10月に吉井さんのライブに行くことが決まり、ウキウキのワタシ。土屋アンナちゃんとの対談ページを見つけ、ちょいといろいろ考えた。吉井さんにとってROMANTICとは意外にもPUNKであり、「シド&ナンシー」なのだそうだ。
PUNKといえばセックスピストルズであり、ピストルズと言えばシド・ヴィシャス。(と短絡的に話を進めては、ホンモノのパンキッシュに怒られそうだけど)
シドの周りの人からは、ナンシーこそシドを破滅に追いやった悪魔のような女、だと言われてるようだけど、その実、男の人の中には、そう言う悪い女にはまって、破滅させられてみたい、というような、そんな願望があるんじゃないのかな、なんて思ったりする。
それこそがRomantic?
いやシドは、ナンシーに救いを求めこそすれ、破滅させられるなんて、思いもしなかったかもしれないけど。
あとね、吉井さんとアンナちゃんの対談中にある「男は女の子のためにやってあげたい願望がある」ですが、これって本当に個人差があるよね。
とにかく彼女の喜ぶ顔が見たくて頑張っちゃう男性もいれば、サービス精神って言葉が皆無の男性もいる。要はバランスで、頑張っちゃう男性と、それが嬉しい女性、面倒くさがりの男性には、そういうの無くても平気だったり、むしろ頑張られると負担になっちゃうような女性がくっつけば、きっと問題はないんだろうな。
※シド・ヴィシャス(Sid Vicious, 本名はJohn Simon Ritchie, 1957年5月10日 - 1979年2月2日)は、イギリス、ロンドン生まれのパンクロッカーであり、極度の麻薬中毒者。セックス・ピストルズの2代目ベーシストであるが、加入当時は全くベースが弾けず、その後もまともに弾けるようになったかは疑わしい。それにも拘らず、そのパンクロックを地で行く生き方から、彼を「パンクの精神」と呼び、崇拝する人間はイギリス国内外問わず数多い。1979年2月2日夜、薬物の過剰摂取により死亡。享年21。
土屋アンナの「あんさんホスティス修行中」http://www.flying-postman.com/anna/13/latest01.php?acd=4
「PUNKってすげぇROMANTICだよなぁって思うんだよね。トレンディドラマみたいなチープなROMANTICはいらないんだよ。」
アンナ「今回のテーマはROMANTIC!突然ですけど、吉井さんはなに座ですか?」
吉井「天秤座!」
アンナ「へぇ〜」
吉井「へぇ〜って(笑)! 一番ロマンティストな星座だよ!」
アンナ「いいや、それは魚座です。(キッパリ!)だって私、魚座だもん(笑)」
吉井「あはは! じゃあ二人共ロマンティストってことだね。(笑)ロマンティストって結局“自分好き”だよね」
アンナ「私は自分好き! でも大っ嫌い!」
吉井「そうなの(笑)? でもロマンティストってさ、やっぱりナルシストだよね。それを正当化するものっていうかね」
アンナ「うん、そうなのかもしれないな〜」
吉井「さっき、ウェディングドレス着たいって言ってたじゃん。それってロマンティストじゃない?」
アンナ「そうですか? だってそりゃ、女ですもの〜(笑)!」
吉井「だって、“結婚式なんかしなくても貴方と一緒にいたい”って女の子もいるよ?」
アンナ「結婚式はやる(笑)。海で、裸足で、ドレスももう決まってるの!」
吉井「ROMANTICって、妄想だよね。(笑)まぁ、男としてはそういう女の子の夢はなるべく叶えてあげたいよね」
アンナ「うん。男の人は“女の人のためにやってあげたい”っていうのがあるみたいだよね。女の人は自分勝手にあれやりたい、これやりたいって感じだけど(笑)」
吉井「俺、ROMANTICなことしそうに見えるでしょ?」
アンナ「うん!」
吉井「でも、しないんだよね〜」
アンナ「今までの恋愛でROMANTICなエピソード、何かありますか?」
吉井「う〜ん。どの恋愛にしようかな〜(笑)」
アンナ「あはは!」
吉井「ってのは嘘だけど(笑)。やっぱり静岡から音楽やるために上京した時かな。その時、付き合ってた彼女と別れたんだよ。で、彼女は“そんなことやっても成功しないよ!”なんて言ってて、俺は“絶対成功する!”って言って…」
アンナ「お〜〜!!」
吉井「な? それROMANTICだよね? で、10年ぶり位に再会したよ。彼女“おめでとう”って言ってた(照)」
アンナ「おおおお〜〜!!」
吉井「はいっ! もう終わり(笑)! アンナちゃんは?」
アンナ「あたし? 居酒屋しかないな(笑)。デートとか、汚いところで二人で飲むのが好きなんですよ。下ネタとか話なしながら(笑)」
吉井「し、下ネタ!? どんなやつ? どれくらいの下ネタ(笑)?」
アンナ「え、普通の下ネタも余裕だし…。私、好きな男の前でもこんな感じなんですよ」
アンナ、携帯の着メロ鳴る。 一同爆笑
アンナ「あ!! すみません! ほら、私いつもこんな感じだから、相手も“アンナだったら居酒屋でいっか〜”ってなっちゃうの(笑)」
吉井「はは。俺もデートは飲み屋が多いね。日本のお化け屋敷みたいなとこで飲むの好きなんだよね」
アンナ「それって、ちょっと私とかぶってません? やった(笑)!でも、本当にただの居酒屋とかで、変にカッコつけないでいる自然な空気が好きなんですよ」
吉井「うん、それわかるなぁ。俺、映画『シド&ナンシー』がすごくROMANTICだと思うんだけど、吐いてる男を女が抱きかかえて帰ったりするシーンとかさ、すごくいいよ」
アンナ「あ〜わかるわかる! 私も、酔いつぶれた男をよく抱きかかえてましたもん!」
吉井「本当に(笑)? でも、あのシーンとかも含めて、PUNKってすげぇROMANTICだよなぁって思うんだよね。トレンディドラマみたいなROMANTICはオレには向いてないんだよ。俺なんかそういうところに惹かれてROCK始めたわけだよ。でも、ちょっと売れてくると、レコード会社とかに“一般的な人にもわかりやすいROMANTICな曲を歌え”とか言われるわけ。でも俺は“無理です!”って。俺の思うROMANTICな感覚をわかってくれる人が集まってくれればいいと思ってるし、ROCKやってない人でも、それをわかる人はいるからね」
アンナ「うん! もう! まさに、同感です!」
ホンモノのシド&ナンシー
シド&ナンシー
ロック界でも有名なカップルの一組。
77年2月、ピストルズの一員となったシド・ヴィシャス。その翌月にアメリカのフィラデルフィアという町の中流階級の家庭で育ったナンシー・スパンゲンがイギリスへ来たのだった。何一つ不自由のなかった生活を送っていたがナンシーは情緒不安定で家族から邪魔者扱いされていた。そのためか彼女は10代のころに二度自殺を図っている。
彼女はコロラド大学へ入学するも、17歳のときに逃げ出しニューヨークへ移住してしまった。しかし17歳という年齢のために資金などがなかった。そのため彼女はストリッパーの仕事を見つけ数週間のうちに近くのライブ・サーキットにいついていた。彼女はそのとき有名な人とならば誰とでも寝るような女として知られるほどになっていた。
イギリスへ来たのはそのライブ・サーキットで知り合ったハートブレイカーズというバンドに付き添って来たのだった。また、このNYから来たバンドによりロンドンのパンク・シーンにヘロインが持ち込まれたのは言うまでもない。ナンシーは到着すると「有名なジョニー・ロットンとセックスがしたい」と告げていた。
その後ロットンと出会うことになったがロットンは彼女を拒絶した。その場にいたシドは彼女の事がかわいそうになり、いつしかナンシーと付き合うようになった。しかし、ナンシーと付き合い始めてから純粋だったシドに変化が現れ始めるのであった。
SEXとヘロインに明け暮れるようになり、それはピストルズが解散しても治まることはなかった。
ピストルズが分解した後、彼らはアメリカに飛んだ。理由はソロで活動しようと思ったからだった。そんな彼らが泊まっていたホテルは「チェルシーホテル」という名前で、麻薬天国と言われるほど麻薬に取り付かれた人が集まる場所だった。シドたちのバンドはこれといって成功はなかった。この頃、道を歩けば周辺の人たちからリンチにあうなど、いつも体のどこかに傷跡があった。それゆえにシドはいつしかロンドンに戻りたくなり「ハロウィンのショーが終わったら必ず戻るよ」という言葉を漏らしていた。しかしそんな彼がロンドンに戻ることはなかった。
10月12日にナンシーやチェルシーで知り合った麻薬中毒の仲間たちとショッピングに行っていた。そこでシドは周りの人から叩きのめされるのを防ぐためにナイフを買った。その後、チェルシーホテルの100号室にナイフで刺され血まみれとなったナンシーが発見された。
警察はシドを逮捕した。まもなくレコード会社から借りたお金で出所。その後自殺を図るも未遂で終わる。喧嘩を起こしまたも刑務所に送り戻された彼に犯罪者からのリンチが待っていた。
79年2月1日釈放された彼は拳を空に掲げ勝利のポーズをとっていた。しかしその12時間後、彼はこの世を去っていた。原因は出所パーティーで用意された純度の高いヘロインの過剰摂取だった。
1978年の出来事 http://nagoya.cool.ne.jp/b0y/1978.html
★シド・ヴィシャス/Sid Vicious(本名 John Simon Ritchie) 1957.5.10-1979.2.2
★ナンシー・スパンゲン/Nancy Spungen 1958.2.27-1978.10.12(USA、ペンシルバニア 21才&20才)2003
史上初めて反体制の放送禁止曲でヒット・チャートの頂点に立った伝説のパンク・バンド“セックス・ピストルズ”!そのベーシストでパンク・ロッカーの代名詞がシド・ヴィシャス(本名ジョン・サイモン・リッチー)だ。彼の名前はピストルズのヴォーカル、ジョニー・ロットン(現ジョン・ライドン)の飼っていたハムスターの名“シド”と、「危険・凶暴」という意味の“ヴィシャス”を合わせたもの。シドはピストルズの元メンバーだったグレン・マトロックが『ビートルズが好き』という理由でクビになり、その後釜としてバンドに迎えられた。
過激な歌詞で現代社会を攻撃しまくり、英国王室をコケにしまくった彼らは、保守層や右翼から敵視され、ライブ会場は常に大荒れ。米国南部のツアーでは「♪俺はキリストを信じない!」と叫ぶ彼らに激怒した客がステージへハンバーガーを投げ込み、ケチャップまみれで演奏が続けられた(この時興奮した客の一人がステージへ上がろうとして、シドから脳天にベース・ギターを叩きつけられた映像が残っている!)。
1978年1月18日、たった1枚のアルバムを発売しただけでピストルズは解散した。拝金主義のレコード業界や反ピストルズ運動にメンバーがウンザリしてしまったのだ。
シドの恋人ナンシーはドラッグ漬けで、その影響でシドもまたジャンキーとなってゆく。同年10月12日、ナンシーはNYのチェルシー・ホテルで何者かに殺害された(まだ20才だった)。同室には麻薬を過剰に摂取したシドがおり、彼はナンシー殺害容疑で逮捕される。
ナンシーの死の真相は現在も不明だが、刑務所でシドが
「昼も夜も彼女のことで頭がいっぱいだ。俺が彼女を殺すなんてことありえない。あんたが俺がナンシーを愛してたくらいに誰かを愛してたら、絶対殺すことなんて出来ないって分かるはずだ。彼女ナシじゃ生きていけない。二人で楽しく過ごした時のことばかり考えてしまうんだ」
と語っていることから、『麻薬ディーラーとのトラブルで殺害された』
『シドが麻薬の多量摂取で死んだと思い、ナンシーが後を追って自殺した』
『シドがナンシーを道連れに心中しようとし、殺した後自分も麻薬で死のうとしたが失敗した』という三つの説が伝えられている。
ナンシーの死から3ヵ月半、79年2月2日、シドは彼女の後を追うようにドラッグを過剰摂取して命を絶った(21才)。
彼は死の直前に母親にこう言った「ナンシーは向こう側で俺のことを待ってるんだ。もし急げば愛しいナンシーに追いつけるよね」。遺書には『俺達は一緒に死ぬ約束なんだ。こちらも約束を守らなきゃならない。ナンシーの隣りに埋めてくれ。レザージャケットとライダース・ブーツを着せたまま…さようなら』とあった。
彼の遺言はナンシーの両親から反対され実現されなかったが、シドの母親が彼の墓を掘り起こし、遺灰をナンシーの墓に撒いたという(すごい母親だ!)。
ロックミュージシャンの墓
http://kajipon.sakura.ne.jp/haka/h-rock.htm#vicious