白いカップボード

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コレはソニオが作ってくれたカップボード。
出来上がったときは嬉しくて嬉しくて
本当は12時間くらいそのままにしておかなくちゃいけないのに
すぐにカップを並べてしまった。


              


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開くとこんな感じ。
そうそう、ケーキ皿は本当は立てたいんだけど
前の引っ越しのときに皿立てを全部捨てちゃったんだよね。
買いに行かなくっちゃ。

14年前の最初の結婚の時は、家具は全部オーダーした。
バブルが弾けて数年経っていたけれど
まだまだバブリーな気分だった我々と実家の名古屋の気風も
あいまって、それはそれは立派な家具が到着。

さらに、ワタシたちが結婚したのは1994年11月。
その2ヶ月後に阪神大震災があって、オーダーしたのが京都の
家具屋さん(桐の家具とかではなく、イギリス風の家具)だったので
到着が遅れに遅れ、何ヶ月も家具なしで過ごしたので
2月に入ってようやく届いたときは本当に嬉しかった。

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そして始めた絵付け。
マイセンのバラに恋して。ヘレンドの鳥に憧れて。
窯まで購入して打ち込んでいた日々。大好きな食器コレクション。
庭で育てたバラを描く夢を現実のものにした日。

けれど、離婚と引っ越しで、わたしは愛着ある家具と
窯とほとんどの食器を手放すことになったのだった。
窯は信頼できる人に譲り、家具はそのまま残し
食器は・・・・自分の描いたモノ以外はすべて割って
(未練が残るから)不燃ゴミに。ゴミ袋50袋はあっただろうか。

大切にしていたものがもろくもぜーんぶゴミになってしまったことは
とにかく私にはものすごいショックで
それ以来、そういったモノにお金をかけたり
愛着を持とうとする気持ちが麻痺してしまったようだった。

一人暮らしをしていた頃は、その反動で食器は100円ショップでそろえ
お茶をポットで入れるということも忘れていた。

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ポットとお揃いで作ったティーセット。展示会のためのもの。

展示会は一流ホテルにマダムたちが集って・・・優雅な世界だった。
今となっては遠い遠い世界で、そこに自分がいたのすらも幻のようで。

あの頃はお茶と言えばきちんとポットでカップ&ソーサーに入れて
ポットにはティーコゼー、ケーキを用意して。
そんなものには何の興味もない元のオットを相手に、おままごとみたいに
自己満足を繰り広げていたものだった。

そう言えば最近は、結婚のお祝いでいただいた鳥柄のマグで
大抵お茶を飲んでいる。大振りでぽってりしててホッとする。

ソニオは私の作るものにいつもきちんと興味を持ってくれて
このカップボードも彼が私の食器のために指定席を用意してくれたのだった。
それなのに私はソニオとはほとんどこの食器を使ったことがない。

それには、以前の生活で使っていたものだと言うことに対して
私の中にささやかな抵抗があるせいなのかもしれない。

彼はと言えば、驚く程そう言うことに抵抗やこだわりがなく
前の結婚生活で私が使っていた大型の冷蔵庫も大きめのチェストも
テーブルも、私はすべて捨てることなく持って来た。

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イースターのための飾り。
堂々とひよこのモチーフを使えるから大好き。
毎年一個ずつ作って行こうと決めていたのに3個でオシマイ。

ずっと悩んでいた。

イラストレーターとしての仕事は、本当にしんどくて
もう若くはない私には体力的にきつい。
本来なら私の年齢では、単価がそれなりにある仕事を
ゆったりこなして行くレベルに達していなくてはいけない。
けれどスタートの遅い私はまだまだ新人でしかない。

そんな時知り合った児童書の編集長からこんな風に言われた。
「結婚して旦那さんに養ってもらいながら絵本を書くのが一番理想的だよ」
それで短絡的にソニオとの結婚を決めたわけではないけれど
結婚が決まると、今度は編集長はこう言い出した。
「結婚するとやることが増えて大変だよ。一人の方が楽なんじゃないの?」
それはもちろん考えたけれど、あえて出した結論だった。

ソニオはこう言ってくれたのだった。
「家事をやってもらうために結婚するんじゃない。ひよこさんの仕事は
モノを作るコトなんです。だからボクはひよこさんが好きなだけモノを
作る環境を作るお手伝いがしたいんです」

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オリエンタルなピルボックス。デザインから自分で起こした。
チャイナペイントは自分に向いていたと思う。
もしもあのまま前の夫と結婚していたら、私は絵付けの先生になっていただろう。
ゾウのポットとピッチャーは、懐かしいポルチェラーナ・ビアンカ。

ソニオと初めて会った日、私はポートフォリオ代わりの小さな冊子を
持っていた。それを彼に渡すと、私はその事をすっかり忘れて
他の人たちと話し込んでいた。しばらくして彼から戻って来たとき
「え?まだ見てたんだ??」
と驚いた。それくらい、ソニオは私の絵をじっくり見てくれた。
そして「いい絵だと思います」とメールをくれた。
それがすごく嬉しかった。

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買ったものといただきもの。
中央はヘレンド。グラスはバカラ。奥のお皿はソニオのイトコが
デザインして結婚式の引き出物に使ったもの。
ソニオにはアートディレクターの叔父やデザイナーの従兄弟など
業界人の親戚がゴロゴロいる。

「ボクには作る才能はないけれど、見る目はあると思います」
と最初の頃控えめに言っていたソニオは今では
「大丈夫、ひよこさんはできる子だから」
と、10歳近くも年下とは思えない発言をする。
「もっと言って。もっとほめて」
自信を失っている時、私はソニオに何度もせがむ。

結婚してから、生活に慣れるためといろんなバタバタで
積極的な営業をするのは控えていたのだけど
それにしても、勉強会やいろんな見本などの制作や何やら
お金は出て行くばかりだし、いつも私は疲れてるし
結局家事に専念しきれていないから中途半端なままだし。

こんなでいいのかな、と悩んでいた。

先日そう打ち明けると、ソニオはやっぱりこう言った。
「いいんです。ひよこさんの仕事はモノを作ることですから」

絵を描くことにこだわる必要もなく
ただモノを作るのが仕事だと言ってくれる。

それまでイラストの方もままならないのに帽子に打ち込む自分自身を
どこかで後ろめたく思っているようなところがあったのだけれど
ソニオのその言葉と、私の帽子を見て「欲しいっ!オーダーしたいっ!!」
と言って下さった何人かの皆さんのお陰で
イラストも頑張る、帽子も頑張る、それでいいんだ、と思えるようになった。

ああ本当に、本当にありがとう。

生きているうちには多くのものを失うけれど
思い切って無くしてしまえば、それ以上のものを得ることができる。

そういうことなんだね、きっと。


さてと、オシマイ、だけど。
長い長い長い長い〜〜〜。


ココまで読んでくれてありがとう。


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