ドラマ「負け犬の遠吠え」を見た。原作は昨年のベストセラーとなった同名エッセイ。かなり話題になって、BLOGで取り上げた方も多かっただろう。
実は、それほど興味がなかったので、本は読まなかったのだが、ドラマはおもしろそうだったので、見ることにした。ちょっと考えさせられてしまった。
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30代独身・子供ナシを負け犬といい、それに対して、夫・子供のいる専業主婦を勝ち犬という(らしい)。では、わたしのように、結婚はしているものの子供のいない女はどっちなのだろう?最初にこの本の事を知ったときに、まずそんな疑問が浮かんだ。でも別に、勝ち犬だろうが負け犬だろうが、どっちだっていい、と思った。だから、あえてこの本を読みたいとも思わなかった。だいたい、この世の半分の女性を、ひとくくりに2種類に分けると言うのが、そもそも気に入らない。
ドラマのほうは、思っていたとおりの筋書きで、思っていた通りの結末。でも、いつのまにか、彼女たちに共感している自分がいた。負け犬である独身女性たちは、あり余る自由と孤独と将来へのあせりと共に暮らしている。ドラマの前半では、そんな負け犬のマイナス面に大きなスポットを当てて描かれる。では、勝ち犬である専業主婦は、そんなに幸せいっぱいなのかといえば、決してそうではない。夫も子供も話を聞いてくれない。誰も誉めたり、認めてくれない、終わりのない家事との戦いの日々。しかも夫が浮気??
専業主婦は、世間が思うほど気楽なものではない。家をいつもきちんと保つのは、本当に大変な事だし、ご近所や親戚・ママたちとの付き合いもある。勝手気ままに夜出歩く事もできないし、主婦の24時間は家族を中心に回っている。それでも、世間はそんな主婦を認めない。主婦の話など、まともに取り合おうとしない。
わたしは、もしかしたら、勝ち犬と負け犬のおいしいところをちょっとずついただいている、一番いい身分なのかもしれない。家事はやらなくてはいけないし、夜出歩く自由はないけれど、それ以外は、比較的自由かもしれない。
でも、ドラマの中で、大塚寧々が言う「何でもかんでも手に入れてる女なんていない」と言うセリフの通り、全てを手に入れるのは不可能なのだ。気楽という事は、責任もないという事。子供と言うかすがいのない、我々夫婦の関係は、子供のいるそれよりは、やはりもろいのかもしれない。
仕事も中途半端。達成感のあるところまで行きはしない。だからといって、夫だけのために専業主婦だけを続ける日々は、きっと例えようもなく、むなしい毎日だろう(あくまでもわたしにとって、だけど)そして、結婚しているのに子供はいない、という女性は、専業主婦よりも、独身女性よりもさらに少ないマイノリティなのだ。マイノリティとは、世間の偏見と無理解との戦いを余儀なくされるものなのである。ないものねだりだとはわかっているけれど、共感する部分の多かったのは、やはり勝ち犬である主婦であるわたしは、負け犬たちがまぶしくて仕方なかった。
ラスト近くで、主人公の久本雅美のボスである竹中直人から言われた言葉。「10年後にお互い独身だったら、結婚しよう」こんなこといって、一年後くらいに彼は結婚していると言う可能性は高いのだが、それでも、一度くらいこんな言葉を言われてみたい、と思ってしまう。結婚なんか、どっちでもいいんだ、と言うような男の、最後の砦になると言うのも、素敵な人生なんじゃないか、と思うのだ。
そして、ボスに打ち合わせだと聞いて行った先で待っていた、女友達からの久本へのバースディプレゼントであるサプライズパーティー。ホテルのスイートを、女3人で借り切って騒ぐなんて、主婦にはまずできない事だ。このドラマは、まだ勝ち犬・負け犬どちらに転ぶかわからない20代の女性が、負け犬と勝ち犬に関する記事を書くという設定なのだが、最後に彼女が書いていた「自分を好きでいられる女性でいたい」結局は、これに尽きるのかもしれない。