伊藤若冲のニワトリ
2006年夏に東京・上野の国立博物館にて
『プライスコレクション・若冲と江戸絵画展』が
開催されてから、ちょっとした若冲ブームが
巻き起こったのは、記憶に新しいところ。
この若冲という人について簡単に説明すると
青物問屋(八百屋さん)の主人だったんですが
どうしても絵の道に進みたくて、40になって、
家督を弟に譲り、早々と隠居し、庭に鶏を飼い、
日がな一日鶏の絵を描き続けた、のだそう。
もともと天賦の才能があったので、どんどん名作を残し
85歳で死ぬまで絵を描き続けたんですね。
彼は絵を描く以外のことにほとんど興味が無く
商売っ気も無く、酒も飲まず妻もめとらなかったとか。
それでよく店が潰れなかったもんですね。よかったよかった。
40歳で家督を弟に譲ったのは正解だったのかもしれません。
結局人生の半分以上は絵を描き続けることができたんですから
シアワセな人生だったんだろうな。
左《鶴図屏風》/右《双鶏図》 こんなシンプルな絵も素敵
(クリックで大きくなります)
2005年春には切手も発売されました。
◇ワタシの行った若冲関連の展覧会INDEX◇
「若冲と琳派〜きらめく日本の美〜」2004年2月(日本橋高島屋)
「世紀の祭典・万国博覧会の美術」2004年7〜8月(国立博物館)
「琳派 RIMPA展」2004年9〜10月(国立近代美術館)
「プライスコレクション・若冲と江戸絵画展」2006年7〜8月(国立博物館)
一番上の画像《紫陽花双鶏図》(部分)
2007/08/14 Tue
ワタシのマンガブログ。ひよこカップルが大活躍☆
https://ameblo.jp/hiyoko-dagane/
『プライスコレクション・若冲と江戸絵画展』が
開催されてから、ちょっとした若冲ブームが
巻き起こったのは、記憶に新しいところ。
この若冲という人について簡単に説明すると
青物問屋(八百屋さん)の主人だったんですが
どうしても絵の道に進みたくて、40になって、
家督を弟に譲り、早々と隠居し、庭に鶏を飼い、
日がな一日鶏の絵を描き続けた、のだそう。
もともと天賦の才能があったので、どんどん名作を残し
85歳で死ぬまで絵を描き続けたんですね。
彼は絵を描く以外のことにほとんど興味が無く
商売っ気も無く、酒も飲まず妻もめとらなかったとか。
それでよく店が潰れなかったもんですね。よかったよかった。
40歳で家督を弟に譲ったのは正解だったのかもしれません。
結局人生の半分以上は絵を描き続けることができたんですから
シアワセな人生だったんだろうな。
左《鶴図屏風》/右《双鶏図》 こんなシンプルな絵も素敵
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2005年春には切手も発売されました。
◇ワタシの行った若冲関連の展覧会INDEX◇
「若冲と琳派〜きらめく日本の美〜」2004年2月(日本橋高島屋)
「世紀の祭典・万国博覧会の美術」2004年7〜8月(国立博物館)
「琳派 RIMPA展」2004年9〜10月(国立近代美術館)
「プライスコレクション・若冲と江戸絵画展」2006年7〜8月(国立博物館)
一番上の画像《紫陽花双鶏図》(部分)
2007/08/14 Tue
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