3.11と確定申告無事終了。

160309_IMG_1013web.jpg2016.03.09 Wednesday
確定申告があっという間に終わったので、気をよくして
ちょっと見たい店があり大名古屋ビルヂングへ。
すごい人だと思ったら、今日オープンだったのね!?
15日までだというネコ限定のお店「Cat's ISSUE」で
キュートなピンバッヂを入手。

気になる本屋さん、LIBRETTO NAGOYAもモチロン覗いてきた。
ほぼ半分雑貨屋さんで、本はとっても少ない。
ここに本を置いてもらうのは、大変な競争率だと思った。
自分の本じゃなく、イラスト担当した本でもいいから置いて欲しい。
知り合いの本はたくさん見つけて、ちょーうらやましかった。
私も頑張ろう。

名古屋初伊勢丹で、さらに名古屋駅の流れが変わるかしら。
あまりの人にさっさと退散して、いつものカフェでお茶。
とりあえず終わったので、通常業務に戻ります。。。


                  


2016年03月06日(日)現代ビジネス
有川浩 エンタメの未来が危ない!作家・有川浩が決意の緊急提言「新刊本を買う意味」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47847
まとめ記事
http://togetter.com/li/946644

話題になっていますが、本当に大変なんです。

本を出して、そこでゴールと言う訳では無く、今後も漫画を描いて出版したい、と思った時には
金銭的に自分に入るためと言うこと以上に、結果を出せるところを見せるために、本を売らなくてはいけない。

その一つの指標が「重版がかかる」ということなのだけど、いかんせん、これがなかなかにムズカシイ。
(重版=初版(最初に刷った部数)が売り切れて、追加で刷られること)

一般の人が本を出版すると聞くと、印税でガッポガッポ儲かるというイメージなのでしょうが
いやぁ、売れる本と言うのはほんの一握りで、大抵の本は、数千冊売れるのがやっとで
一度の重版もかからないまま、消えて行く運命なのだそうです。
一度でも重版がかかる本は経った2割しかなく、つまり残り8割の本は、最初に刷っただけで終わり。

ぶっちゃけ、収入は、最初に何部刷ったかにもよりますが、よほどの人気作家でない限り
初版は5000〜6000部程度、定価1500円として、作家が手にする印税は、サラリーマンの1〜2か月のお給料程度です。

そんな厳しい状況の中でも、重版がかかるというのはとても大事なことで
最初の本で重版がかからないと次はないよ、と私も肝に命じているわけです。
(といっても、担当編集さんから露骨に言われたわけではなく、編集Tさんはそこは上手で
「重版かかったら、陽菜さんも『先生』ですよ」
とおだてつつ、プレッシャーをかけるという離れ業をやってのけるツワモノ。)

昔は、最初の本が売れなくても、もう少し長い目で見てもらえて、作家を育ててもらえたものだったのだろうけど
今は出版社にもそんな体力がないのです。

しかし、重版について、今日、ちょっと衝撃的な出来事があったのでした。

LIBRETTO NAGOYAに大人気ブログが書籍化されたコミックエッセイがシリーズで3冊並んでいました。
よく見ると帯に「ドラマ化決定」と書いてあり「おお!」と思い手に取りました。
この本って1冊目が出たのはいつだったっけ?と何気なしに奥付を見て、ビックリ。。。

1冊目は2011年に出ていました。そっか、5年前か。人気のコミックでも、ドラマ化までは5年かかるものなのねー。
それはいいのですが。。。

あんなに人気で、シリーズで3冊も出てるコミックエッセイなので、当然何度か重版がかかっているとばかり思っていたら
重版が2刷目だったんです。
それだけでなく、その日付が今月になってからだったのに、本当に驚きました。
それはつまり、ドラマ化が決まってから、ようやく重版がかかったということです。。。よね。。。
しかも3冊とも同じ日付で重版がかかっていました。

驚いた点は二つ。
あんなに人気があったブログが書籍化されても、重版ってかからないものなんだってこと。
そして、重版がかからなくても、シリーズで出ることもあれば、ドラマ化されることもあるってこと。

これは期待してイイことなのか、それともここまで来てしまったということなのか?
重版がかからなくても長い目で見てもらえていると言う訳では、よもやなかろう。
では、もう重版がかかるってこと自体が、珍しいことになって来ているってこと?

どうなんでしょうね。

ひとつ言えるのは、この人気ブログ、私も読んでいましたし、単行本も描きおろし部分の最後の一冊だけ持っています。
すごくおもしろくて大好きな作品です。
よい作品ならば、そんなに売れなくても、こうして陽の目を見ることはあるってことなのかもしれません。
そう考えると、希望が湧いてきました。

とりあえず、私は二冊目の刊行が決まっていて、三冊目もほぼ出せそうなところまで来ている。
これはとても恵まれていることなんだと思います。だからこそ、結果を出さないとね。
支えて下さる、たくさんの方たちのためにも。


                  


2016.03.11 Friday

震災から5年。
震災の少し前に始めた脱ステなので、震災の歴史はと私たちにとって、闘病生活はの歴史。同じ時を歩んでいる。

2年前にFBに書いた日記が出てきました。
こんなこと書いたことすら、すっかり忘れていました。
自分の本に書いたことと、当たり前だけど、ほぼ同じ心境で、ホッとするような、驚くような。

2年前はどん底だったけれど、2年経った今も、まだ先は見えない。
もちろん、あの頃よりはお互い強くなったし、タフになったし、笑顔も増えたけれど。
それでも、はっきりと道が見通せる日が来るかどうかはわからない。

それでも、あの時選んだことを、絶対後悔はしないと思うのです。
どの道を選んでも楽な道なんて無かったと思うから、だったら、これでよかった。

そう信じていきたい。

あーなんか、ヘタレな文章が多いな、最近。なんかね、人はどん底の方が強いね。
ちょっと希望が見えると、すぐに期待して、すぐに凹む。
いつでもあの時の気持ちを思い出せるように。強くなりたい。

(2年前に書いた文章は続きに)


                  


2015年10月発売の実話エッセイ。アトピーって痒いだけの病気じゃないんです。



                  


2014年3月11日

震災から3年。
このFBでつながってる人の中には、私は名古屋の人、というイメージが強い方も多いかもしれないけれど
震災のあったあの日、私は都内に住んでいたのでした。江戸川区は震度5強。
          

先日、新しくお仕事をいただいた東京の編集さんと電話で話してて
名古屋に引っ越したのが2011年だと答えたら、一瞬、ちょっとした間があったような気がしました。

名古屋に引っ越すことを決めたのは、いろんな要素が絡み合ってのことで、一言では言い表せません。

彼の当時の仕事や会社の将来性に疑問や限界を感じたこと
彼自身が激務から、体調を崩しがちになっていたこと
彼の33歳という年齢
そんな中、引っ越しと言う背中を押したのは震災だったかもしれません。

震災のあった日も、彼はたまたま体調を崩し、会社を休んで家にいました。
当時は江戸川区から川崎まで1時間半くらいかけて通っていましたので
もしも無理をして出社していたら、どうなっていただろうと思うとゾッとしました。
このままこの東京にいて、この仕事を続けさせてよいのか。

東京での3年間、私は絵本の勉強や帽子や、好きなことばかりしていて、彼だけが激務に追われて働いてくれました。
その傍ら、彼が好きな写真の上達のために陰でずっと努力し続けていたのも知っていました。

彼は、決して自分から会社を辞めたいとは言いませんでしたが、私は楽になってほしいと思いました。
それで、会社を辞めて、名古屋で、写真の学校に通うことを決めたのです。

あれから3年。
彼が学校に通って、2年が経ち、晴れて卒業の日を迎えました。

私は、どんなに嫁バカと言われても、私だけは彼の才能を信じていこうと決めています。
けれど、学校からも、ありがたいことに評価をいただき、在学中からお仕事させていただいてましたが
卒業後もフリーランスとして、引き続き仕事をしていくことが決まりました。

二人でフリーと言う不安定さに耐えかねて、私が昼間の仕事を始め、今は私の方が激務に追われております。
そんな私に申し訳ない、と彼は言うのですが、けれど、負け惜しみでなく
自分ばかり好きなことをしていた東京時代より、今のほうが幸せに感じます。

二人で助け合って生きてる、と今は言えるからだと思います。

長くなりましたが、今後とも、宮田雄平と陽菜ひよ子を、どうぞよろしくお願いいたします。。


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