ベン・シャーン展

2012.03.09 Friday 23:16
陽菜ひよ子の名刺や販促グッズ


image[120309ben1_n.jpg]image[120309ben2_n.jpg]ベン・シャーン展。
名古屋市美術館にて。

ベン・シャーン、すごくよかった。
徹底的に社会的弱者の視点に立った作品たちに対峙して
今のこの時代に、アートの持つ意味を、考えてしまった・・・

この展示を見るまで、日本人でありながら
第五福竜丸のことなど全く知らなかった自分を恥じ入る。
第五福竜丸(第五福龍丸、だいごふくりゅうまる)は、1954年3月1日に、ビキニ環礁でアメリカ軍の水素爆弾実験によって発生した多量の放射性降下物(いわゆる死の灰)を浴びた、遠洋マグロ漁船の船名である。無線長だった久保山愛吉(くぼやま あいきち、1914年6月21日生まれ)がこの半年後の9月23日に死亡した。
image[120309_ben_shahn01.jpg]image[120309_ben_shahn02.jpg]
1954年3月1日、第五福竜丸はマーシャル諸島近海において操業中にビキニ環礁でアメリカ軍により行われた水爆実験(キャッスル作戦・ブラボー (BRAVO)、1954年3月1日3時42分実施)に遭遇し、船体・船員・捕獲した魚類が放射性降下物に被曝[3]した。実験当時、第五福竜丸はアメリカ合衆国が設定した危険水域の外で操業していた。危険を察知して海域からの脱出を図ったが、延縄の収容に時間がかかり、数時間に渡って放射性降下物の降灰を受け続けることとなり、第五福竜丸の船員23名は全員被爆した。後にアメリカは危険水域を拡大、第五福竜丸以外にも危険区域内で多くの漁船が操業していたことが明らかとなった。この水爆実験で放射性降下物を浴びた漁船は数百隻に上るとみられ、被爆者は2万人を越えるとみられている。

予想以上に深刻な被害が発生した原因は、当初アメリカ軍がこの爆弾の威力を4 - 8Mtと見積もり、危険区域を狭く設定したことにある。爆弾の実際の威力はその予想を遥かに超える15Mtであったため、安全区域にいたはずの多くの人々が被爆することとなった。

[9] >>
-
-


<< 3/3〜3/8 確定申告、終了!
あれから一年。 >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.24R]