古九谷 -その謎にせまる-

2004.11.01 Monday 17:48
陽菜ひよ子の名刺や販促グッズ


image[041028kokutani.jpg]チャイナペイントと呼ばれる、磁器絵付けをしているわたしですが、主に描いているのは、ヨーロピアンと言って、スイスのニヨンと言う土地を発祥とする、ドイツのマイセンや、フランスのセーブルのようなスタイルのもので、そういった西洋磁器の歴史には、多少の知識はあるのですが、お膝元の日本の焼き物には、まるで疎かったのです。

しかし、この春に有田を旅してから、俄然日本の焼き物に興味がわき、今回の出光美術館の古九谷の展覧会も、とても楽しみにしていました。でも、「その謎」と言われても、何のことやら、さっぱりだったのです。

古九谷は、都内でも30年以上開かれていないという待望の展覧会なのだそうです。今回の展覧会では、日によって学芸員さんの解説も聞けると言うので、せっかくなので、その時間に合わせて行ってきました。10/28(木)10:30からの回です。思ったよりすごい人で、頑張って近くを陣取らないと、学芸員さんの声も聞き取れないほどです・・・でもすごくおもしろかったです。


その様子はこちらで見られます。まさに、担当はこの写真の荒川正明さんでありました。
『やきものネット・展覧会見て歩き』


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ここでいう「古九谷の謎」とは何か。それは、いまだ誰がどこで、最初にこの焼き物を作ったのか、はっきりとわかっていないということです。そもそも、九谷焼と言うのは、加賀で1650年代に生まれたものされていたので、その古いものを『古九谷』と呼ぶわけですが、その後の研究で、生産地については諸説あり、肥前有田とする説と、加賀(石川)とする説とが有力で、焼き物と考古学は、切っても切れない関係にあると言えるのだそうです。

九谷には、古九谷の代表的な作風である青手などの絵付けを施された磁器のかけらなどが見つかっていますが、完成品とは、底の型が違っているなどの疑問点があり、有田のほうがやや有力視されているようです。この展覧会での『古九谷』とは、産地ではなく、あくまでも焼き物の一様式としての呼称として認識しつつご覧くださいとのことでした。

1650年代当時、戦国の乱世が終り、江戸の華やかな文化が花開きます。当時の屏風絵には、中世の暗い世相を反映した仏教画とは違い、「ハレ」の盛大な祝宴の様子を描いたものが多く見られるようになります。江戸時代には日常生活の「ケ」と晴れの日の「ハレ」を明確に区別していました。そうした日常とは違うお祝いの席にふさわしい華やかな焼き物として、古九谷は非常に大名たちに珍重されました。

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