ピカソ展 躰[からだ]とエロス
2004.09.28 Tuesday 16:37
陽菜ひよ子の名刺や販促グッズ
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2002年には、ピカソの少・青年時代の作品を中心とした「ピカソ天才の誕生 バルセロナ・ピカソ美術館展」、また2003年にはピカソが富と名声を得て活躍し、最初の結婚をする新古典主義時代をとりあげた「ピカソ・クラシック展1914-1925」。そして今、その集大成ともいえる大規模な展覧会「パリ・国立ピカソ美術館所蔵 ピカソ展−躰[からだ]とエロス−」を開催いたします。 本展覧会は、新古典主義に続く1925年から第二次世界大戦前夜の1937年までの作品160点で構成。シュルレアリストと交流した時代の様々な身体表現を、パリ・国立ピカソ美術館が所蔵する作品を中心に紹介します。数多くの女性を愛したピカソの、奔放で力強い作品の数々を十二分に堪能できるまたとない機会といえます。
以下、引用は全てピカソ展−からだとエロス 変貌の時代 1925〜1937年より。ピカソは、何と精力的に、作品を描きつづけた人だったのでしょう。まずは、そのことに、本当に驚きました。注意深く日付を見ると、同じ頃に、まったく違った作風で、多くの絵を残していたことがわかります。しかも、同じ日に、たくさんの絵を描いていたようです。彼は、8万点もの絵を残したそうですが、一枚の絵に、それほど多くの時間をかけなかったのでしょう。きっと、インスピレーションのままに描いて、描きながら、どんどん変化して行ったのでしょう。そこがピカソの天才性であるといえると思います。画家の多くは、生涯同じスタイルで描いた人が多く、また、若い頃にはさまざまなスタイルに変貌していったとしても、晩年には落ちつく画家がほとんどですが、ピカソは、死ぬまで自己の世界を壊しては確立すると言う事を続けていった稀有な芸術家です。
01 身体の変容
1910年代のキュビズムの作品制作の後、ピカソは新古典主義時代を迎えます。その時代のミューズだった妻・オルガとの、1920年代後半以降の関係の悪化は、彼の絵画の作品世界に、はっきりと表れます。ひときわ目立つ『青いアクロバット』は、音声ガイドでは「不気味なところがない」と言いきっていましたが、どうなのでしょう?すっかり解体されたオルガは、胴体すらなくなって、手足の直接生えた、青い人になっています。
1924年10月、ブルトンの「シュルレアリスム宣言」以来、シュルレアリスム運動が盛んとなり、ピカソもその潮流の近くに身を置いていました。1917年の結婚から10年、妻オルガとの幸せな結婚生活は終わりを告げようとしていました。上流階級の生活、オルガの物欲、名声欲にピカソは辟易とします。
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