新宿救護センターの新年会

080120gen4.jpg080120gen1.jpg新宿救護センターの新年会に行ってきた。すごく充実した楽しい時間だった。

今回のはパーティー形式ではなく、「寄席」になっていた。落語、即興で書く書、生ギターの演奏と、どれも素晴らしく、また即興で書く書は、見る方も参加してのものだったのだけど、いろいろいいお話が聞けて、つくづく自分は若輩者だと思った。まだまだ学ばねばならないこと、聞くべきことはたくさんある。

落語、初心者向けに古典的なものを選んで下さったそうで、すごくおもしろかった。いっぱい笑わせて頂いた。落語は60代でもまだ若手なんだって。びっくり。普通は定年だよ。知らないことっていっぱいある。

落語の話題にして良い「3ぼう」というのに感心。「どろぼう」「つんぼ」「けちんぼう」この3つならお客さんに不愉快な想いをさせることはないという事だ。

落語を聞きに来る中につんぼ(※)はいないだろうし(※いい言葉ではないですし、家族にいる方には最初に謝っておきますとのこと)お金を払って寄席に来る人にけちんぼはいないだろうし(ここで「家族にいる方には・・・」と繰り返して笑いを取る)やはりお金を払って寄席に来る人に泥棒はいないだろう(よもやここでも「家族にいる方には・・・」とだめ押しのように繰り返すが、やはり笑ってしまう)というわけだ。なるほど。

また、けちんぼのことを「6日知らず」というらしい。手で数字を数える時、5までは指を折って、指が手にくっついて行くが、6からは指を離さなくては行けない。ケチな人は、手に入れたものを手から離したくないので、6は数えないというわけだ。おもしろいねっ。

          


080120gen2.jpg次は書。うしろに額装されている書を書かれたのもこの先生。今回は5人限定でリクエストに応えて漢字一字を書いてくださることに。ワタシが書いて頂くなら「鳥」かぁ、あまりに奥が浅いわ。などと思っていると、先生は自分の根という物について話して下さった。自分はコンプレックスが強いけれど、その源の自分が愚かであることを認めてしまうことで、とても楽になった。だから自分の根は「愚」であると。

最初の年配の女性は「心」をリクエスト。そして次の男性は「和」をリクエスト。その方は心理カウンセラーをなさっておられて、子どもの教育問題について日々アタマを悩ませておられるそうだ。「和」が自立を妨げると言うけれど、決してそうではなくて、自立しているということは、自分の意見を言うことができるということ。

よく人の意見を聞くことが大事だと言うけれど、同じくらい自分の意見を言えることも大事。自分の意見を持って、きちんと言うことができるからこそ、人の意見にも耳を傾けることができて、それが和に繋がるのだ、という。おもわずホウッと聞き入ってしまう。

そのカウンセラーの人に、別の方が「あなたの根は何ですか?」と質問。意外にも「わたしの根は『悪」です」という。人と違うことをしようとすれば、それは『悪』であるとされる。自分は人と違うことをしたいと思っているので、常に『悪』なのだ。でも『悪」だと言われていたことも、時間が経つうちに正義に変わることもある。ただそうなったときに、それを押し付ければ、やはりそれは『悪』になる。

深いなぁ。もうこの時点で、自分がリクエストするのは諦めたわたし。とてもこんな深い話は出来ないもん。もともとこの会は悩める人のためのもので、わたしはどちらかというと、ボランティアの方に近い立場でもあるしね。一番右は、家庭内暴力で大変だった息子さんが玄さんのおかげで立ち直ったと言うお母さんがリクエストした「悠」の文字。息子さんの名前からだそうだ。

ネコ好きな方はそのまま『猫』。猫に教わることが多いというその方の話も深く、同じ動物でも、鳥にそこまでの思い込みはないのだ、恥ずかしながら。だって鳥を飼ったことすらない。ただその形状に異常に萌えるだけ。ああ、浅いのだわ。

最後の方は、先生の「愚」を受けて「愚直」の「直」を。最近、若いヒトたちと触れて、こんな風に器用に上手く立ち回ることがよしとされている世の中で、愚直なまでに真直ぐに生きている若い人もいることに、とても感激したと言う年配の女性。それを受けて先生は、やわらかな「直」の文字を書かれた。硬い直の字をあえて柔らかく書くことで、真直ぐな人は柔らかい心を持っている、という事を表現したかったのだそうだ。

ああもう、深すぎる・・・

わたしの『根』ってなんだろう。実は意外と、いろんなことに強いこだわりのない自分。そのときは泣いたり感情のぶれ幅が大きくても、過ぎてしまえばどうでもよくなる。(あ、それって普通?(笑))どんなにイジワルされた相手でも、相手が変わってくれればまた仲良くなれると思う。

『流』とか『遊』・・・・引っ越しの多い人生だけれど、それもさほど苦痛ではない。自分の前世はジプシーなんじゃないかと思ったことがある。あるいは狩猟民族。だから「流れ流れて行く」「遊牧民」そんなイメージ。

きれいな花を見て、根っこを思う人はいないように、その人の「根」の部分は見えにくいもの。でも根がなければ花は死んでしまう。自分の根を大切にしたい、と思うのだった。まだまだ浅くてきちんと張ってない気がするけれど。

080120gen3.jpg最後がギターの生演奏。一口にギターと言っても、いろんな演奏法があるのだな、と思う。エスニックな民族音楽に影響を受けたと言う曲がカッコよかった。ギターを叩くことで、打楽器以上の効果が上がっていたと思う。故郷の神戸を思って作った小粋なジャズっぽい曲から、最後はなんと琵琶法師にまでなられて、いろんな曲が楽しめた。

ホントオナカイッパイな一日。いつもここに来ると活力を貰う。玄さんの本にもあったけれど、強い力を持つ人(権力という意味ではなく)のそばにいて、言葉を交わさずとも空気を共にするだけで、いい気を貰えると言う。わたしにとって玄さんやここはそんな感じ。

今のところ、直接助けてもらわねばならないようなことは、ありがたいことに何もないけれど、いろいろ大切なものをいただいている。それをどうにかして返していきたいと思うのだ。


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