2007 ぶんか社 玄 秀盛
このブログを読んで下さっている方の中には、わたしが救護センターと関わっていることで、わたし自身もDVだとか差別などの被害者なのでは、と思う方もいるかもしれない。でも残念なことに、というか、ありがたいことに、わたし自身は、そういうことには全く無縁な人生を送ってきていると思う。
そんなわたしでも、人生は思うようにまかせないものだと感じることも多いし、たとえようのない無常観に押しつぶされそうになることだってある。今の自分を客観的に眺めてみれば、何と幸せな人だろう、と誰もに言われそうだ。それなのに、明るい気分には到底なれそうになかった。
いやむしろ、今が幸せだと感じるほどに、それが長くは続かないものだと、そう思ってしまうのかもしれない。今の光が眩しいほど、失ったときの闇の深さを思って、恐怖に怯える。起きてもいないことを一人危惧するほど愚かしいことはないはずなのに。
それがホンの一週間ほど前。けれど『ラッシュライフ』を読んで、この本を読んで、急に視界が開けるようなそんな想いに胸が熱くなった。生きてるってだけで、なんて素晴らしいことなんだろう。それだけじゃない。今のわたしには、わたしを必要としてくれてる人がいる。仕事だって少しずつ入ってきている。
前途は洋々、とは言えないかもしれない。先のことなんてわからない。けれど、わたしの中にある不安は恐れは、見えていないものだ。世の中には、目の前の暴力や理不尽な出来事におびえ苦しみ、闘っている人が本当にたくさんいるのだ。
こんなわたしのような悩みを救う術は、玄さんにはないだろうし、(ナニ甘ったれたことを言ってるんだ、と言われそうだ)そもそも救う必要なんてないようなものだけれど、世の中には本当に救われなくてはない生活の中にいる人というのも存在する。
そんな人に、最後まで見捨てない人がいる、と、それを知って欲しい。この本を読んで、どうか死ぬのだけは思いとどまって欲しい。この本を読むと、もちろん玄さんが誰のことも救うことが、出来るわけではないと言う限界も感じさせる部分もある。それはつまり、救われようとしなければ、自分が変わろうとしなければ、何も帰ることは出来ないのだと言うこと。
玄さんのところに駆け込んで来るのは、暴力や虐待などの被害者だけでなく、心の病に苦しんでいる人もとても多い。私の友人知人にも鬱病の人などがとても多いが、無理矢理引っぱって行っても、ダメなのだ。自分から変わろうと思わなければ。この本を読んだ後に、センターの新年会に出て、その話をすると、「鬱の人は、自分が一人じゃないと言う安心が欲しいから、とにかく話を聞いてやるんだよ。一人じゃなくて大勢でね。大勢の仲間で聞いてやると、一人じゃないって思えるから」と記者S氏にアドバイスされた。さすが奥さんがカウンセラーだけあるなぁ。試してみようと思う。時間はかかっても。