食い倒れ旅行記・シンガポール編 その2

0203singapole_illust_piyo2.jpg一夜明けて、シンガポール二日目です。


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2002年3月9日(土)晴れ  

朝食を食べにオーチャード通りへ。昨夜見つけたカフェが、朝もやってることを祈りつつ、店のほうへ向かう。 通り中に舞妓さんが描かれた旗がはためいていました。日本祭りみたいなのをやってるらしい。でもこの旗やボードを見ただけで、あとは何もなかったけど・・・パレードとか見てみたかったなぁ(やってればの話(笑))でも考えてみると、日本企業がけっこう強いのね。この通りも高島屋はあるし、伊勢丹はあるし・・・ホント東京にいるのと変わらない感覚です。ちょうどバーゲンシーズンだったらしく、そこら中でsaleの文字が飛び交ってました。でも常夏の国でバーゲンって??シーズンオフはないわけだから、よほど流行に敏感でない限り、バーゲンで買うだろ、と思う。(あ、わたしだけ?(笑))

020309sin_santanka.gif街路には南国の花があふれていました。一番多かったのはブーゲンビレアだったけど、サンタンカもよく咲いていました。日本でも切花などでよく見かけるけど、熱帯の花木なので、鉢植えは、冬は室内で越さなくてはなりません。私はこういう小花がいっぱい集まった花が大好きなのですが、この花、最初アジサイかと思いました(爆)葉っぱが全然違うのにね〜。日本では朱赤のものが多いので、このローズがかった赤ははじめて見ました。

昨夜目をつけておいたカフェは、無事やってました!!やったねv( ̄ー ̄)vぶいぶい 最近は日本もカフェブームなので、こういうお店も珍しくなくなったけど、4年前にシドニーで公園やビルのテラスのカフェで朝ご飯食べてて、日本もこんな生活ができたらよいね♪などと話していたのでした。今のブームも、そういうところから生まれたのかもね〜・・・みんな考える事は同じなのかも。

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さて、わたしはきちんと目玉焼きなどが出てくる朝食を想像して、メニューの中身に目を通して「アメリカンブレックファストにする」と決めました。そしたら連れは「コンチネンタルにする」といいます。そっちのほうが高いので、よさそうだって言うの。(←短絡的)そう言われるとそんな気がしてきて、わたしもそうしたら(←単純)、たくさんのパンが出てきました。どれもみんなおいしいっ!!でもでも、待てども待てども、他には何も出てこない・・・「ねえねえ、メニューにはなんて書いてあったの?」「読んでない」・・・・おいおい。結局わたしが写真撮る振りして(上の写真)外のメニューを見に行ったら、コンチネンタルってそういうものなのねん(爆)(爆)・・・これってかなり恥ずかしいんじゃないのかしら??(涙)

これもかなりショボイ話だけど、でもこんな事でショボイと思ったあなたは、甘いわっ!!実はもっとショボくて、悲しくも笑える(どんなんだ)事件が、わたしたちの行く手には待ち受けているのでありました!!

0203sin_illu_goodwood.gifグッドウッドパークホテルの前にて♪
いやもう、実物に瓜二つなんです(爆)(゜゜)☆O=(_ _)qぉぃ
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昨日買ったパン屋さんの広告。あの辛くておいしいパンが、お風呂にはいってます・・・なんかかわいい♪地下鉄に乗ってCity hallまで行って、歩いていた途中でパチリ♪シンガポールの地下鉄のエスカレーターは異常に速くて、何度もこけそうになりました(爆)せーの、と掛け声をかけないと、乗れない・・・・・・・これってわたしだけ?(ノ_・。)


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食い倒れ旅行記・シンガポール編 その1

0203singapole_illust_piyo1.jpg2002年3月8日(金)から4日間の日程で行ってきた、シンガポールの旅行記です。実はこの旅行記、サイトに載せてたんですが、サイトの縮小に伴い、未完のまま、旅行記コーナー自体が無くなっていたのでした(爆)


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2002年3月8日(金)晴れ
11:30発 JAL719便で出発
機内食はなかなかおいしかったです。チキンとビーフと選べたけど、当然のようにチキンにしちゃいました。周りを見回すと、みんなそうだったみたい。プラスチックのナイフを見て、いたましい事件を思い出しました。

シンガポールまで7時間10分のフライト。でも少し遅れたので8時間近くかかりました。それからガイドさんとタクシーでホテルへ。道路に咲く南国の花に見とれつつホテル到着。冷房が効きすぎてて、寒い。

日本より一時間遅れの現地時間で19:30、元気に夕食を食べに、オーキッド通りへ繰り出す。ホーカーズにどうしても行きたくて、本当は朝を狙ってたんだけど、やってないとガイドさんが言うので、今晩行ってみる事に。行き当たりばったりに歩いて何件か見つけたけど、そのうちのスコッツ・ショッピングセンターの「ピクニック」という店に入りました。

020308sin_dinner.gifこれがわたしのこの日のお夕食。白いご飯にお肉料理2品と野菜料理1品で4ドル20セント。1ドル70〜80円で計算すると、だいたい300円〜350円くらい。安い!!味もおいしい!!一緒に飲んだコーラは1ドル50セントだから100円くらいかな。 実は写真を見てから気づいたんだけど、テーブルがおしゃれなのね?それにこの「ピクニック」は全体的におしゃれで、アジアの料理だけでなく、イタリアンなどもあって、地元の若い人でいっぱいでした。よく見ると、食器も「Picnic」と言う名前で全店統一されてるのだ。

蛇足ながら、ホーカーズの説明。共働きの世帯の多いシンガポールでは、あまり自炊をせずに、外食する家庭が多く、そのために安くておいしい屋台の集まったものが利用されてて、それをホーカーズというんだけど、最近はきれいなところが増えたらしいです。

都会なのに、すごく素朴で親切なシンガポールの人たち。特にホーカーズでは、日本人が珍しかったみたい。かばんを開けっ放しで歩いてたら、店の中からおばさんが飛び出してきて、「危ないよ!(英語)」と閉めてくれた(^^ゞポリポリ おまけしてくれたり、いい人が多かったなぁ〜

020308sin_bread.gifとってもおいしそうなパン屋さんを見つけたので、いろいろ買い込む。いちばん左のパンは、この店の名物みたいで、みんな買ってて、中には10個くらい買ってる人もいたので、おいしいのかも?と思ってチャレンジ。店の前にこのパンの大きな看板があって、炎の写真が載ってた。「辛いのかも?」と言いつつ食べる。わたしはあんまり辛いものが得意ではないけど、でもおいしいと思った。これ、「辣松」という名前なんだけど、上にね、かつおぶしというか「おがくず」みたいなのが乗ってるの。それで松なのかな?

手前のケーキみたいなのは、すごく食べたくて買ったんだけど、実はあんまりおいしくなかった(爆)パンは全部で5ドルくらいかな。日本円で¥400くらいです。夕食の安さに比べると、ちょっと割高だけど、日本よりは安いかも?

お水はセブンイレブンで一番安いのを買って、1ドルでした。でも次の日にディスカウントの薬局みたいなところで買ったら、60セントだった。そっちがお薦め。

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オーキットガーデンの蘭の花。現地で描きました。





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金メダル交換でオリンピックを盛り上がるっぴ♪

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つれづれつづれさんのところで金メダル交換企画をしてるそうで、わたしのひよこ(一番左)と、交換していただいたメダルの数々です♪左から2,3個目は、momoさんの「ぷぷ様」、続いて、*kei*さんの「ハチミツくん」すいさんのトロちゃんじゅじゅさんの「足臭さ大賞」となっております〜。うーん♪こうやって並ぶと、壮観でございますね♪なんだか、自分がメダリストになった気分でございます〜〜〜〜ガンバレ!ニッポン!!(≧∇≦)ノ


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江戸時代のアサガオ@夏っちゃんぶろぐ

040803asagao.jpg2004.08.22 Sunday
6/15(火)に行った、佐倉市にある『くらしの植物苑』では、
江戸時代の植物を栽培しているそうで
後日、堀田邸を見学に行ったときに、そこで育てられたという、
江戸時代のアサガオの苗をいただきました。

それが、開花したのがこれ。8/3の写真です。
最近のものより、ちょっと小さめで、
楚々とした感じで、かわいいでしょ?

江戸時代は、園芸人気が高く、
アサガオも、品種改良が盛んに行われたそうですね。

この花を、江戸の庶民たちは、
どんな話をしながら、眺めたのでしょうか。

shun_summer1.gif
※一部の方へのTBが、おかしく表示されているようで、
すみませんm(_ _)m


            


040607daria1.jpg2004.08.17 Tuesday
庭に咲いたダリアです。
6月〜7月にかけて、きれいに咲いていました。

ダリアって、手ん鞠のように豪華で、
極彩色のイメージがあったのですが
こんな風な、割と清楚な感じのもあるんですねぇ。

二年ほど前に何となく植えたら、
毎年ちゃんと花を咲かせてくれています。
偉い子だ(^^)

実は、この写真は、MT → JUGEMへのお引越しのときに
その挨拶エントリーで使ったものです。
続きを読む、をクリックすると、そのときの文章が見られます。
Nov.5.2004. 記


#gardening


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『世紀の祭典・万国博覧会の美術』

040730bankoku.jpg7/30(金)閉館時間の8:00ギリギリまで、じっくり見てしまいました。最近、嵐のように展覧会に行きまくってるわたしですが、この展覧会ほど、見ごたえがあると感じたのは、なかなかないです。さすが、東京国立博物館。作品の出展数・質・構成と、どれをとっても、文句ナシの、素晴らしい展覧会だと思います。

作品を堪能するだけでなく、日本の工芸と、世界に与えた影響、近代の西洋美術の歴史を知るにのも、もってこいの展覧会と言えると思います。いやもう、日本の工芸は、世界一です!もっと、わたしたちは自国の文化や技術に誇りと自信を持つべきだと、心底思いました。


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展覧会前半は、万博と日本工芸。とにかく、日本のありとあらゆる、美しい工芸作品が見られます。蒔絵・陶磁器・七宝など。ずらりと並んだ、人間業とは思えないほどの、細密で美意識を極めた作品群を、ただただ、ため息と共に、見入るばかりでした。また、名古屋出身のわたしは、金シャチが出展されていたのにも驚いて、うれしくなっちゃいました(^^)

以下は、ちょっと堅い話。

日本が最初に万博に作品を出展したのは、まだ幕末の1867年。まだ日本という国としてではなく、江戸幕府・薩摩藩・佐賀藩としてでした。明治維新後は、日本の工芸を世界に知らしめ、殖産興業の方針の中で、工芸作品を欧米に売りこむのが目的で、出展されました。その日本の思惑は当たり、日本の工芸は、世界中で注目を集め、ジャポニズムという動きに繋がっていきます。一方、いち早い産業革命で、近代国家となったイギリスで、最初の万博が開かれましたが、そのことに反発を感じたフランスが巻き返しを図り、やがて世界の芸術の主導権は、フランスのパリが握ることとなります。

やがて、日本の万博への目的は、だんだんと「日本の工芸作品を、芸術として認めさせること」に変わって行きます。しかし、当時の西洋では、絵画・建築・彫刻以外は、芸術とは認められておらず、また、絵画は必ず額装されていなくてはならないと決められていましたので、軸装が中心の日本画は、絵画作品とは認められませんでした。それで、芸術と認めさせるために、日本画をわざわざ額装しなおして出展するという苦心もなされました。そうした苦労の結果、日本の工芸作品は、美術品だと認められるようになります。万博を通じて、美術というものの定義や、流れが、少しずつ変わって行ったとも言えるのかも知れません。

展覧会後半は、万博の中の西洋美術、として、5回のパリ万博にスポットを当てています。当時はパリのアカデミーが認めた以外の画家の絵は、展示することを許されませんでした。それで、人気はありながら、アカデミックではない作品を描く、前衛的な画家たちは、わざと万博会場の近くで個展を開きました。

今は、アートという枠組みが、本当に広く際限がなく、制約もない時代だといえると思います。表現者としては、自由ないい時代かもしれませんが、逆に、制約がない分、何を表現していいのか、とまどうということもあるかもしれません。反骨精神が、よりよい作品を作らせたというのもあるでしょう。画家たちが、体制や制約に反抗し、自分の道を信じて進んで行った時代。もしかしたら、それもまた、古きよき時代だったのかも。そんな風に思ったりしました。

『世紀の祭典・万国博覧会の美術』
2004年7月6日(火)〜8月29日(日)
東京国立博物館・平成館

「弐代目・青い日記帳 」さんの「万国博覧会の美術」


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『熊田千佳慕の世界展』

040730kumachika.jpgすっかり終わってる展覧会ですみません。

7/30(金)、この日は、すごく感動して、帰って来ました。ボタニカルアートと言う細密画を描いているわたしなのですが、この「クマチカ」のことは、友人たちの大絶賛の声を聞いているにもかかわらず、いつも見る機会を逃していたのです。今回も、横浜市神奈川区の「かなっくホール」まで、わざわざ出かけたのは、これを逃すと、見られないんじゃないかと思って・・・・もう90歳を超えたクマチカ、このかなっくホールのある神奈川区に住んで、近所の公園を散歩し、虫や自然と触れ、日々、創作活動にいそしんでいます。わざわざ、山に出かけなくても、都会に住んでいても、自然と触れ合う機会はいくらでもある、とクマチカは言います。

細密でありながら、独特のタッチで温かみのある世界を作り上げる、その絵の世界は、まさにクマチカワールド。他追随を許さないものがあります。いつまでも、ずっとそこにたたずんで、眺めていたいような世界・・・虫や花が有名ですが、わたしは、動物の絵が好きです。

ライフワークの『ファーブル昆虫記』に絵をつけようと決めてから、もう20枚の絵を仕上げたそうで、残り10枚は仕上げたいと思ってるのだそうです。また、『オズの魔法使い』を絵本にしたのは、世界で彼がはじめてで、衣装なども、彼が自分で想像したイメージで描いたのだそうですが、後年、映画化された映像を見て、その衣装などが、彼のイメージとほとんど同じなのに、驚いたのだそう。他に「不思議の国のアリス」「みつばちマーヤの冒険」などの絵本を見て育ったと言う方も、きっといらっしゃることでしょう。

クマチカ、本名は五郎。千の美しい女性に慕われると言う意味の千佳慕に、ファンの薦めで改名したのだそうです。

リンク・今後の展覧会予定など
熊田千佳慕( くまだちかぼ ) プロフィール

1911年、横浜市中区生まれ。
1934年、東京美術学校(現・東京芸術大学)卒業。 山名文夫に師事。デザイナー・写真家集団「日本工房」に入社、土門拳らと仕事をする。戦後、細密画技法を会得し、以後今日まで「ファーブル昆虫記」、「みつばちマーヤの冒険」、「ふしぎの国のアリス」の挿画や絵本など、生命感あふれるすぐれた作品を数多く発表。 ボローニャ国際絵本原画展入選をはじめ、数多くの受賞がある。すぐれた観察力と卓越した描写力で多くの人々を魅了するとともに、フランスの「ファーブル友の会」会長から「プチ・ファーブル」と称賛される。横浜文化賞、神奈川県文化賞受賞。 横浜市神奈川区在住。


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ひまわり観察日記@<夏っちゃんぶろぐ>

2004.06.17 Thursday その1

040530himawari0.jpg
2004.05.30 Sunday
夏といえば、ひまわり!ということで、童心に返って
ひまわり観察日記でもつけてみようかと思いました。

ホームセンターで買ってきた『ゴッホのヒマワリ』
なにやら、ゲイジツ的な花が咲く模様?
さっそく、空いてる鉢に、パラパラ蒔いてみました(^^)←すでにいい加減

040607himawari1.jpg
2004.06.07 Monday
一週間くらいで芽が出るということでしたが、
確かに出ています〜!!^(ノ゜ー゜)ノ☆パチパチ・・・
でも、この鉢に4つくらいでてるだけで、他の鉢や花壇は全滅。
うーん。前に他の種のときは、大丈夫だったのになぁ。
よわっちいぞ、ゴッホ!!←だからいい加減なんだって(^^ゞポリポリ


#gardening


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『生きながら火に焼かれて』 スアド・著

タイトルもショッキングですが、本の表紙もショッキングです。この本のことは、ネットのお友達のサイトで知ったのだけど、とにかく「え?どういうこと?」と思って、読まずにはいられませんでした。

生きながら火に焼かれたのは、まだ17歳の少女でした。彼女は、悪いことなど、何一つしていません。それに、たとえ罪を犯したとしても、それを裁き、殺す権利は
たとえ家族と言えども、誰にもないはず。シスヨルダンの小さな村での常識では、彼女は殺されて当然でした。それは『名誉の殺人』と呼ばれ、殺人を犯した者は、称えられこそすれ、罪に問われるということはありえません。

火あぶりになった彼女は、奇跡的に村を逃れ、助けられます。そして、ヨーロッパのある町で、優しい夫と子供たちと暮らしています。その事件から、25年経った今でも、彼女を殺そうとした追っ手から、身元を隠すために、こうして本を出しても、本名も、顔も出すことはできません。それで、表紙の彼女は、白いマスクをつけています。

一体、なぜ、彼女は、生きながら火に焼かれねばならなかったのでしょう。

世界は、広いです。この世界中には、わたしたちの生きているこの日本の常識では
考えられないような、さまざまな状況が存在します。もっと、知らなければいけないと思いました。知ってしまったら、今度は何かできないか、と思いました。まずは、多くの人に、この本を読んで欲しい。知って欲しいです。


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『黄』 地の力&空の光

040728yellow_power.jpg7/28(水)、目黒区美術館で開催されている「『黄』 地の力&空の光」を見てきました。この展覧会は、「青」「赤」「白と黒」「緑」と継続してきた色の博物誌シリーズの最終回だそうで、「ええ〜〜!全部見たかった〜〜!!」と思わず叫んでしまったのですが、最初の「青」は、92年の展示会と言うことで、なんと、12年にも渡って、シリーズを完結されたということですね。92年と言えば、わたしは名古屋でOLしていました。

すごく興味深かった展覧会だっただけに、内容は、ちょっと物足りなかったかも。黄色と言う色は、黄金や太陽に通じる色という事で、中国でも日本でも、皇帝だけが身につけるのを許された色だったそうです。琉球でも、身分のある姫君しか、身に着けられないという衣装が展示されていました。黄色の鉱物、スパイス、砂、そして織物、ガラスなどの工芸品、絵画など、さまざまな角度から、黄色を分析していて、面白い試みだとは思うのですが、期待が大きすぎたのかなぁ?絵画やアート作品も、面白いものが出ていたんですけどね(^^ゞポリポリ 

あと、天候の関係で、見られない作品がいくつかあったのにがっかり。気象条件で見られないって・・・・ちょっと悔しいような。会期:7/17(土)〜9/8(水)


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大倉喜八郎コレクション1・仏教美術ってムズカシイ?

040728okura_budda.jpg7/28(水)、この日が会期の最終日となった、大倉集古館の『仏教美術ってムズカシイ?』を見てきました。大倉集古館は、大倉グループの創始者・大倉喜八郎氏のコレクションを公開する美術館です。虎の門のホテルオークラの一角にあり、素晴らしい中国風の建物です。横浜の三渓園に行ったときにも、原三渓氏の、日本の美術界への貢献・美術品の擁護・横浜復興への尽力に大変感銘を受けましたが、ここ、大倉集古館でも、大倉喜八郎氏の、日本美術、特に仏教美術の海外への流出を、懸命になって防いでくださった、その功績は、本当に素晴らしいものだと思います。こちらでは、常設展示として、中国で発見された、世界最古の大きな大きな仏像も見られます。

この展覧会の見所は、仏像にまつわる意味を、わかりやすく解説してくださったことと、仏教美術の修復について、実に丁寧に説明・展示されていたことです。何しろ、千年もの昔のものも多いわけで、痛みの激しい美術品の修復が、並々ならぬ苦心と努力の元に行われていることが、よくわかります。

ホテルオークラでは、ホテル内にも美術館があり、素晴らしい美術品を見ることができます。また、大倉集古館は、展示内容もさることながら、建物を見て、雰囲気を味わうだけでも、なかなか楽しめる美術館ではないかと思います。

オリエンタルな雰囲気の建物と大倉喜八郎氏の銅像と、たなびく国旗と、ホテルオークラ本館。
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