Maija Isola(マイヤ・イソラ) art,fabric,marimekko マリメッコを輝かせた、伝説のデザイナー

2013.04.05 Friday 16:15
陽菜ひよ子



1959年(32歳)絵画を高く評価する裁判官ヨルマ・ティッサリと結婚。
この頃、マイヤはマリメッコとの契約関係に不満を持ち辞めてしまう。
ヨルマは、マイヤとマリメッコ社との調停役になり、新しい自由な形での契約を結ぶ。 

1964年1月(36歳)クリスティーナに子供誕生。マイヤおばあちゃんになる。

この頃、マリメッコ社のトレードマークになる「Unikko」誕生。
ファブリックに花を使うことを長年禁じていたアルミ・ラティアも
マイヤの作品を見て考えを変えた。

1965〜1968年(37〜41歳)パリに滞在。

1969年(42歳)フィンランドに滞在し、クリスティーナと共同で仕事をする。
       夏に母・トイニ逝去。

1970年(43歳)パリ滞在。エジプト人のアハメド・アル・ハガギ博士と出会う。

1971年9月(44歳)ヨルマと離婚。

1971〜1974年(44〜47歳)アルジェリア滞在。

マイヤの人生で、もっともドラマティックでかけがえのない日々。
婚約者のいるモハメドに激しい恋をして敗れ、アルジェリアを去る。

1976年春(49歳)パリ滞在。アハメドとの至福の時間。

1977〜1979年春(50〜52歳)アハメドとアメリカ滞在。米国でのビジネス模索。

1980〜1987年(53〜60歳)フィンランドでクリスティーナと共同制作。

1987年(60歳)マイヤ引退。

1991年(64歳)新しくマリメッコ社の代表取締役となったパーッカネン氏は
マイヤのデザインにほれ込んで、Fandangoの復刻版を制作、大成功を収める。

1990年代後半(70歳前後)マリメッコ社の伝統的なデザインに注目が集まる。
アートディレクター、ヒルッカ・ラヒカイネンが「マイヤ・イソラ〜クラシック
コレクション」発表。

2000年9月(73歳)末期的な病にかかる。

2001年3月3日(73歳)逝去。

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