ようやく大きなヤマに着手〜もう死んでもいいと思いながら生きることは幸せなのか
(2024/10/15)
ずっとめちゃくちゃ忙しかったのだが、それがようやく落ち着いて、ずっとやりたかった仕事に着手している。
これはこれでとても大変なのだけど、でもずっとやりたかった仕事なので、頑張るのだ。
素敵にできますように!
いや、できるから依頼されたのだ、だからできるのだと信じるのだ!

先日の日記には「お気楽に生きていきたい」と書きましたが、ここだけの話、最近考えるんです。
「一体わたしは、何のために生きているんだろうなって」
あ、悲観的な意味ではありません。
自分が今まで生きて来た軌跡を振り返ると、なんだかもうそんなにやり残したことはないように思える今日この頃。
もしかしたら、もういつ死んでも、後悔はないんじゃないかと感じるのです。
仕事の上でも、本も何冊か出したし、大きな媒体で連載を持つまでになった。
いやいや、世の中のすごい人と比べたら、自分なんて全然大したことないのはわかってるんですけどね。
まだ何事も成し遂げてはいないけれど、それでももう十分自分は頑張ったな、と思うんです。
だって、20年前のわたしは、ただ毎日花を育てて花の絵を描いたり食器に絵付けしているだけの主婦だったのに。
18年前にイラストの仕事をはじめて、10年前だって、ようやく定期的にイラストの仕事をもらえるようになったばかり。
この20年間で、見える景色は変わりました。
でもね、別に死にたいわけではないのですよ。
ということは、生きて行かねばならない。フリーランスにとって「生きる」とは、まぁまぁ戦いなので。
なんか、こんな風に戦ってまで、生きる意味あるのかなと。
そんな堂々巡りに陥っています。
数年前、いや割と最近までは、とにかく仕事が欲しくて安定させたくて、必死だったのだけど。
そこから抜けるとこんな風になるんですね。
とはいえ、油断したらすぐに仕事はなくなるので、気合い入れて頑張ります。
ずっとめちゃくちゃ忙しかったのだが、それがようやく落ち着いて、ずっとやりたかった仕事に着手している。
これはこれでとても大変なのだけど、でもずっとやりたかった仕事なので、頑張るのだ。
素敵にできますように!
いや、できるから依頼されたのだ、だからできるのだと信じるのだ!

先日の日記には「お気楽に生きていきたい」と書きましたが、ここだけの話、最近考えるんです。
「一体わたしは、何のために生きているんだろうなって」
あ、悲観的な意味ではありません。
自分が今まで生きて来た軌跡を振り返ると、なんだかもうそんなにやり残したことはないように思える今日この頃。
もしかしたら、もういつ死んでも、後悔はないんじゃないかと感じるのです。
仕事の上でも、本も何冊か出したし、大きな媒体で連載を持つまでになった。
いやいや、世の中のすごい人と比べたら、自分なんて全然大したことないのはわかってるんですけどね。
まだ何事も成し遂げてはいないけれど、それでももう十分自分は頑張ったな、と思うんです。
だって、20年前のわたしは、ただ毎日花を育てて花の絵を描いたり食器に絵付けしているだけの主婦だったのに。
18年前にイラストの仕事をはじめて、10年前だって、ようやく定期的にイラストの仕事をもらえるようになったばかり。
この20年間で、見える景色は変わりました。
でもね、別に死にたいわけではないのですよ。
ということは、生きて行かねばならない。フリーランスにとって「生きる」とは、まぁまぁ戦いなので。
なんか、こんな風に戦ってまで、生きる意味あるのかなと。
そんな堂々巡りに陥っています。
数年前、いや割と最近までは、とにかく仕事が欲しくて安定させたくて、必死だったのだけど。
そこから抜けるとこんな風になるんですね。
とはいえ、油断したらすぐに仕事はなくなるので、気合い入れて頑張ります。