建築家・黒川紀章さん死去

2007.10.12 Friday 19:34
陽菜ひよ子の名刺や販促グッズ



選挙翌日のフジテレビのインタビューでは、浅野史郎が敗因や感想を述べ総括をしていたのとは対照的に、都政の具体的な話題に熱弁をふるい、次の都知事選に触れるなど、政治への熱意がさめやらぬ様子であった。東京都知事選挙の二日後には共生新党として参院選に挑戦する意志があることを明らかにする。

◇マニフェスト
以下は2007年3月5日に都庁で発表されたマニフェストである。任期中の給与は1円。東京都庁舎や、江戸東京博物館、東京国際フォーラムの民間売却。オリンピック招致中止。日の丸・君が代の強制を改める。築地市場の豊洲移転には反対。東京23区の市昇格を行ない、行財政権力を強化する。首都機能の一部を移転し、霞が関に緑地を増やす。都知事選立候補時の記者会見では自らの政治思想について、反金儲け主義・共生主義と表現し、社会主義に近いとも発言している。[1]

◇パフォーマンス
自らがデザインした円形のガラス張り選挙カーを使用、クルーザーから手を振る、リコプターで都知事選候補者では、初めて離島へ向かうなどの選挙活動を黒川自らが「陸海空作戦」と称した。当初は飛行船から桜吹雪を撒き散らすというアイデアもあったが、選挙管理委員会の許可が降りなかった。
他の主要候補者が演説している場所に突然現れ、対話しようとする選挙活動を一部のメディアが「奇襲作戦」と称した。選挙戦の最終日は新宿西口で演説中の石原慎太郎候補の近くに来て、「石原裕次郎の名前を出さないと当選できない石原慎太郎さんには、この歌を送ります」といい、石原裕次郎の名曲『銀座の恋の物語』を歌った。
目立つ行動を印象に残したが、決してパフォーマンスのみに固執しているわけではなく、都政の個別の案件を独自の専門的な視点で批評するなど、堅実な姿勢も見られた。

■人物・エピソード
・都知事選のパフォーマンスは一部の人たちを喜ばせる形となり、 選挙後はバラエティー番組『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』にも出演、冗談交じりのトークで場内を沸かした(「私の年収は200億円だ」など)。この事から「バラエティの宝」と言われる事も。

・日本文化デザイン会議に日本刀を持ち込み「僕はいつも、明け方三時にこれ(日本刀)を抜いて、自宅近辺を走ってますよ。刀を抜いて着物で走るという“実戦”の訓練を昔からやっているんです」(週刊文春 2007年3月8日号)と発言するも、真相のほどは不明。

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