気持ちを引き受けること

最近、私はある大きな決断をして、そのことは今、着実に進んで行っている。抽象的なことしか書けなくて申し訳ないのだけど 決断自体には後悔はないのに、なぜか複雑な心境の今日この頃。

先日、ある友達に会って「あなたは優しいのね」と言われた。最近、なぜかそう言われることが多い。唯一母だけが、「優柔不断」だの「八方美人」だの 「未練がましい」だの手厳しい。実際、私は優しい人ではないのだ。

私を「優しい」と言った、ある友達は、私と同じ、ある決断をしたにもかかわらず、その姿は、実に潔い。「だって、こうしたかったんだもん」と、ある意味自分の身勝手さを隠さない。その時は正直なところ、そんなものなのかなぁ、と思った。迷ったりしないのかなぁ、と。

でもふと思う。迷うくらいなら、決断しなければいいのだ。決断した当事者でありながら、その自分が迷ってみせたら、周りの人間はどうしたらいい?大きな決断をして、何かを変えようとすることは、痛みを伴う。新しいことは、新鮮でワクワクするけれど、同時に不安も従う。自分の痛みも誰かの痛みも全部引き受けて「だってこうしたかったんだもん」と言える強さ。新しいことにたとえ失敗しても、誰かのせいにしない。自分が決めたことなんだから、と言える強さ。

いろんな辛い思いを、気持ちを一人で引き受けること。それが私には欠けているだけで、優しいわけではないのだ。そのことに、今日気づいた。


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