は城門で、高虎の築いた城門は絶対破られない」とのこと。高虎の考え方はシンプルで、城門を何重にも作るより、絶対突破できない一つを作ればいい」とのこと。確かにその通り!
先生は完全に「高虎派」で、ライバルの加藤清正についてはけちょんけちょんな言いようも面白かったです。加藤清正の城は「しつこく」、代表的なのは熊本城と姫路城。名古屋城は姫路城の1/3で中までたどり着けるんだそうです。
(あくまでも先生が、と言うことで、私の意見ではございません)

あと、石垣作りがどんどんヘタになって行ってる、というのも興味深く、面白かったです。江戸時代の職人さんスゴイ!

悔やまれるは、戦災で燃えてしまわなければ、絶対世界遺産だったのに!ってこと!!!次回がすごく楽しみになってきた!行って良かったです!フガフガ。


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何だかいい日♪〜美濃忠のごっさま〜

150714_MG_0514web2.jpgこの日の日記にも書きましたが、私、美濃忠のお菓子が大好きなんです。先日展示が終わった新美南吉記念館さまに、とってもお世話になったので、お礼のお菓子を送ることにしたのですが、お礼状などほかに入れたいものもあったので、先日栄三越まで、美濃忠のお菓子を買いに行って、持ち帰ったんです。
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で、こうしてお便りを書き、下手くそながら、自分で美濃忠の紙袋を加工して梱包して、コンビニに出しに行ったら「お菓子でしたら、クールか冷蔵の方がいいのでは?」と言われました。
確かに、その日はとんでもなく暑い日でしたが、いい和菓子って、冷蔵庫に入れちゃいけないんじゃなかったっけ?んでも確かに暑い車内に置かれるのは心配です。。。

どちらにしろ、そのコンビニでは冷蔵は扱ってないとのことなので、ヤマトに直接持ち込むことにしました。ちょうど出かけるところだったので、伏見から丸の内あたりのヤマトに行くことにしたんですが、道に迷ってしまい、ウロウロするうちに、美濃忠の本店の近くまで来ていました。

「せっかくだから、冷蔵か常温か聞いてくるー」と言って、美濃忠の格式あるお店に入って行きました。そしたら、お店の方によると「常温で大丈夫です」とのこと。私の梱包を見て「まぁ、どうやって包んだんですか?キレイに出来てるー」と褒めて下さった上で、もう一重包んだ方がいいですね、と言って、こんな風にキレイに包んで、いろんなシールも貼って下さり。。。なんて親切!

その足ですぐ近くにあったヤマト(んでもすごくわかりづらい。。。)に行くと、美濃忠御用達の店舗だったらしく、持ち込んだのを不思議がられましたが、事情を話して、みんなでほっこり。

これ、名古屋のかなり都心での話なんですけどね、何か田舎の人たちみたいな温かさがあるでしょ。うちの近所も割と都会なんですが、郵便局の人とかすっごく親切で、そういうところはいいよね、とよく話すのです。


              


さて、美濃忠と言えば「ごっさま」というお饅頭が有名ですが、何とエグザイルのメンバーの誰か(ごめんなさい、失念)の大好物で、名古屋に来ると数百個単位で買って行くんだそう!すごいねぇ。

餡子から作ってるのはうちだけなんですよ、と誇らしげなお店の方の言葉を聴くと、何だか私まで誇らしい気もちになるのでした。


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「ユネスコ無形文化遺産登録記念  北大路魯山人の美 和食の天才」(京都国立近代美術館)

150704rosanjin_flyer408-1.jpgIMG_9193.JPG7/4(土)、大阪から一路京都に向かい、京都国立近代美術館で「北大路魯山人の美 和食の天才」を見てきました。京都の近美って平安神宮の大鳥居の横にあるんですね。久しぶりに京都でバスに乗って、遠足気分。

正直、想像していたよりずっと楽しい展示でした。実は魯山人について、全然予備知識なしで行ったんですよ。あ、料理人だったの?くらいのひどい初心者。それでもすごく楽しかったです。土曜日なのにあまり混んでなくて見やすかったし。京都の近美、いいかも。東京の近美はなぜか、イマイチ見づらい感じがするんですけどねぇ。
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私の住む愛知県は元々陶芸の盛んな土地柄。磁器を「せともの」と呼ぶようになった元は、県内随一の焼き物どころの愛知県瀬戸市ですし、世界的に有名な陶磁器メーカー・ノリタケや鳴海、Sangoなどはみな愛知県が発祥ですし。

お隣岐阜県は織部焼などで有名です。そんなわけで、私も見ただけで、ある程度の焼き物の区別はつきます。前出の「織部」と「志野」「備前」「九谷」「萩」くらいは大体わかるかな。と言ってもオーソドックスなものだけで、織部なら、あの定番の緑と黄色っぽいツートンのものとか、志野なら、白っぽいグレーで、ポコポコ穴が開いてるような感じのとか、備前なら、墨色の瓦のような素焼きっぽい感じのとかね。

なので、ほとんど産地当てクイズみたいになって、楽しく観ていました。もちろん、それなりに陶磁器の良さも味わいましたけどね。でも良いか悪いかなんてやっぱりわかんないです。好きか嫌いかだけでいいですしね。

それにしても、この展示で一番大白かったのは、最後に展示されていた織部を使って、実際にそれが使われているお寿司屋さんでのバーチャル体験が出来ると言うもの。

席は3席で、左からやや年配の男性、女性、若い男性の順に座っているというシチュエーション。お寿司屋さんは、女性→年配男性→若い男性の順にお寿司を置くのですが、食べるのは決まって、年配→若い→女性の順なのでした。そして、若い男性の席からカウンターの皿がやや遠く、彼がニューーっと手を伸ばすのが面白くて。女性の席に私、若い男性の席にはオット、年配男性の席には知らない女性が座って、周りも巻き込んで盛り上がりました。さすが関西人はノリがイイね。

ちなみに、お寿司の出てくる順番は、中トロ→タイ→ウニ→コハダ→アナゴ、でした。こう言うのは忘れないね(笑)


              


IMG_9189.JPG京都にて。イノダは何度か入ってるので、今回は小川珈琲。運よく本日のコーヒーはコスタリカ!新婚旅行の思い出の地なので、あると必ず頼んでしまう。このところ体調が悪く、昨日は死にそうになってましたが、それなのに、朝食バイキング食べ過ぎて、苦しかった。。。→ただのバカ。
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京都駅で一つずつお土産が買える店で買ってきた。いいねこういうの。売上1位〜5位までのを買ってみたら、どれも美味しい♡1位の粟田餅は、しょうゆ味のお餅の中にアンコが入っていて、初めての味わいで、ちょっと感激してしまいました。んでも2位のそすいもちも美味でございました♡4位の双縁餅も美味しかった。どうやら、羽二重餅が好きな様です。

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