震災から3年。
2014.03.11 Tuesday 14:45
陽菜ひよ子
震災から3年。
私は名古屋の人、というイメージが強い方も多いかもしれないけれど
震災のあったあの日、私は都内に住んでいたのでした。江戸川区は震度5強。
先日、新しくお仕事をいただいた東京の編集さんと電話で話してて
名古屋に引っ越したのが2011年だと答えたら、一瞬、ちょっとした間があったような気がしました。
名古屋に引っ越すことを決めたのは、いろんな要素が絡み合ってのことで、一言では言い表せません。
彼の当時の仕事や会社の将来性に疑問や限界を感じたこと
彼自身が激務から、体調を崩しがちになっていたこと
彼の33歳という年齢
そんな中、引っ越しと言う背中を押したのは震災だったかもしれません。
震災のあった日も、彼はたまたま体調を崩し、会社を休んで家にいました。
当時は江戸川区から川崎まで1時間半くらいかけて通っていましたので
もしも無理をして出社していたら、どうなっていただろうと思うとゾッとしました。
このままこの東京にいて、この仕事を続けさせてよいのか。
東京での3年間、私は絵本の勉強や帽子や、好きなことばかりしていて、彼だけが激務に追われて働いてくれました。
その傍ら、彼が好きな写真の上達のために陰でずっと努力し続けていたのも知っていました。
彼は、決して自分から会社を辞めたいとは言いませんでしたが、私は楽になってほしいと思いました。
それで、会社を辞めて、名古屋で、写真の学校に通うことを決めたのです。
あれから3年。
彼が学校に通って、2年が経ち、晴れて卒業の日を迎えました。
私は、どんなに嫁バカと言われても、私だけは彼の才能を信じていこうと決めています。
けれど、学校からも、ありがたいことに評価をいただき、在学中からお仕事させていただいてましたが
卒業後もフリーランスとして、引き続き仕事をしていくことが決まりました。
二人でフリーと言う不安定さに耐えかねて、私が昼間の仕事を始め、今は私の方が激務に追われております。
そんな私に申し訳ない、と彼は言うのですが、けれど、負け惜しみでなく
自分ばかり好きなことをしていた東京時代より、今のほうが幸せに感じます。
二人で助け合って生きてる、と今は言えるからだと思います。
長くなりましたが、今後とも、宮田雄平と陽菜ひよ子を、どうぞよろしくお願いいたします。。
[9] >>
-
-
<< 一勝一敗。
まあるい世界。 >>
[0] [top]