hideさんがもし生きていたら。。。
2015.06.27 Saturday 15:40
陽菜ひよ子
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長いことブログを書いてきているけど、hideさんのことを描くのは初めて。ファンの方々からすれば、何を今更って感じですが、2015年今現在も、彼の音楽が新たなファンを獲得しているという事実に敬意を払いつつ書きます。
1998年に33歳でhideさんが亡くなって17年になる。バンドブームの頃、高校生だった私は、BOOWYの解散と共に自分もバンドブームを卒業して、ドリカムなどの保守的な音楽を好むようになって、生活全ても保守方向へと進んで行った。なので、ポストBOOWYの音楽はほとんど聴いていない。ただ、BOOWY解散後、布袋さんの1st『GUITARHYTHM』を初めて聴いた時の衝撃は忘れられない。ありきたりな表現だけど、魂が震えるような高揚感を感じた。そんな気持ちは、初めてBOOWYを聴いた時すら感じなかった。次にそう感じた、いや年取って感覚鈍くなったのにそれ以上の衝撃を受けたのは、イエローモンキーの音楽に本格的に触れた時なんだけど。
90年代は私的に、とっても保守的に生きた時代だったので、きっとこの音楽好きになるな、はまるな、と思う楽曲からは、逆にあえて離れようとしていたところがあった。そうでないと、自分の生活が根底から崩れそうな恐怖感があったのかもしれない。イエローモンキーは、「BURN」や「LOVE LOVE SHOW」を聴きながら「ああ絶対好きだわ、この人たち」って思っていたし、ユニコーンや黒夢ももう少し若かったら、はまっていただろうなーと思いながら暮らしていた。音楽的には決して詳しくないので、偉そうには語れないけど、自分の好みに一定の方向性があるのはよくわかる。
そんなわけで、こう言った音楽からは距離を置いていたので、実はhideさんのことも、亡くなった報道まで、存在を知らなかったのだった。けれど、あの頃「ピンクスパイダー」のPVが繰り返し繰り返し流れて、29歳だった私は「ああ絶対好きな世界観だ」と思った。だからこそ、近づけずにいた。(周りに同じ音楽を聴く人が居なかったせいもあると思う。30代になってタガが外れたのは、会社の同僚にロックファンの子がいたり、ネットの仲間が出来たことが大きかった)
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