命の循環

思うに・・・

わたしは今まできっと、与えるよりも、与えられることのほうが多い人生だったのだろう。だから、人に与えるよりも、まずは与えられることを望んでしまう。分析すると、そうなのだと悟った。

自分に子供がいないので、絶対に、子供を産んでこそ一人前なんて言いたくないという気持ちが、実はあるのだけれど(笑)、でもやっぱり子供を産んで、一方的に与えるだけの時間を持つと、そこで女性は一皮剥けるのだろうか。などと思ったり。

数年前に、一番暗く悶々としていた時期に、ペットを飼うことをしきりに勧められた。その理由が「これくらいの年齢の女性は、母性が余ってるのよ」今思うと、笑ってしまうのだが、そのときはそうかもしれない、と、真剣に思ったりしたものだった。

でも何かで読んだのだけれど、実は、女性だからと言って、誰にでも母性があると言うわけではないらしい。
むしろ、ステレオテイプ的に刷り込まれた「母とはこうあるべき」という形に収まりきれずに「子供を愛せない」ことを苦しんで、虐待に走ってしまうお母さんが、非常に多いのだそうだ。

確かに、女性だからと言って誰もが家事が好きだとは限らないように、育児にだって「向き不向き」は絶対あるはずなのだ。それなのに、何かあるとすぐに母親が悪い、と責められる。

うーんと、随分話が横道にそれてしまった。
そうそう。人生は順番なのだと思うのだ。
子供の頃には、与えられるだけだけれど、少しずつ自分も、誰かに何かを与えられるようにならなければならないのだ。与えられて、与えて、そしてその中から、また何かを与えられて、人はそんな風に、生きて、命を全うして行く。そして自分が死んだ後も、命はつながって行く。

そろそろ、与えられることを望むのはよそう。まだ何かを与えられる自信は何もないけれど。


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