ひよこだがね・おまとめ

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ぴぴ と ぱふ のひよこカップルの名古屋的日常 と イラスト
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『ふたりの父』

今月はじめに、函館のダーリンの実家に帰省したときの話。

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ブログネタ:携帯電話持ったの何歳から? 参加中


この先、ちょっと長文です。


ひよこは、32歳から持ち始めました。
きっかけは、実父が倒れたこと。
いつでも連絡が取れるようにと持たされました。


実父はそのまま、帰らぬ人となってしまいました。
それから7年経って、ダーリンパパがひよこの義父になりました。


ダーリンの両親は、当時としては遅い結婚だったので
ひよこはダーリンより9歳年上だし、ひよこにはさらに姉がいるのに
双方の両親はほぼ同世代です。

最近、義父は体調が優れないようです。
義父自身や、行く末を案ずる義母は、どれほど不安でしょう。


いくら近くに付き合いの密な親戚がたくさんいるといっても
一人息子と離れて暮らすのは、寂しくて仕方ないと思うのです。
でもそれを、絶対口にしないのです。

特に、冬は寒いから帰ってこなくていい、と言います。
お正月こそ、息子と一緒に過ごしたいはずなのに。


北海道までの旅費は、ひよこ夫婦にとって
家計を圧迫する負担であることも、わかってるんです。


だけど、両親の言葉に甘えてはいけないんです。


ひよこの実父が倒れたのは、2001年のGWから一週間後のことでした。


実はひよこは、その年に入って、一度も父に会っていませんでした。
2000年10月に名古屋に帰省してから、お正月もGWも帰らなかったんです。


父が倒れて、亡くなってから、そのことをどんなに悔やんだか。


両親の家には、メロンがおいてありました。
4月に、ひよこのために買った青いメロン。
「GWにぴぴが来たら、一緒に食べるんだ」
と、父は何度もなでていたんだそうです。


5月半ば、熟れすぎたそのメロンを
病院から帰って、母と一緒に食べました。


父は植物状態のまま、意識が戻ることなく息を引き取りました。


だから、意識のある父に会ったのは、2000年秋が最後でした。


どうして、GWに、いやせめて、お正月に帰らなかったんだろう。
名古屋だったら、春にだって帰れたじゃないか。


悔やみました。今も悔やみ続けています。


そんな後悔を、ダーリンにはさせたくないのです。


ひよこは本当に寒いの苦手なんですけど、この冬は函館に帰ろうと思います。
もしくは、こちらに来ていただけたらいいなぁ、と思うのです。
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