「第十回<郷学>名古屋城の魅力を発見!「天守閣」」

2015.07.17 Friday 15:57
陽菜ひよ子


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■名古屋城の日本一
・破風・・・22(世界一)。ちなみに姫路は12。
・窓の数・・・214(北52・南47・東56・西59)。木造で世界最多。江戸の中期以降開けっ放し(木造の窓は開け閉めで傷むため)
・天守面積(江戸城より大きい。姫路城の2倍)
・天守の柱の数・・・名古屋792、江戸770
・小天守の大きさ・・・他の城の大天守級に大きい
・天守の階段の角度は45度で、最も上りやすい階段。他は大体60度くらい。ちなみに上りにくいのは、彦根城(1〜2階が一番急)、丸岡城(角度は二番目だが高さがあるので上りにくい)、犬山城(2〜3階が長い)

■金シャチについて
・織田信長が岐阜城築城で、初めて天守を作った際にインチキ金シャチも作った
・大阪城、岡山城にも金シャチはあるが、名古屋城以外はインチキ金シャチ
・江戸城の金シャチ再建には20億円かかる

■天守について
・織田信長が岐阜城で初めて天守を作った
・天守での仕事・・・毎日巡回(鍵が封印されているかチェック)、一か月に一回掃除
・殿様は入らない。全ての殿様(大名)は江戸で生まれ、初お国入りの際に天守に入ることが許された。太平の世であれば、その後一生入ることはない。
・有事の際に籠城するための場所。普段は空き家で財産目録が置いてあっただけ。
・籠城の際に畳の上で寝られるように、2000畳の畳が敷いてあった。
(加藤清正の築いた城では、この畳を食べられるように、サトイモの茎の中のスポンジ部分を入れていたが、食べてしまうと畳の上で寝られず、疲労がたまった)
・天守の柱の太さ・・・1尺4寸2分(45cm)、1尺2寸2分(36cm)。家庭用の柱は10cm。

■小天守について
・史上最強の小天守。小天守に入るまでに、階段の上で撃たれ、中に入れても、暗闇の中2回曲がらないと出られず、出られても、正面から撃たれる。
・弱い所は、後ろ部分が未完成で大坂夏の陣が始まってしまい、お堀を泳いで侵入した農民によって落城してしまった。


■石垣について
・江戸時代の石垣は石も大きく美しいが、築くのに半年かかってない(当時はヘタするとすぐに家が取り潰しになるので、大名は必死。20の大名が担当)当時の技術がいかにすごいかと言うと、現在、ほんの少し積み直すだけでも、10年か勝ても出来ていないことからも分かる。どんどん石垣を積むのがヘタになってきている

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