「対岸の彼女」角田光代・著
2005.05.11 Wednesday 09:33
陽菜ひよ子の名刺や販促グッズ
主人公・小夜子は疑問を投げかける。「何のために年をとるのだろう」そして、最後に答えは導き出される。そう、出逢うためなのだ。きっとどこかにいる、きっとめぐり逢う、本当に出逢うべき相手と。
それはきっと、そんなに簡単でもないだろうし、そんな大勢じゃない。たったひとりでいい。確かに、その「たったひとり」を見つけるのは、そんなに容易い事ではないだろう。ましてや、大人になってからの出逢いで、というのは、とても難しいのかもしれない。
わたしは、それほど人付き合いは広い方ではないのだが、大切な友人が何人かいる。とはいえ、実家のある名古屋に帰省するのは年に数回なので、その友人とも年に一度会えればいい方である。画像は、三月に友人の家を訪れたときに、出してくれたもの。もう描いた本人も忘れていた作品。そう、わたしの絵付けしたものなのだ。
彼女の家には、玄関にもわたしの描いたプレート(飾り皿)が飾られ、もう10年以上も前の新婚旅行のお土産のドライフラワーのアレンジの額が(同じものを買ったはずの我が家にはもうないのに)置かれていた。それだけでなく、拙いトールペイントで描いたネームプレートも表札の横に揺れていた。これは一度金具が壊れたのを、旦那さまが直してくださったのだそうだ。でも描いた本人は、そんなものを自分が描いたことすら忘れていた・・・
「わたしんちって、かなりカヨちゃん(本名)の作品であふれてるよ」ともうじき1歳になる男の子をだっこしながら、彼女は笑った。
彼女とは、もう20年近い付き合いなのだが、わたしのほうが2年ほど先に結婚して、既婚者 × 独身者。彼女もやがて結婚して、でも仕事は続けていたので、専業主婦 × 有職主婦。そして今は彼女は母となり、常に立場は微妙に違うのだけど、それでも何だかうまく行っている。20年も付き合っているから、というのもあるのだろう。もちろん、その間にはお互いに葛藤もあったけれど、それでも離れずに来た。それって、理屈じゃないのかもしれないな。
この数日前には、別の友人とも会った。こっちは、この一年で一気に結婚・出産を終えてしまった強者。この彼女とも、ずっと立場は違うのに、溝と言うのを感じたことはない。もちろん、わたしにもどうしようもなく溝を感じる相手はいる。というより、ほとんどの場合は、心から理解し合うのは難しいと思う。でもそれを憂いたりはしない。だってそれの方が普通なのだから。わかり合えないのが普通。だからわかり合おうとする。難しいことだから、わかり合えたときに、よりうれしいのだろう。
[7] beginning... [9] >>
-
-
<< 2005年5月の花たち・1 〜遅咲きチューリップを愉しむ〜
白玉つくりました >>
[0] [top]