ひよこパフェ

2023〜2024年の記録

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学歴か?実力か?

250902_UHIJ8399.jpg(2025/9/2)
地場のスーパー・バローの勢いがスゴイ。

そんなバローの中でも「特別なバローにしかない」というケーキを入手!
クリームもスポンジもふわふわでフルーツたっぷり!

おいしゅうございました。
税込で約1700円。
1切れ400円と考えればやっぱ安い。




はじめて会った人から「クマモンみたいに」と著作権譲渡前提の話をされたり
美大出てるんですか?と聞かれたり
モヤモヤするなぁと思いながらスレッズを開いたら、学歴問題、話題になってるのね。

ちなみに、イラストレーターは、美大出てる人の方が少ないです。
日本でもあまり学歴を気にする人は少ない分野。
だからひっさびさに聞かれて驚いた。



250902_3806_n.jpg250902_3807_n.jpg250902_3808_n.jpg昨夜、Xがこの話題でもちきりになっていて、ますます暗澹たる想いになる。わたしは著名ではないけれど、売れていないわけでもない。いわゆるクラウドソーシング経由の激安案件(1文字1円以下)の仕事など受けていない。むしろ多くのライターが「ゴールにすべき」と書いている金額の案件を受けている。

そして仕事がないわけではなく、常に忙しい。それでも、「このまま食べていくのは難しい。いや、もう無理」と思うことも少なくない。

この発言の方がいうように、そもそもの原稿料が安すぎるのだ。しかも昨今ではライター自らが写真を撮ることを求められ、一眼レフ必須だったりそこそこのクオリティを求められたりすることも増えて来た。取材で話を聞くだけでも手いっぱいなのに、どうやってカメラマン並みの写真を撮れというのか。一眼レフを購入する経費など出るわけもない。写真をセレクトしたりレタッチする時間も原稿料には上乗せされない。すべてライターの持ち出しである。

誠実なライターであるほど一つの記事に魂を込める。だから一日に何本もの記事を量産することは難しい。取材記事は、下調べに数日かけ、半日がかりで取材して、記事を数日かけて書き、事実確認や修正でさらに数日費やす。それでもらえるのは、おそらく同世代なら1日分程度の収入である。原稿料では、1週間働いて会社員の1日程度にしかならないのだ。

今までで「かなり月収を稼いだ」と思えたのはたったの2回。
1度は会社員との兼業で睡眠時間3時間程度で起床して15分後には家を出て出勤するという離れ業をして切り抜けた結果、その1カ月の記憶が飛んだし、その後1カ月は疲労とストレスのせいで胃痛で苦しんだ。

もう1回は原稿書きだけだったが、とにかく忙しく、毎日取材と寝食以外はずっと原稿を書いても月に1日も休みがなかった。あんな生活は1カ月が限度だ、と思う。(このころに宮田が家事をするのが定着した)

その上にさまざまな費用の持ち出しも厳しい。以前は取材では必ず手土産を持参したが、これはもちろん自腹。最近はやむにやまれず、手ぶらで行くことにした。当然お茶代など出ないし媒体によっては交通費も自腹。たとえば2〜3万円原稿料をもらっても、自腹で毎回3千円〜5千円ほど出ていくのである。自営業=経費を使いまくってウハウハなイメージがありそうだが、実態はこんなものなのだ。

とこう書くと「じゃあ会社員になればいい」「好きなことをしてるんだから我慢しろ」「人気のないおまえが悪い」などなどと言われるようだけど、そういう問題ではないのだ。

わたしは10年ほど前に久しぶりに会社員をして、しみじみ自分には向いていないと感じ、会社員を回避するためには何でもすると決めた。

「好きなこと=クリエイター」ではないだろう。クリエイター以外の人は、仕事がつらいことばかりで我慢ばかりしているというのだろうか。どんな仕事につらいことはある。クリエイターの仕事ももちろんそうだ。クリエイターじゃなくても仕事に楽しみを見出している人は多いし、その人たちはきちんと対価を得ているのに、なぜクリエイターだけが「我慢しろ」と言われるのか。

ライターやイラストレーターは人気稼業ではない。一般の人に知られていなくても稼いでいる人はいる。わたしも一般の方と知り合ってファンが欲しいと思ったことはないし、ちやほやされたいとも思っていない。クライアントから必要とされれば生きていける職業なのだ。


先日ある人から、イラストの仕事の打診を受け、「くまモンなどもそうですが、著作権を放棄する意思はありませんか?」と聞かれて愕然とした。著作権の放棄はイラストレーターにとって禁じ手である。それなのに「できない」というと「強欲だ」というような顔をされる。

くまモンは禁じ手をおこなっただけなのに、まるでそれがスタンダードのように認識されることが増えるのは恐ろしいことだ。

著作権の放棄がなぜダメなのかは、お金の問題だけではない。もちろんお金の問題はシビアで重要だ。でも、我々が仕事を引き受けるときには、決してお金の面だけで決めるわけではない。我が子に等しいイラストがどのような場面で使われるか、それは重要な問題だ。

イラストは個性がある。パッと見て誰の絵かすぐにわかるため、タレントとほぼ同じ扱いなのだ。広告では同業他社の仕事を同時には受けられないし、たとえば、トヨタの仕事を受けたら終了後5年間は日産などの仕事は受けられない。

しかし、それも自分に著作権があればこその話。たとえば、トヨタに著作権を譲ってしまったら、最初にトヨタから得た報酬のみで永遠にトヨタにイラストを使用され、二度と自動車関連の仕事は受けられない。生涯で考えたら一体いくらの損失になるのか。

また、譲渡された著作権はさらに譲渡もできるため、トヨタが別の企業に譲渡するのも自由だ。たとえばトヨタが自分の主義に反する業界(わたしだったら原発や軍需関連やギャンブルなど)に譲渡して、戦争のプロパガンダや原発推進やパチンコ台に自分のイラストが転用されても、何も異議を申し立てることができないのである。

これが「イラストレーターが決して著作権を譲ってはいけない理由」である。

話は逸れたが、そんな中AIが台頭し、ますます厳しくなっていく。「ならやめればいい」と簡単に言う人もいるかもしれないが、これはわたしのような末端〜中堅のライターだけの話ではない。

おそらくこのXを発言した一般的に「売れている」と思われている人でも内情は厳しく、突然売れっ子のライターやエッセイスト、イラストレーターが大量に廃業する事態が起きかねない。

そうなれば、世の中の文化が死ぬ。残るのは今までクリエイターたちが作り上げたものからの絞りカスでしかないAIの作品のみが残る墓場のような世界である。それで本当にいいのだろうか。

わたしたちは後ろ盾もなく保障もない、社会的弱者なのだ。もっとわかりやすい弱者たちと比べて、同情もされないし支援もされない。自己責任の極みである。でもいつか、この時手を差し伸べなかったせいで失われたものの大きさに、世の中が愕然とする未来が来ると思う。

払えるところ、体力のあるところから原稿料の相場を上げていかないと、その未来は想像以上に早くやってくるかもしれない。
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