ひよこパフェ

2023〜2024年の記録

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出ることのなかったコミックエッセイ

(2025/11/13)
元夫に、ちょっとお願いがあって、かなり長文で丁寧なメールを送った。お願い事以外にも、近況はどう?とか、いろいろ気遣いを見せたメールを送ったのだが、しばらくして、たった一言「それはご勘弁を。」とだけ返ってきた(悪意はなし)。。。まぁ、断られるのは仕方がないにしても、いくら携帯でも、もうちょっと、違ったメールって送れないものか?(笑)

私がこういう、機関銃のようによくしゃべる女なので、配偶者は二人とも無口ではあるのだが、その無口の質が違って、今の夫は、聞き上手で、いつまでもしゃべり続けてしまう楽しい無口。

でもかつての夫は、そんな私ですら、喋るのが嫌になってしまい、お通夜みたいな家庭だった。おはよう、や、おやすみ、すらめんどくさがる人で、そんなにしゃべるのが勿体ないの?と何度か問いかけたい衝動に駆られたものだった。何かちょっと懐かしい(笑)
これを読んで「元夫にお願いって何だろう?」と今オットに聞いてみたら、しばらく考えて「離婚本?」と返って来た。そうだった。2015年10月に出たアトピー本(コミックエッセイ)と同時に別の出版社で動いていたのが、わたしの離婚に関するコミックエッセイ。

たぶんこのときはまだその企画が動いていて、編集Sさんから「元旦那さんから現在のコメントが欲しい」とか何とかいわれて、頼もうとしたんではなかったっけ?
元々企画してくれてめちゃ熱意を持ってくれていた編集Fさんが産休に入ってしまい、代理の編集SさんがFさんがOKをくれたネームを全否定したことから、なんか書けなくなったのよね。もともとあまり乗り気の企画じゃなかったし。で、そのままポシャったけど、後悔はない。

本1冊分のネーム(しかも何度も書き直した)は残っているので、気が向いたらどこかに発表するかもしれない。でももう本1冊分の漫画を描く気力も時間もないのよね(笑)仕事しながら趣味で漫画描いてる人ってスゴイな。
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映画『教皇選挙』と自分の立場にふさわしい話

(2025/9/23)
映画『教皇選挙』をアマプラで観たのだが、イマイチ面白さがわからんかった(こういう映画をこう書くって、すごくバカっぽいよなぁ)。まず顔と名前を覚えるのに時間がかかる。特に序盤は、本人のいないときに名前だけ言われても、サッパリ。まだ家だから途中で相関図や表を見たりできたけど、劇場だったらお手上げだったわ。

中盤から人がわかってきて、あの神がかりなシーンからラストまではおもしろかったけど。でも「まぁこの人がなるんだろうな」と予想がついたし、「教皇が手配した治療をやめた」ことから、その治療も予想がついた。なので、あまり驚きもなく。

この映画は「教皇選挙ってこういう雰囲気なのね」「枢機卿ってどこまでも人間臭いのね」の2つを知り、楽しむための映画だと思っていい?いやきっと「これらのことのどこまでが、前教皇が仕組んだことだったのか?」と考えるのがおもしろい映画、なのだろうなぁ。あと聖書を理解して、ステンドグラスの意味までわかると、もっと楽しめたのだろう。


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もう10数年前の話、友人がネット上の発信について「何を書くかより、何を書かないかが大事」と書いていて、ホントそうだなと思った。彼女が書かないと決めているのは「政治的なこと」

わたしは、そういった大きな「書かないこと」はないんだけど、「書き方」には気を付けている。自分の立場でこれを書くときに、不遜になっていないか、逆に自分がいうべきことを遠慮していないか。

こういうことを考えるようになったのは、あるきっかけがある。

もう10年以上前、美術館で偶然知人に会った。並んで見始めたら、いきなり相手がその展覧会の解説をはじめたことがある。その知人は美大を卒業しているわけでも美術関係の仕事をしているわけでもない。なお、わたしよりやや若い女性なので、「教えたいおじさん」でもない。

こう言っては何だけど、わたしは絵の道ではプロである。たぶん彼女の数倍の展覧会をわたしは見てきている。

その相手に「この絵はこういう意味なんだよ。こういう意図で作られてるんだよ。この展覧会にはこんな狙いがあって」などなど上から目線で解説できるのは、つまり、わたしより自分が上だと思っているからなのだろう、とモヤモヤした。(黙って聞いてたけどね)

すると数年後、彼女と共通の知人で建築家の女性と食事をした時に、相手が彼女のことをこう言った。「あの子は身の程知らずだから」と。

「ある建築家の集まりに彼女が参加して、周りは建築家だらけの中で、いきなり解説をはじめて、講師から『キミはどの立場でそういうことをここで言うのかな?』と言われていたのよ。でもそういわれても、全然本人は気にしていないけどね」

そうか、建築家に建築論を論じられるくらいの人なら、イラストレーターにアート論を語るなんてどうってことないことなんだな、と納得した。

思ったのは、モヤモヤする発言をする人は、どこででもそういった発言をしているということ。そして彼女はわたしより上だと思っているというより、単に「自分はスゴイ」と思い込んでいるんだなとも感じた。

言い方も大事だ。「私も雑誌で読んだんですけど、この展覧会ってこういう意図で開催されてるんですってね。ご存じでした?」みたいに言われれば、抵抗なく聴けたと思う。建築家さん相手でも「素人考えかもしれませんが〜」みたいに言えば、受け入れられたのではないか。

そして、自分の立場で言っていいことかどうかは、自分を客観視することにもつながるので、常に意識した方がよいよね、と思うのだった。
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フィギュアブーム、こっそり継続中

250920_IMG_6972.jpg(2025/9/20)
建築家でまちづくりの専門家・尾関利勝さんよりご著書をご恵贈賜りました。

まちの町医者、というのが素敵なタイトルですね。町医者さんって患者さんのところに来て治してくれるイメージ。まちに来て治してくれるお医者さんの記録。尾関さんは名古屋だけでなく全国駆け巡ってお医者さんをされてきたのがスゴイ!読ませていただきます。


サウナに夜に行く習慣がついて、帰りは夜風が気持ちよい季節になって来た。
でもまだ冷房はかけている。ようやく寝るときには必要なくなった。


まだまだフィギュアにはまっている。日にちを置けば永遠に作れるかと思ったが、そんなに甘くはなく、いきなり作れなくなった・・・(涙)
とりあえず、作った一部。今回はファッション付き。

ベトナムにて。係のおばさんの再現力高い。ファッションまで・・・(笑)
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結婚前。芦花公園にて花見。花見にこんなキメッキメで出かけておりました。リバティのゴブランのベストにロイスクレヨンのスカート。
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東京時代の自分を代表するファッションだと思う。上下マッシュマニアにバラ色の帽子。
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ホコモモラのお気に入りのスーツ。オットの写真学校の入学式に一度着たきり太って着れなくなった(涙)
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浜松にて。まだまだ派手だったころ。ラルフローレンのタンクトップにモスキーノのジャケット。グリーンの三ニスカも気に入ってたなぁ。そしてこのバッグ、よく使ってたのね。
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いろんなことが心をよぎった映画。べらぼう巡回展へ。

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今日はあいち国際女性映画祭4日目。楽しみにしていた『繕い裁つ人』。
10時からスタートで、9時半に着いたらすでに並んでるお客さん。プレス席は大丈夫と言われ、50分ごろに再度上がると目の前に監督が。

とても素敵なお衣装をお召しでした。わたしも今日はとっておきの服を着たかったんだけど、サイズ的に無理でした。ああ!市江さんがいてくれたら!

画像左半分は昨日撮影した写真。なかなかSNSに上げる余裕がなくて、最終日の15日にこの画像を作ってまとめ記事にした。

映画はとても素晴らしかった!母の洋裁のことや自分の帽子のこと、1996年に移り住んだ関西のこと、いろんなことを思い出した映画だった。
レビューの詳細はコチラ
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250914_IMG_6664.JPG250914_IMG_6666.jpg午後はNHK名古屋放送局の『べらぼう展』へ。歴史コラムニストとしては大河の展示は外せません。

アンケートに答えるともらえるクリアファイルも無事ゲットしました。昨年のセットは「まひろの部屋」でかなり凝っていて、今年は吉原の見世かな?と思ったら、九郎助稲荷でした♡

B1Fで開催中の「西尾市岩瀬文庫」の展示も興味深かったです。『べらぼう展』本日15日まで!
展覧会詳細はコチラ
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映画の途中で目の疲れを感じてマッサージしていたら、目の下にくっきりと跡が残ってしまい、泣きそうになりながらも「どうせわたしの顔など誰も見ていない!」と開き直って映画も展覧会も堪能。

わたしは午前中から映画を見るのも無理なのに、5日間出ずっぱりで登壇したりお客さんの相手したり。ホントディレクターさんは大変。。。

自分がやることはないだろうけれど、目上の方が頑張っておられるのを見ると、もうちょっと体力をつけなくてはと焦る。

そして、文章について褒められてばかりでいい気になっていたら、現在進行形の仕事でどどーんと大きな課題を突き付けられる。「なんで伝わらないんだろう」ではなくて、「伝わるように書けない自分が悪い」んだよね。

別件でいくつか案件が動いている。どんどん取材申し込みなど腰を上げていかねば。
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姉さんとわたしたち

250824_IMG_5636_2.JPG(2025/8/24)
日曜日は来名した宮田姉とランチをした。

その昔、mixi全盛の頃、付き合い始めたばかりの宮田が日記に「姉に会って話をしないと」みたいなことを書いていて、どうやらその「話」というのがわたしのことで。

「お姉さんいるんだ」と身構えていたら、実は本当の姉ではなく、東京砂漠で出会った道民同士なので姉弟と呼び合っているとのこと。でも姉さんは小樽で宮田は函館なんだが。

そして出会ったのがオフ会で、2月7日うまれの人たちの27(ニーナ)の会というのらしく、姉さんと宮田は誕生日が同じなのだ。

姉さんおよび27の会の人たちには結婚祝いをしていただいたのだが、みんな宮田と同じくシャイで、なぜか初対面のわたしが一人でしゃべり倒し、姉さんはわたしのことを「怖いもんが何もない人」だと思ったらしい。(それは激しく誤解だとのちに知るのだが)。

姉さんと言っても、宮田より2歳上なだけで、わたしよりはだいぶ若い。

東京時代は、姉さんと27の会ではないほかの仲間と一緒に6人くらいでお笑いライブを見に行ったりして遊んでいた。しかし今回会うのは7年ぶり。名古屋に来てからは、数年に1回しか会っていないのだ。

姉さんは相当美人なのだが、写真に映すとなぜか美しさが消えてしまう。レンズ越しの姉さんはなんだか薄幸そうで、現実の彼女とは別人だ。「どうしたら姉さんをキレイに撮ってあげられるだろうか」と宮田と話し合った結果、「笑かせばいいんではないか」となった。

はからずも罰当たりにも万松寺で決行した。

大須の万松寺は信長が亡き父の遺影に灰を投げつけたと伝わる名刹。(といっても場所は移転している)。姉さんが御朱印を購入している間に宮田を記念撮影し、その後姉さんを笑かして、宮田と一緒に撮った。

帰宅後、姉さんどんな風に写ってるかな?と見てみたら写真がない。そうだ「じゃ私ので撮って」と姉さんのスマホで撮ったんだった。姉さん、ちゃんと写ってるかな。

『72時間』にも登場した「コンパル本店」でランチした。結構な行列だったが、思ったより早く入れた。

実は白状すると、わたし、エビフライサンドを店で食べるのは初めてなのだ。テイクアウトでしか食べたことがなかった。だから知らなかったんだけど、店だとエビフライサンドは寝かせて出てくるのね。そして割とアバウトにカットするのね。

そして何より、めっちゃ食べにくい。でも、そんな不満を補って余りあるほどおいしかった。名古屋コーチンのたまごサンドと姉さんのリクエストでフルーツサンドの3種類を3人で分けた。ホットコーヒーで入れるアイスコーヒーも美味。

しっかり者だとばかり思っていた姉さんが、意外とドンくさく(失礼)、アイスコーヒーを作ればこぼし、サンドイッチの具も半分くらい落としてしまう。でもなんだかそのすべてがかわいらしく、やっぱり姉さんというより妹みたいだな、と思うのだった。

7年ぶりに会った上に、SNSでもまったくつながってなくて、今回姉さんはわたしたちと連絡とるのにものすごく苦労したらしい。しかも『ナゴヤ愛』で弟が著者デビューしたことも知らなかったそうで。

1店舗だけ在庫がありそうな店は知っていたが、このあと姉さんは用があり、店に行くのは断念。「え〜、サイン欲しかった」と言いながら、その場でポチっていた。

今日会社から帰ったら届いていたそうだ。でも多分在庫はもうないので、中古だったのかもしれない。今はもう定価より高いのではないかと思う。ううう、申し訳ないっす。
(2025/8/26 記)
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2年前の話

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先日トークイベントを開催してくださったNAgoyaBOOKCENTERのオーナー・堀江さんが2023年の取材で挙げたオススメ名古屋本に『ナゴヤ愛』が入っているのです。

太田忠司さんや平野啓一郎さん、大竹敏之さんと並んで入っている!と大コーフン!こちらの書店は「名古屋の作家の本しか置かない」ことで知られています。
『ナゴヤ愛』も置いてあると知り、ご挨拶に伺ったのでした。

・・・で、わたしの記憶はネットと曖昧になっていて。確かネットではご挨拶をして、その後書店に向かったことは覚えていました。しかし、そのとき名古屋の作家さんと一緒で。わたしの本はあったのに、その作家さんの本がなくて💦

たまたま売り切れていただけだと思いますが、気まずくなり、早々にお店を出て、ご挨拶ができなかったのでした。その後、わたしはライター業が鬼のように忙しくなり、タイミングを失ってそのままになっていました。

今ごろこんな話を思い出しました。重ね重ね、感謝の言葉しかありません。
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テレビ告知とある文学賞

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(2025/8/5)
【告知・テレビ出演】メ〜テレ(テレビ朝日系)の夕方の情報番組『ドデスカ+』に出演します。8月12日(火)の16時から17時の間のどこかでの放送となるそうです。

東海地方の「食の識者」に「本当は教えたくない『行きつけ』の店」を聞くコーナー。

今までは市場の人とかいかにも「食通」の登場だったのに、なぜわたしかといえば、「おいしそうな食べ物を描くイラストレーター」だからとのこと。
「絵本の宣伝をしてもらえるなら・・・」というと「それはバッチリ!」とのことで出演が決定。

最初は7月中の放送と聞いていたのに、プロデューサーが「たくさんの人に見て欲しいから視聴率のいい連休中にしよう」とおっしゃって12日になったそうです。

ちなみに、前回は7/31放送で、あの「賛否両論」の名古屋店の料理長の行きつけの店でした(画像)。

長々とすみません。そんなわけで、お時間合いましたら暇つぶしにご覧くださいませ。

250805_IMG_5131.JPG昨日のトウモロコシ、黄色と白の2色入っていました。

味も食感も違って楽しい!

右上のは、道産子の夫の特技。
一列キレイにはがすんです。
わたしには絶対できない!

1人5本ずつなので、しばらく楽しめそうです。





ある編集者の方(A氏)がFBに「最近のある賞の受賞作が『読んでも読まなくてもよい本』になりつつある。読書離れを意識しすぎているのか『読みやすさ』重視に偏りすぎているような気がする」と書かれていて、思い出したこと、思ったこと。

まだ東京時代の2010年ごろ。わたしは直木賞と本屋大賞候補作だというある本を読んで、おもしろさがまったくわからずに挫折。とある編集さんB氏に「だってだらだら散歩してるだけで、事件が何も起きないんですよ」と話すと「今の小説は事件なんて起きないんですよ」と答えが返ってきて絶望した。

このころ、今から15年前にすでに、「若者の現実が過酷すぎて、小説の中には平和を求める」という話が出ていた。B氏がその時薦めてくれたのが『街場のメディア論』(内田樹)でめちゃくちゃ面白くて、ああわたしはもう、文芸作品は読めないのかもしれない、と思った。

翌2011年に名古屋にUターンして、2015年に『アトピーの夫と暮らしています』(PHP研究所)を出版したことがきっかけで、名古屋の文芸の作家さんと交流が生まれた。知り合った作家さんの本を一通り読んだら、どれもおもしろくて。

ああ、また文芸が読める!と喜んだものの、いろいろ読んでいくとやはり「おもしろくない」ものにぶち当たる。大きな賞を受賞していたり話題作だったりしても「なんだかご都合主義。こんなに都合よくうまくいくか?」と思うことが多くて。

むしろ受賞とは無縁でも手に取った本に人生の奥深さとかやるせなさを見て「これよ、これこそ読書の醍醐味」と感じたり。読書って「なんで?なんでこうなっちゃうの?」と身もだえしながら読むのが楽しいのである。入り込んで絶望して、読み終わって現実じゃないことにホッとしつつ寂しさも覚えて。

そういう読書体験が「つらすぎてできない」のってやわすぎない?


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S田 T子
ドラマにもその傾向あるみたいですね。つらいのいや、戦争描写とか無理、みたいな。
もちろんダラダラ見るドラマもありなんですけど、全部それはなあと。

陽菜 ひよ子
『あんぱん』も戦争中は視聴率が下がったそうですね。わたしは、たかしの軍隊のシーンが一番おもしろかった(ヒロインいないじゃん、と突っ込まれそうですが)です。とはいえ、悲惨すぎるドラマは苦手ですが、朝ドラの描写なんて序の口では?と思うのですが・・・

S田 T子
陽菜 ひよ子 序の口でしたよ…全然で。あれがつらいと?って一人で思ってました。

S木 K弘
映画も同じかなあ。僕は救いようのない映画が結構好きなんだけど…

陽菜 ひよ子
確かに最近「ライト」な映画が多いかもね。わたしも救いようのない映画について「どうしたら救われたんだろう」とネチネチ考えるのが好きなんだけどねー。うちの宮田は『ダンサー・イン・ザ・ダーク』はヒロインにとっては「救い」なのだと言っているし。いろんな考え方を知れるので、極端に振り切った映画はいいよね。

H M夫
『ババヤガの夜』面白いっすよ。

陽菜 ひよ子
おもしろそうですね!読んでみます!!
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がんばっても報われない社会が待っている

(2024/11/13)
調べものをして過去の日記を読み返していたら、2019年に話題になった上野千鶴子さんの東大入学式の祝辞「『がんばっても報われない社会が待っている』東大の入学式で語られたこと【全文】」が出てきた。

特に響いた部分として、以下の部分を引用していた。
「『がんばったら報われる』とあなたがたが思えることそのものが、
あなたがたの努力の成果ではなく
環境のおかげだったこと、忘れないようにしてください。
中略
世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと
がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。
がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲を
くじかれるひとたちもいます」

これを読んで、そうだこれだ、と思った。

わたしは死に至る病で闘病後復帰してメダルを取ったある競技選手(あえて名前は書かない)がコメントした「努力は必ず報われる」という言葉にずっと違和感を持ち続けてきた。

確かに、病を克服してさらに過酷なトレーニングを積んでメダルを取ったのはすごいことで、わたしなど到底彼女の足元にも及ばない。何も言う資格はない。
けれど、トレーニングを頑張ったのは彼女の努力だけれど、それは彼女が「頑張れる環境」にいたからだ。

彼女のメダルの陰には、彼女と同じくらい能力があって努力もしてきたけれど、家庭その他の事情で競技自体をあきらめざるを得なかった大勢の選手たちがいる。
また、努力し続けてもどうしても結果が出せなかった人もいるだろう。

闘病についても、経済的理由で先端医療を受けられず、亡くなっていった人もたくさんいるだろう。そうしてなくした子を持つ親御さんは、彼女の言葉をどう聞いただろう。

彼女は自分の努力が、どれほど恵まれた境遇の上に成り立つものだったかを、いつか気づく日が来るのだろうか。とはいえ、まだ若い彼女が発した言葉一つを責めるつもりはない。ただそれを異様に持ち上げて美談にすることには違和感しかない。

わたし自身、たくさんのことをあきらめ続けてきた人生だった。わたしが今、こうして自分のやりたい仕事ができているのは、30代で自分の人生を変えたいと強く願ったことに端を発する。

でもそれを、自分の努力の成果だというつもりはない。支えてくれる夫の存在なくしては、今のようにはできていなかっただろう。絵を続けて来られたこと、その環境を許してくれた前夫にもその点は感謝したいと思う。さらには、『虎に翼』のように女性のために戦ってくれた人たちや、わたしに仕事をくださった方々、応援してくれている人たちなど、周りの人たちあってのこと。

自分がどれほど恵まれているか、誰もが日々それを意識すれば世の中はきっと、よりよく変わるような気がしている。(1153文字)
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イケメンがまた去り、ロス著しい大河

(2024/10/20)
久しぶりのイラストの大きな仕事が予想以上に大変で、半泣きになりながら描いている。

考えてみると文章の仕事は楽しいことばかりで半泣きになるのはイラストの仕事ばかり。やっぱり文章に向いているのかな?と思う反面、今回の仕事をやり切ったら新しい世界が開けそうな気もしている。


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【光る君へ】紫式部の弟惟規を振った女性とは?子孫にはアニメでおなじみの名前も!(相関図/家系図)


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会うたびに同じことしか言わない人がいる。たいていは愚痴。
10年近く前に同じような状況にあって、こうすればきっとここから脱却できるとお互いに話した。わたしはその後それを実行してそこから抜け出した。

でも数年ぶりに会うたび、いつも同じ話になる。いつも適当に話を合わせるけれど、相手はまるでわたしが棚ぼたか何かで今の状況を作り出したかのようにうらやむ。

何かを変えよう、自分が変わろうとすることは痛みを伴う。何かを手に入れるためには、今ある大切な何かを失う覚悟も必要だ。
変わるためには相当な気合いも必要。人は馴染んだ方へ足が向くものだ。それを振り切るパワーが大事。

変化は痛みの先にある。
本気で変わろうとしなければ、変えようとしなければ、何も変わらない。

離婚経験のあるわたしからすると、離婚ってホントめちゃくちゃパワーが必要で、その後の生活の変化も壮絶。あれに比べたらほかの変化なんて大したことないよなぁ、と思えてしまう。

きっと相手は本当は、今が楽しくて、本気で変わろうなんて思っちゃいないのかもしれない。相手は相手で、わたしに話を適当に合わせてくれていただけなのかもしれないな、と思う。

わたしのことも全然うらやましくなんかないのだろう。だよね!
だとしたら、偉そうにいろいろ言ってごめんね。次に同じ話になったら、わたしは笑って適当に別の話に話題を変えるよ。
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中学時代に書いていた連載小説?の話

241008_IMG_1236.JPG(2024/10/8)
春に太田先生のプロフィール写真を宮田が撮影した際にわたしもその場にお邪魔した。太田先生とお茶までさせていただき、至極幸せな時間を過ごした。

その際に、この本のことをちらりと伺って、めちゃくちゃ楽しみにしていたのだ。ようやく仕事が少し落ち着いてきたので、コツコツ読んでいる。おもしろい!

実はわたし、中学高校の頃に小説もどきを書いていた。で、書いた小説もどきを当時の流行りでかわいく折りたたんで休み時間に友人に回していた。そしたら、いつの間にか友人の友人も読んでいて、「続きは?」とまったく知らない子に言われるようになったのだ。

手紙には順番に番号を振って、気づけば連載小説のようになっていた。
なんだか、紫式部みたいなことしてたんじゃない?わたしってば!(←厚かましい)

(大河ドラマだと『源氏物語』の執筆は道長が頼んだことになってたけど、今までの定説だと、式部の友人たちの間で回し読みされていた『源氏』が評判になって、それを道長が聞きつけてスカウトしたとされている)

中学時代に書いていたのは、当時仲のよかった「どんちゃん」という美少女が、片思いしていたクラスのヤンキー少年・Kくんと結ばれる話。誰のことかはわからないように書いていたけどね。

しかしKくんはめちゃモテ男で、どんちゃんは知らない間に敵をたくさん作っていたらしく、知らない子に悪口を聞かされて「あの小説のモデルがどんちゃん&Kくんだと知れたら殺される!」とビビったものだった。(大げさでなくウチの中学はマジで怖い学校だった)

高校時代に書いていたのは、当時大ヒットした『バックトゥザフューチャー1』の続編。まだ2も3もつくられる前に勝手に続編を書いていたのだった。しかも3部作だった。(ここまでは覚えているけど、どんな話だったかは覚えていない)これも気づけば、知らない人にも読まれていたんだよね。

そんなもどきを書いていたわたしも、太田先生のこの本を読めば、ちゃんとした小説が書けるかも?
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