にっぽんの客船。

110507c92a0e81_7.jpg110507ec28404_7.jpg今日は、京橋⇨九段下⇨恵比寿と移動の予定だったけど、いきなりの雨で心が折れて、そのまま京橋をブラブラ。たまたま見つけたINAXの展示。船旅したいなぁ。思いがけず100%Orangeの絵も見られてお得な気分。昨日、取材中にJさんからtelがあり、絵本の提出の締め切りが、いつの間にか過ぎていたことを知る。追加で送ってもらえるそうなので、届けに行ったのだった。あせあせ。でもよかったーーーー。

本当はこの後、近美と恵比寿に行く予定だったのだけど、すっかり心が折れた。そこで見つけた、INAXギャラリーの船の展示。今日はココで過ごそうか、と決めた。 豪華客船の展示は、想像以上に見ごたえがあって楽しかった。

当代の一流建築家が競って設計・デザインした客室の贅をこらした内装。しかし、その頂点を極めた「あるぜんちな丸」は、たった2年半しか豪華客船としての役割を果たさぬまま、やがて戦争に突入して、軍需用となり、海の藻屑と消える、という悲しい運命をたどる。

当時の食事のメニューや、テーブルの上でナプキンを扇形に折るように美しく折りたたまれた花毛布(当時の日本の客船のシンボルともなっていて、数十種類の折り方があり、熟練したベッドメイクの人は、ものの1〜2分で、ひとつの形を作り上げることができたんだそう)などを見ていると、当時の特権階級だけに許された、優雅なゆったりとした旅を思って、なんともいえぬ憧憬の思いがこみ上げた。

横浜港に停泊している氷川丸には、チャップリンが泊った客室がそのままに展示されているが、チャップリンは氷川丸のサービスと食事をこよなく愛していたのだとか。今は飛行機でひとっ飛びでどこにでも行ける時代。便利だけれど、どちらが贅沢かと言われれば、それはやっぱり船旅だろう。「いいねー船旅したいねぇ」私の頭の中にはタイタニックや、クリスティのポアロを主人公にした映像が浮かぶ。豪華客船で、毎日ステキな帽子をとっかえひっかえして、デッキにたたずんだり、おいしい食事に舌鼓をうったり・・・ああなんてステキ。すっかりふたりでうっとりと、世界に入り込む。  


『酔う』

旅行好きにとって、「雨男・雨女」であることと、「乗り物酔いをする」ことは、二大不幸であると思う。(いや、思っていた)実は私は、かなり旅好きなのだけど、長年この二つに悩まされてきた。特に雨。旅行中ずっと雨というわけではないのだけど、必ず「旅のハイライト」に雨が降るのだ。北九州に行ば「やまなみハイウェイ」北海道に行けば「洞爺湖の花火とと函館の夜景」オーストラリアに行けば「ブルーマウンテン」という具合に。逆に別府地獄めぐりや、札幌の町やシドニー散策はイヤというほどの晴天だったりしたものだ。

今のオットは、自他共に認める雨男で、知り合ったころに、私の絵の展示を見に来てくれるというのだが「ボクが行くと雨になるかも」との予言通り、彼が来た日は、本当に見事な雨だった。

その彼と付き合うことになった時には、私はこの先の旅という旅の天気をあきらめることにした。それなのに、今まで彼との旅行はいつも晴天や、ひどくても小雨。箱根も富山も名古屋もコスタリカも台湾も。マイナスとマイナスをたすと、プラスになるってこういうことなんだろうか。私が感じたのは、天気なんてどうでもいいと思ってると、意外と晴れたりする。過去の私は天気にこだわって、お天気がよくなければこの旅は失敗だと思っていた。けれど、そうじゃないのだ。

お天気なんてどうでも、一緒に行った相手が楽しければ、旅は楽しい。いつか女の子ばかり大勢で萩に行った時、日程のほとんどが雨だったけれど、みんなでお茶飲んで、何を話したかも覚えてないけど、笑って、今思えば、楽しかった。天気にこだわるしかない旅しかできない相手と、ずっと一緒に旅をしてきたのは、私の不幸と言わざるを得ないけれど。

最近北海道に帰省してもいつも雨で、それでも、義父母と4人でテレビ見て笑ってるだけで楽しい。最近弱ってきている両親だからこそ、ただその時間が大切でいとおしい。それに、東京の雨には打たれたくないけれど、函館の雨は平気。霧雨に打たれながら街を歩いた。子供みたいにスキップして。

午後、用があって、京橋に行った。用をすますと雨。傘も持っていなかったので困った。そこで見つけた、INAXギャラリーの船の展示。今日はココで過ごそうか、と決めた。 豪華客船の展示は、想像以上に見ごたえがあって楽しかった。「いいねー船旅したいねぇ」私の頭の中にはタイタニックや、クリスティのポアロを主人公にした映像が浮かぶ。豪華客船で、毎日ステキな帽子をとっかえひっかえして、デッキにたたずんだり、おいしい食事に舌鼓をうったり・・・ああなんてステキ。すっかりふたりでうっとりと、世界に入り込む。

けれどそこに問題が。私は酔いやすいのだ。中でも最悪は船。20代のころまでは、乗り物に乗るときには酔い止めが欠かせなかった。んでもあれは飲むと、コトンと眠りに落ちてしまい、飲んだら最後、車窓からの景色を楽しむと言うことは、私にはない選択肢だったのだった。

私は、昔の私の考えていた「二大不幸」―――「雨女」と「乗り物酔い」を背負って生まれてきたんである。しかも、船の上で雷雨に当たったりしたら最悪だ。大揺れに揺れる船で、デッキの風に当たることもできず、船室に閉じ込められ、ひたすら襲い来る吐き気と戦うしかない・・・想像するだけで恐怖である。それでも、どんな嵐に遭っても、どんなハプニングがあっても「水曜どうでしょう」で、ヘリに酔って吐いてしまった大泉洋のように、あとで思い返せば、それは笑い話になるはずなのだ。


28の冬、記録的な大雪が降った成人式の日に、関空からオーストラリアに飛び立った。一番楽しみにしていたブルーマウンテンは、全く見られなかった。他の日は全部晴れだったのに、10日間の日程で唯一曇りの日に、わざわざ旅のハイライトを配置したのだった。シドニーに着いてから日にちを選んだのは私だったけれど、それをあとで、責めるようなことを言う同行者の思いやりのなさにもげんなりした。

この先、ずっとこんな風なんだろうか、と思った。一人眠れずに、そんな風に考え続けていた夜を、15年近く経った今も忘れられない。天気の問題ではない。そんなことは小さな問題なのだ。ブルーマウンテンなんか見られなくても、この旅は楽しかった、と思えるような、そんな小さな思いやりの言葉が、欲しかっただけなのだった。今思えば、ものすごく贅沢な生活をしていた。けれど、どんなにお金をかけて旅をしても、どんなに豪華な食事をしても、楽しい気持ちを共有できなければ、それは忌々しい想い出にしかならないのだ。

今日は、京橋で足止めを食らって、船の展示を見て、それから明治屋を冷やかして、カフェでお茶をして、日本橋まで歩いた。ただそれだけだったけれど、数十万かけて行ったオーストラリアよりずっと楽しい休日だった。

先日、最近親しくなった友人に教わって、母の日のお花を作った。彼女とは、たぶんモノに対する価値観が、すごく近いのだと思う。とても鋭いことを柔らかく言う人で、いつも感心させられるのだけれど。「お金なんてそんなになくても、意外と楽しく暮らせるものだよね」と彼女は言う。「それに、本当に気の合う人と一緒に暮らすと、お金はかからないよね」と私も答える。

彼女には病気のお子さんがいて、他のお母さんは、病気の子をかわいそうというけれど、病気ってかわいそうなことでも不幸なことでもなくて、すごくたくさんの幸せを教えてくれるよ、というのが彼女の持論。彼女と話していると、すごく大切な心の中の襞が、静かにやさしく震えるのを感じる。それはとても心地よい震えなのだ。オットと一緒のときにも、同じ震えを感じることがあるのに思い当たる。

もしもオットとオーストラリアを旅して、ブルーマウンテンが曇りだったら、彼はきっとこう言うだろう。「曇り空もきれいですよ」そう言って、彼は晴れの日には撮れない、見事な曇りの山の写真を撮るだろう。「ひよこちゃんのおかげで、この写真が撮れましたよ」彼はそう言って微笑むに違いない。私は心から、ああ今日が曇りでよかった、と思える。そんな相手となら、雨の日も嵐の日も、船酔いしても二日酔いでも、きっと、楽しくやって行けるのだ。

酔っ払って書いたような、長い文章を読んでくれてありがとう。お酒に酔ってもいないのに、どうやら、私は自分に酔っているようです。

(おしまい)


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