建築家・黒川紀章さん死去

2007.10.12 Friday 19:34
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13日午後6時から青山の梅窓院で密葬が営まれれる。「黒川はこんなに早く入るとは思わなかったでしょうけど、私のために梅窓院にお墓を買ってくれていたんです。今はとにかく横になろうと思います」と気丈に話した。

76年にテレビ番組の対談で知り合った。その日の内に黒川さんは若尾の自宅を聞き出し、絵画を持参して訪問。交際が始まった。当時、黒川さんは前妻と別居中で、離婚成立直後の83年末に結婚した。プロポーズの言葉は「君はバロックのような女性だ」。若尾も再婚だった。若尾は世界を駆け回る黒川さんに合わせ、年3分の1の外遊に同行。ドラマや映画出演は控え、舞台中心となった。

建築家と女優、生活の時間が違うだけに、ここ数年は、若尾は自宅、黒川さんは近くのホテルで暮らす「別居」生活を送った。「若尾は女優として国の宝。僕が独占しちゃいけない」が持論で、住まいを別にしながらも携帯電話で毎日話し合い、若尾は手作り弁当を毎朝ホテルに持参した。7月の参院選は黒川さんの依頼で若尾は
共生新党から立候補。慣れない演説もこなし、演説する時は傍らの黒川さんと必ず手をつないだ。

70代で仕事にまい進する黒川さんに、若尾はあるインタビューで「互いに気を使っているけれども口出しはしない。そういう関係がよろしいのではないでしょうか」と答えた。最後まで大人の関係を貫いた。


Wikipedia
黒川 紀章(くろかわ きしょう、1934年(昭和9年)4月8日
- 2007年(平成19年)10月12日)は、日本の建築家。共生新党党首。日本芸術院会員。日本会議代表委員。黒川紀章建築都市設計事務所所長。夫人は女優の若尾文子。弟は建築家の黒川雅之。弟の妻はコーディネーターの加藤タキ。

■来歴
愛知県海部郡蟹江町に生まれる。
1953年、東海高校卒業。1957年、京都大学工学部建築学科卒業。1964年、東京大学大学院建築学科専攻博士課程修了。槇文彦、磯崎新、谷口吉生らと共に、丹下健三の門下生(丹下研究室出身)の建築家である。1960年代に建築理論メタボリズムを構築し、これに基づいた増築・取替えの可能な建築として中銀カプセルタワービルなどを設計した。

1983年にテレビ番組での共演をきっかけに若尾文子と結婚。その時の口説き文句は「君の美しさはバロックだ」。日本会議代表委員。他にアメリカ建築家協会名誉会員、英国王立建築家協会名誉会員、日本景観学会会長、ブルガリア建築家協会名誉会員、フランス建築家協会正会員、カザフスタン建築家協会名誉会員、ロシア建築アカデミー外国人会員など。

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