ピカソ展 幻のジャクリーヌ・コレクション
2004.10.31 Sunday 17:34
陽菜ひよ子の名刺や販促グッズ
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1900年(19歳)親友の自殺 →青の時代
1904年(23歳)フェルナンドと一緒に住む →バラ色の時代
1911年(30歳)エヴァとの出会い →キュビズム
1915年(34歳)エヴァの病死
1918年(37歳)オルガと結婚 →新古典主義
1927年(46歳)マリー=テレーズとの出会い →シュルレアリズム
1936年(55歳)ドラ・マールと交際始める
1943年(62歳)フランソワーズ・ジローと交際始める
1952年(71歳)ジャクリーヌとの出会い
1955年(74歳)オルガ病死
1961年(80歳)ジャクリーヌと結婚
1973年(91歳)ピカソ死去
ピカソは、20代〜30代にかけて、いくつかの恋をしました。恋するピカソの気持ちを表すかのような「バラ色の時代」「キュビズムの時代」を経て、37歳のときに、10歳年下のオルガと結婚します。オルガが「わたしの顔を、はっきりとわかるように描いて」と言ったことから、ピカソの新古典主義時代が始まります。しかし、もともとボヘミアンなピカソと、上流階級出身のオルガとはうまくいかず、結婚して7年ほど経った頃には、二人の関係は悪化し、絵画の上のオルガも、次第にグロテスクなものになっていきます。ここから、ピカソのシュルレアリズムが始まります。
この頃、45歳のピカソは、17歳のマリー=テレーズと出会い、彼女の肉感的な体つきから、多くのインスピレーションを得て、多くの美しい作品を残しますが、(ピカソ展 躰[からだ]とエロスは、この頃の作品が中心となっている)やがて子供を産んで、母親になってしまったマリー=テレーズへの興味を失い、シュルレアリズムの写真家、ドラ・マールとの恋愛が始まります。
ドラ・マールは『泣く女』の一連の作品のモデルになったことでもわかるように、神経質で、激しい気性の持ち主でした。オルガが離婚に応じなかった上、二人の愛人の間に立たされ、さらに世間は戦争へと突入していきます。この頃のピカソは、自分自身の苦悩を絵画にぶつけていきました。
そして、さらに61歳のときに、21歳のフランソワーズ・ジローとの恋愛が始まります。自身も画学生のフランソワーズは、ピカソに多くの刺激を与え、彼の子を二人生みますが、やがてみずから、彼の元を去っていきます。ピカソに関わった女性の中で、優しいが受身のマリー=テレーズ、神経質なドラ・マールと違い、彼女は唯一、独立心を持った女性でした。しかし、彼と別れたあとに、いわゆる暴露本を出したのは、いただけません。その暴露本のお陰で、それまで秘密にされていたマリー=テレーズとの恋愛も表沙汰となり、ピカソの神話はもろくも崩れ去ることとなります。彼の芸術家としての地位は、すでに確固たるモノで、それくらいで崩れはしませんでしたが。
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