庭園美術館の桜とCafe des Artistes Musee d'Art TEIEN(カフェ・デ・ザルチスト)

050407garden_museum1.jpg4月7日(木)
晴天の中、美術館巡りをしてきました。予想外の美しい八重桜に迎えられて。CASIOの小さなカメラが戻って来て、久しぶりに外出に持って行きました。思いがけずよく撮れて、自分でも大満足の出来映え。

050407garden_museum2.jpgわたしが庭園美術館を訪れるときには、なぜかいつも小腹がすいている。(決して、わたしがいつも、おなかがすいているというのではありません。←本当か?)

以前に庭園美術館を訪れたときに、食べ損ねたサンドイッチ。次は外のオープンカフェで食べようと思うのに、いつもランチの時間にたどり着けない。結局、他でランチを済ませ、午後に到着して、半分ほど鑑賞した後に「ちょっと休憩」と入るのが、館内にあるカフェ。

もう3時も回っていたのに、人気だと言うサンドイッチはまだ残っていた。なんてラッキー。しかもわたしでラストオーダー。庭をゆったりと眺めながら、のんびり紅茶といただくサンドイッチ。こういう時間は、本当にとても大切。

最近、ふと思うことがある。

近頃は、孤独感を感じることが少なくなった。どうしてなのだろう、と考えている。数年前には、本当に孤独で、いつも寂しさを感じながら暮らしていた。そう、ネットを始める前のことだ。仕事もしていて、習い事もしていて、家で一人でいる時間は、それほど長くはなかったのに。どうしてあんなに寂しかったのだろう?と不思議に思う。確かに、孤独を紛らすために、ネットは格好のものなのだ。声をかければ、誰かが答えてくれる。それがうれしかった。最初の頃は明らかに、自分にとってネットは、コミュニケーションのためだけのものだった。それはそれで、とても楽しかったのだけど。

でも今は、わたしにとっては、ネットは自己表現の一つの手段だと思う。というとおこがましいけれど、誰しも自分自身の心の中を表現してみたいと言う気持ちは、持っているのではないだろうか。このサイトを通じて、自分自身を表現して、発信してゆくことで、いつしか孤独と言う気持ちはなくなっていったのかもしれない。考えて行くうちに、ただ人と会ったり、話したりしたかったのではなく、その自己表現こそが、自分の探していた物なのかもしれない。そしてその中から生まれる交流を、求めていたのかもしれない。だから今は、寂しいとは思わないのだろう、と思うに至った。

ここは、わたしにとってとても大切な空間なのだ。こんなつたないわたしの書くものを、ほんの少しでも楽しみにしてくれている。そんな人たちと会える大切な場所なのだ。でも、いつしか形を変えたり、消滅したりすることもありえるのかもしれないし、それを恐れない自分でいたい。

何事もそうなのだのだろう。ずっと続くこと。そんなことはありえない。この命に限りがあるように。絵を描くことも、文章を綴ることも、食べて、寝て、呼吸することと同じように自分にとっての生活の一部になるように。必要だし、必然だけど、必死にはならない。サクラが咲いて散るように、あるがままに、すべてを受け止めて、見事に散り行くような、そんな人生を送りたい。

そんな思いで誕生日を迎えている。(写真撮影:CASIO EXILIM EX-Z40)


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