ジョージ・クルックシャンク

2007.10.07 Sunday 00:06
陽菜ひよ子の名刺や販促グッズ


・間もなくイングランド銀行は取締役会を開き、1ポンド銀行券の発行を中止することを決定。内務大臣ロバート・ピールによって刑法が改正され、軽罪に対する死刑条項が大幅に削減。1832年、通貨偽造は、死刑が適用される罪ではなくなった。

・クルックシャンクは、大勢の命を絞首台から救うことになったこの一枚の「銀行券」を、自分の生涯で最も重要な作品だったと語っている。



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2003年に行われた伊丹美術館での日本での最初の展覧会の解説より
http://www.museum-cafe.com/exhibition/exhibit_dtl.asp?eid=5411
チャールズ・ディケンズの小説『オリヴァー・トゥイスト』の挿絵画家として有名なジョージ・クルックシャンクの国内最初の展覧会を開催します。

G・クルックシャンクは、1792年スコットランド出身の諷刺画家、アイザック・クルックシャンクを父としてロンドンに生まれました。かれは正式の美術教育を受けませんでしたが、父のもとで三つ違いの兄ロバートと一緒に絵とエッチングの技法を学びました。幼少の頃から富くじのデザイン、お伽話の口絵、歌謡の飾り絵などを制作し、19歳の頃にはすでに一人立ちするほどの早熟ぶりでした。1811年の父の死後、「諷刺画というゆりかごの中で育った」彼はいち早く政治諷刺画の世界で活躍をはじめます。

1810年代、イギリス最大の諷刺画家ジェイムズ・ギルレイが精神に異常を来たして第一線を退き、ギルレイと双璧をなすトマス・ローランドソンも版画制作に衰えを見せはじめていたとき、彼はギルレイの後継者として一躍イギリスを代表する諷刺画家として注目されるようになります。

「現代のホガース」とまでいわれたかれの諷刺画の数は2000枚ともそれ以上ともいわれますが、1820年代、諷刺画がひとつの時代を終えるとともに、クルックシャンクも諷刺画の世界から挿絵の世界への転身をはかります。

小説の挿絵としてまず手がけたのは、スコットや18世紀の大作家スモレット、フィールティング、ゴールドスミス、スターンなどの作品でした。
そこで小説の挿絵の技法を学び身につけたクルックシャンクは1830年代の後半になるとディケンズをはじめ、同時代作家の挿絵をつぎつぎと制作するようになります。

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