あけおめ2026
(2026/1/1)元旦、雑煮を食べたあとオットが寝込んでしまった。
せっかく今年は気に入ったお椀を買って雑煮を食べるのを楽しみにしていたのに、かわいそう・・・。
そして昨年はわたしがかぜっぴきだったようで。
もはやどちらかが寝込むのは正月の風物詩なのか?
おせちを一人で食べて腹パンです。現地からは以上です。


あけましておめでとうございます!大晦日に「まだ年賀状作ってない!」と気づいて慌てて3時間くらいで作りました。そんなお正月を過ごしておりますが、今年もどうぞよろしくお願いします!

何年もずっと気にいるお椀を探していて、やっと希望通りのを見つけて購入。この写真だとわかりにくいけど、ちょっと下ぶくれでポテッとしたフォルムがかわいい。とっても軽いのです。
名古屋流のシンプルなお雑煮に細かな鶏肉を入れてアレンジ(オット作)。
このお雑煮を食べたあと、彼は急に寝込んだ・・・
#雑煮 #名古屋雑煮 #名古屋めし #名古屋

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あけましておめでとうございます。
「笑門来福」、つまり「笑う門には福来る」を毎年のように年賀状に使用しています。
わたしは昔、自他共に「ついてない人」でしたが、当時を振り返ると、いつも先のことを悪く考えては不安がっていたように思います。
言霊とか引き寄せとかいうと、途端に胡散臭くなりますが(笑)でも、物事をポジティブに捉える訓練は、いくらしてもしずぎることはないと思います。できるだけ、自分が居心地がいいと思える環境に身を置くことも大事。
わたし自身、よく笑うようになったら、運が向いてきました。そんなわけで、今年も笑いの絶えない一年になりますように。
何もないけど幸せなクリスマス
今日の金言?とイラスト講座のお知らせ
(2025/12/23)
今の自分がこうして仕事ができているのは、過去の自分が選び、積み重ねて来たことのおかげ。いつだって先のことなどわからない。だから今もたくさんの可能性や方法から、自分にできる最良をやっていくだけ。いつか未来の自分に感謝されますように。

若い頃は誰とでも仲良くできなくちゃダメだと思い込んでいた。年とってわかったのは、誰とでも仲良くできる人なんていないし、誰とでも仲良くする必要もないってこと。誰とも仲良く見える人は、苦手な相手とうまく距離を置いてるだけ、なんだよね。

ウチは夫婦して30代半ばで人生を大きく変えた。私は前夫と離婚してイラストレーターになり、夫は会社員を辞めてカメラマンになった。そりゃ大変なことはいっぱいあるけど、あのときの決断に1ミリも後悔がないから続けていられるんだと思う。
一応補足しておくと、私が前夫と離婚してイラストレーターになったのは、今の夫と知り合う前の話。夫がカメラマンになったのは、私と結婚してから。ウチは私の方が9歳年上です。

愛知県がんセンター お隣「TOTONOUハウス」さんでイラスト教室 を開催。
12/26(金)13時〜15時。
年賀状用に色鉛筆で干支の馬などのイラストを描きます!
手ぶらOK。大人も子どももOK。参加費無料。
#陽菜ひよ子
TOTONOUハウスさんにインタビューした記事(#中日新聞)
がん患者の暮らしを支える「TOTONOUハウス」――美容から福祉へ広がる地域共生の場
今の自分がこうして仕事ができているのは、過去の自分が選び、積み重ねて来たことのおかげ。いつだって先のことなどわからない。だから今もたくさんの可能性や方法から、自分にできる最良をやっていくだけ。いつか未来の自分に感謝されますように。

若い頃は誰とでも仲良くできなくちゃダメだと思い込んでいた。年とってわかったのは、誰とでも仲良くできる人なんていないし、誰とでも仲良くする必要もないってこと。誰とも仲良く見える人は、苦手な相手とうまく距離を置いてるだけ、なんだよね。

ウチは夫婦して30代半ばで人生を大きく変えた。私は前夫と離婚してイラストレーターになり、夫は会社員を辞めてカメラマンになった。そりゃ大変なことはいっぱいあるけど、あのときの決断に1ミリも後悔がないから続けていられるんだと思う。
一応補足しておくと、私が前夫と離婚してイラストレーターになったのは、今の夫と知り合う前の話。夫がカメラマンになったのは、私と結婚してから。ウチは私の方が9歳年上です。

愛知県がんセンター お隣「TOTONOUハウス」さんでイラスト教室 を開催。12/26(金)13時〜15時。
年賀状用に色鉛筆で干支の馬などのイラストを描きます!
手ぶらOK。大人も子どももOK。参加費無料。
#陽菜ひよ子
TOTONOUハウスさんにインタビューした記事(#中日新聞)
がん患者の暮らしを支える「TOTONOUハウス」――美容から福祉へ広がる地域共生の場
物事の終わらせ方
(2025/12/20)今日は「キルタースペース絵本勉強会」今年最後の日。恒例のキルター絵本大賞を決めた。
みんなの選ぶ絵本がどれも興味深く。アンリ・ルソーや中原中也に関する考察まで話が広がり、実に楽しい時間だった。
今年も一年ありがとう。来年もまたおもしろいワークショップを考えねば!
ちなみに今年の私のワークショップは「取材絵本」というテーマ。普段どうやって取材しているかを絵本作家の仲間に伝授。みんなおもしろがってくれて、よき一日だった。
昨年は「SDGs絵本」というテーマで、その前は書籍の企画の立て方。しみじみ、私は絵本作家というより「取材ライター」なのだよなぁ。
参加している絵本展は30回開催している。初参加した2009年はまだ20人程度でプロの絵本作家も数人しかおらず「手作り感」ある展示だった。
でも今は参加希望者がキャパを越えて、今後どうしていくか真面目に考えていく時が来ている。長く続けるべきか、どこかで終わらせるべきか、悩みどころ。

昨日4カ月ぶり2回目に入った店で「お客様以前お越しになられてあの席に座っておいででしたよね」と話しかけられた。「おしゃれな方なので覚えています」とも。
昔はお店の人に水とおしぼりを忘れられることの多かった私なのに。でもそれも今は夫が一緒だからで、一人だと忘れられるだろう、たぶん。



7#ひつじのモフモフ
— ほっかえほん (@hokaeho) December 20, 2025
が、第10回キルタースペース絵本大賞に選ばれました、おめでとうございます。#陽菜ひよこ#三恵社
クリスマス用に、ダサださデザインのセーターが欲しい。#キルター絵本大賞 pic.twitter.com/8wIoVgm6mW
クラシックホテルの想い出
(2025/12/17)年末に行く東京滞在中の予定を考えている。行きたい場所は決まったので、あとはどう移動してうまく時間調整するか。
こういうのにワクワクする自分は昔、旅行業界で働きたかったのよね。一度も働くこともなかったし、最近は旅行することもまれになったけど、昔はクラシックホテルマニアでもあった。
クラシックホテルや好きな古い建物について書いているnote。まだ少しだけど。これからちょっとずつ増やす予定。
クラシックなホテルや建物
若いころは建築業界で働いていた。
変わったホテルができるとみんなこぞって泊まりに行って自慢し合った(笑)
今は亡き小樽ホテルや白雲楼ホテルとか。
クラシック好きなので富士屋も万平も泊まった。
世の中も自分もバブっていて、今とお金の使い方の桁が違った。
あの時代があるから今を楽しめるのかも。
まだ20代だった自分は、1泊1人3万円以上の宿に泊まるのが普通で1泊15000円だと「安い」と感じていた。
最近は泊まるところにこだわりがなくなったので、1泊2万円以上だと「豪華だわ」と思って来たけど、デフレも終わり、宿も高くなってきたよね💦

年末の東京行の予定が決まった✨よくぞいい感じで収まった😂初めて行くミュージアムがいくつかあるので、ものすごく楽しみ。何より楽しみは吉井武道館なんだが。
今日は仕事先のチェックまち。こういうときに普段やれないことをやりたいが、普段やれていないことが多すぎて、何から手を付けていいかわからない。

先日もワークショップの途中に荷物が届いて「出てください」と言われて「いや夫がいるので大丈夫です」と言って驚かせたのだけど😅
2018年頃までは私が企業の常駐ライターをしたりしていたが、2019年からはずっと2人で家で仕事をしている。24時間ずっと一緒。でも全然疲れないし楽しい。
「#ホンマでっか」でやってた「仲の良い夫婦がやっていること」を大体やっている。結婚して18年経つが、未だに「結婚してくれてありがとう」と3日に1回は言い合う。確かに前の結婚ではなかったことだな(トオイメ)

今さらだけど「NHK大河「べらぼう」最終話視聴率は9・5% 期間平均も9・5%で「いだてん」に次ぐワースト2位」ってホント意味ない。『べらぼう』こそ、「記録より記憶に残るドラマ」だったと思う。
おもしろかった大河に『いだてん』『青天を衝け』が上がるのを見るたびにどちらも観ていないことに軽くショック😱『青天』は途中まで観たのに、堤真一が亡くなったらなぜか観る気が亡くなった😅傳さまが亡くなっても『ばけばけ』は観てるんだが。そういや傳って山東京傳の伝やね。

俳句でも詠むかと「今日は何の日」を調べたら、明日は #源内忌 。源内先生が亡くなった日なのね。タイムリーだが、さてどう詠むか?

唐丸役の #渡邉斗翔 さん、かわいかった!彼の退場は寂しかった。当時こんな記事を書いたのも懐かしい・・・
【大河べらぼう】唐丸の正体は謎の絵師・東洲斎写楽?江戸のゴッホ・写楽がたった10カ月で姿を消した理由
#写楽 #喜多川歌麿 #横浜流星 #染谷将太 #陽菜ひよ子
ホントそう。『光る君へ』『べらぼう』でさざ波の中を泳いでの戦国時代。私はもともと自分の強みは「武将」「刀剣」「城」あたりだと思って来たけど、『どうする家康』でレッドオーシャンすぎることを知り、戦々恐々としている・・・でも負けないけどね!(負けず嫌い(笑)) https://t.co/qvccE2fkIE
— 陽菜ひよ子🐤取材&名古屋めしイラスト (@hina_hiyoko) December 17, 2025
読み手もレッドオーシャン。まさに!ヤフコメで荒れるのも読み手にも「識者」が多いからですよね😅 https://t.co/ZiURCmPjkG
— 陽菜ひよ子🐤取材&名古屋めしイラスト (@hina_hiyoko) December 17, 2025
ホントにそうなんですよね。「事実確認」と書かないと、日本語レベルで文章を直してくる方、けっこういます😂。それで修正して戻すと、また別のところを直してきたり。仕事をはじめたばかりのころは、この修正地獄に苦しめられたりしました。もはや懐かしい😆 https://t.co/P5h3nl3bp0
— 陽菜ひよ子🐤取材&名古屋めしイラスト (@hina_hiyoko) December 17, 2025
前原さんほどのキャリアで編集者でも文章を直されるとは!私は自分がひよ子なんて名前でひよっこだから舐められるんだな、と思っていたので驚きです。もうこれは避けられないことなんですね。>文字数度外視、Webだと気にしませんが、紙だと泣けますよね・・・😭 https://t.co/0o4lBU3Htf
— 陽菜ひよ子🐤取材&名古屋めしイラスト (@hina_hiyoko) December 17, 2025
いやいや、文章を直されたり、リテークを食らうことは日常茶飯事ですよ。😅キャリアなど関係なく、それがライターという仕事の宿命です。😭
「ファンがいる」という人
(2025/12/13)
わたしには3歳上の姉がいる。妹にだけは負けたくないというライバル心が異常に強く、わたしの婚家を巻き込んで失礼な言動をしたり、オットを侮辱したりということが重なり、16年間音信不通だった。
昨年、姉と相続問題で久しぶりに顔を合わせたが、相変わらず自己顕示欲が強く「その店の子があたしのファンで」などと話してくる。念のためいうと、姉は作家でもインフルエンサーでもなく、もちろん芸能人でもない。太っているし、見た目でファンができるとも思えないタイプ。ただ話術はうまく、わたしより100倍社交的。姉の友達は、姉のそういった話に「○○ちゃんのファンなんだ、さすがだね〜」などと適当に話を合わせているのだろう。しかし妹のわたしはそんなことは言わず聞き流す。それもまた姉は気に入らないのだろう。
ところで、姉以外にもたまに、人気稼業でもないのに姉同様に「〜がわたしのファンで(※)」みたいに話す人がいる。そういう人に出会ったら要注意だ。わたしは基本的には「相手をほめる方」だと思う。相手はちっともわたしをほめてくれないが、わたしは結構ほめているつもりである。
相手のいいところを探したいし、見つけたら伝えたい。でも「わたしのファン」という人は、承認欲求の塊なので、「ほめる」だけでは足りない。「ほめて」「ほめて」「ほめちぎらない」と満足しないのだ。あるとき、ほめ方が足りなかったのか、何かが相手の琴線に触れたのか、相手が急にわたしを下げ始めた。そして怒ってその後連絡も途絶えてしまった。
ああきっと「○○さんのこういうところ、素敵」くらいでは足りず、「ファンです」くらい言わないとダメなんだな、と感じた。そして相手の「わたしのファン」は、おそらくわたしに勝ちたい気持ちの表れ。相手はわたしにコンプレックスや敗北感を抱いていると同時に見下している可能性が高いので、刺激しないようにしなくてはいけない。
ていうか、今後はそういう人とはこちらから距離を置こうと思う。だってめんどくさいんだもん。
(※作家や芸能人など、本当に「ファン」のいる方についてのことではありません)
わたしには3歳上の姉がいる。妹にだけは負けたくないというライバル心が異常に強く、わたしの婚家を巻き込んで失礼な言動をしたり、オットを侮辱したりということが重なり、16年間音信不通だった。
昨年、姉と相続問題で久しぶりに顔を合わせたが、相変わらず自己顕示欲が強く「その店の子があたしのファンで」などと話してくる。念のためいうと、姉は作家でもインフルエンサーでもなく、もちろん芸能人でもない。太っているし、見た目でファンができるとも思えないタイプ。ただ話術はうまく、わたしより100倍社交的。姉の友達は、姉のそういった話に「○○ちゃんのファンなんだ、さすがだね〜」などと適当に話を合わせているのだろう。しかし妹のわたしはそんなことは言わず聞き流す。それもまた姉は気に入らないのだろう。
ところで、姉以外にもたまに、人気稼業でもないのに姉同様に「〜がわたしのファンで(※)」みたいに話す人がいる。そういう人に出会ったら要注意だ。わたしは基本的には「相手をほめる方」だと思う。相手はちっともわたしをほめてくれないが、わたしは結構ほめているつもりである。
相手のいいところを探したいし、見つけたら伝えたい。でも「わたしのファン」という人は、承認欲求の塊なので、「ほめる」だけでは足りない。「ほめて」「ほめて」「ほめちぎらない」と満足しないのだ。あるとき、ほめ方が足りなかったのか、何かが相手の琴線に触れたのか、相手が急にわたしを下げ始めた。そして怒ってその後連絡も途絶えてしまった。
ああきっと「○○さんのこういうところ、素敵」くらいでは足りず、「ファンです」くらい言わないとダメなんだな、と感じた。そして相手の「わたしのファン」は、おそらくわたしに勝ちたい気持ちの表れ。相手はわたしにコンプレックスや敗北感を抱いていると同時に見下している可能性が高いので、刺激しないようにしなくてはいけない。
ていうか、今後はそういう人とはこちらから距離を置こうと思う。だってめんどくさいんだもん。
(※作家や芸能人など、本当に「ファン」のいる方についてのことではありません)
流れ流れてライターへ
(2025/11/19)
取材仕事は締め切りまでまだ間があるのだけど、本日8割完了した。もう一度確認して明日送る。残りあと一件。それが問題なんだけど、ちゃんと進めてくれていることを祈ろう。
別件の仕事で想定外の修正が入り、どう返答しようか迷いつつ、妥協と精一杯の抵抗を試みた修正案をメールしてみた。さてどう出るか。

自分が今の仕事をしているのって、ホント偶然の成り行きって気がする。その場その場はいつも精いっぱい頑張っているのだが、想定外の方向へ流れ流れて今に至る。
2年前の投稿を振り返って↓↓
#ライターになった流れ
(2023/11/19)
ライター講座でなぜかイラストの仕事をもらう
↓
イラストレーターとして10年経つ。FBで繋がる出版関係者から「本を書かないか」と言われる
↓
取材して文章を書いた本を出版
↓
本を読んだ媒体の担当者から仕事が来るようになる
↓
ライター仕事量がイラスト仕事量を上回る
取材仕事は締め切りまでまだ間があるのだけど、本日8割完了した。もう一度確認して明日送る。残りあと一件。それが問題なんだけど、ちゃんと進めてくれていることを祈ろう。
別件の仕事で想定外の修正が入り、どう返答しようか迷いつつ、妥協と精一杯の抵抗を試みた修正案をメールしてみた。さてどう出るか。

自分が今の仕事をしているのって、ホント偶然の成り行きって気がする。その場その場はいつも精いっぱい頑張っているのだが、想定外の方向へ流れ流れて今に至る。
2年前の投稿を振り返って↓↓
#ライターになった流れ
(2023/11/19)
ライター講座でなぜかイラストの仕事をもらう
↓
イラストレーターとして10年経つ。FBで繋がる出版関係者から「本を書かないか」と言われる
↓
取材して文章を書いた本を出版
↓
本を読んだ媒体の担当者から仕事が来るようになる
↓
ライター仕事量がイラスト仕事量を上回る
出ることのなかったコミックエッセイ
(2025/11/13)
たぶんこのときはまだその企画が動いていて、編集Sさんから「元旦那さんから現在のコメントが欲しい」とか何とかいわれて、頼もうとしたんではなかったっけ?
元々企画してくれてめちゃ熱意を持ってくれていた編集Fさんが産休に入ってしまい、代理の編集SさんがFさんがOKをくれたネームを全否定したことから、なんか書けなくなったのよね。もともとあまり乗り気の企画じゃなかったし。で、そのままポシャったけど、後悔はない。
本1冊分のネーム(しかも何度も書き直した)は残っているので、気が向いたらどこかに発表するかもしれない。でももう本1冊分の漫画を描く気力も時間もないのよね(笑)仕事しながら趣味で漫画描いてる人ってスゴイな。
元夫に、ちょっとお願いがあって、かなり長文で丁寧なメールを送った。お願い事以外にも、近況はどう?とか、いろいろ気遣いを見せたメールを送ったのだが、しばらくして、たった一言「それはご勘弁を。」とだけ返ってきた(悪意はなし)。。。まぁ、断られるのは仕方がないにしても、いくら携帯でも、もうちょっと、違ったメールって送れないものか?(笑)これを読んで「元夫にお願いって何だろう?」と今オットに聞いてみたら、しばらく考えて「離婚本?」と返って来た。そうだった。2015年10月に出たアトピー本(コミックエッセイ)と同時に別の出版社で動いていたのが、わたしの離婚に関するコミックエッセイ。
私がこういう、機関銃のようによくしゃべる女なので、配偶者は二人とも無口ではあるのだが、その無口の質が違って、今の夫は、聞き上手で、いつまでもしゃべり続けてしまう楽しい無口。
でもかつての夫は、そんな私ですら、喋るのが嫌になってしまい、お通夜みたいな家庭だった。おはよう、や、おやすみ、すらめんどくさがる人で、そんなにしゃべるのが勿体ないの?と何度か問いかけたい衝動に駆られたものだった。何かちょっと懐かしい(笑)
たぶんこのときはまだその企画が動いていて、編集Sさんから「元旦那さんから現在のコメントが欲しい」とか何とかいわれて、頼もうとしたんではなかったっけ?
元々企画してくれてめちゃ熱意を持ってくれていた編集Fさんが産休に入ってしまい、代理の編集SさんがFさんがOKをくれたネームを全否定したことから、なんか書けなくなったのよね。もともとあまり乗り気の企画じゃなかったし。で、そのままポシャったけど、後悔はない。
本1冊分のネーム(しかも何度も書き直した)は残っているので、気が向いたらどこかに発表するかもしれない。でももう本1冊分の漫画を描く気力も時間もないのよね(笑)仕事しながら趣味で漫画描いてる人ってスゴイな。
映画『教皇選挙』と自分の立場にふさわしい話
(2025/9/23)
映画『教皇選挙』をアマプラで観たのだが、イマイチ面白さがわからんかった(こういう映画をこう書くって、すごくバカっぽいよなぁ)。まず顔と名前を覚えるのに時間がかかる。特に序盤は、本人のいないときに名前だけ言われても、サッパリ。まだ家だから途中で相関図や表を見たりできたけど、劇場だったらお手上げだったわ。
中盤から人がわかってきて、あの神がかりなシーンからラストまではおもしろかったけど。でも「まぁこの人がなるんだろうな」と予想がついたし、「教皇が手配した治療をやめた」ことから、その治療も予想がついた。なので、あまり驚きもなく。
この映画は「教皇選挙ってこういう雰囲気なのね」「枢機卿ってどこまでも人間臭いのね」の2つを知り、楽しむための映画だと思っていい?いやきっと「これらのことのどこまでが、前教皇が仕組んだことだったのか?」と考えるのがおもしろい映画、なのだろうなぁ。あと聖書を理解して、ステンドグラスの意味までわかると、もっと楽しめたのだろう。
もう10数年前の話、友人がネット上の発信について「何を書くかより、何を書かないかが大事」と書いていて、ホントそうだなと思った。彼女が書かないと決めているのは「政治的なこと」
わたしは、そういった大きな「書かないこと」はないんだけど、「書き方」には気を付けている。自分の立場でこれを書くときに、不遜になっていないか、逆に自分がいうべきことを遠慮していないか。
こういうことを考えるようになったのは、あるきっかけがある。
もう10年以上前、美術館で偶然知人に会った。並んで見始めたら、いきなり相手がその展覧会の解説をはじめたことがある。その知人は美大を卒業しているわけでも美術関係の仕事をしているわけでもない。なお、わたしよりやや若い女性なので、「教えたいおじさん」でもない。
こう言っては何だけど、わたしは絵の道ではプロである。たぶん彼女の数倍の展覧会をわたしは見てきている。
その相手に「この絵はこういう意味なんだよ。こういう意図で作られてるんだよ。この展覧会にはこんな狙いがあって」などなど上から目線で解説できるのは、つまり、わたしより自分が上だと思っているからなのだろう、とモヤモヤした。(黙って聞いてたけどね)
すると数年後、彼女と共通の知人で建築家の女性と食事をした時に、相手が彼女のことをこう言った。「あの子は身の程知らずだから」と。
「ある建築家の集まりに彼女が参加して、周りは建築家だらけの中で、いきなり解説をはじめて、講師から『キミはどの立場でそういうことをここで言うのかな?』と言われていたのよ。でもそういわれても、全然本人は気にしていないけどね」
そうか、建築家に建築論を論じられるくらいの人なら、イラストレーターにアート論を語るなんてどうってことないことなんだな、と納得した。
思ったのは、モヤモヤする発言をする人は、どこででもそういった発言をしているということ。そして彼女はわたしより上だと思っているというより、単に「自分はスゴイ」と思い込んでいるんだなとも感じた。
言い方も大事だ。「私も雑誌で読んだんですけど、この展覧会ってこういう意図で開催されてるんですってね。ご存じでした?」みたいに言われれば、抵抗なく聴けたと思う。建築家さん相手でも「素人考えかもしれませんが〜」みたいに言えば、受け入れられたのではないか。
そして、自分の立場で言っていいことかどうかは、自分を客観視することにもつながるので、常に意識した方がよいよね、と思うのだった。
映画『教皇選挙』をアマプラで観たのだが、イマイチ面白さがわからんかった(こういう映画をこう書くって、すごくバカっぽいよなぁ)。まず顔と名前を覚えるのに時間がかかる。特に序盤は、本人のいないときに名前だけ言われても、サッパリ。まだ家だから途中で相関図や表を見たりできたけど、劇場だったらお手上げだったわ。
中盤から人がわかってきて、あの神がかりなシーンからラストまではおもしろかったけど。でも「まぁこの人がなるんだろうな」と予想がついたし、「教皇が手配した治療をやめた」ことから、その治療も予想がついた。なので、あまり驚きもなく。
この映画は「教皇選挙ってこういう雰囲気なのね」「枢機卿ってどこまでも人間臭いのね」の2つを知り、楽しむための映画だと思っていい?いやきっと「これらのことのどこまでが、前教皇が仕組んだことだったのか?」と考えるのがおもしろい映画、なのだろうなぁ。あと聖書を理解して、ステンドグラスの意味までわかると、もっと楽しめたのだろう。
もう10数年前の話、友人がネット上の発信について「何を書くかより、何を書かないかが大事」と書いていて、ホントそうだなと思った。彼女が書かないと決めているのは「政治的なこと」
わたしは、そういった大きな「書かないこと」はないんだけど、「書き方」には気を付けている。自分の立場でこれを書くときに、不遜になっていないか、逆に自分がいうべきことを遠慮していないか。
こういうことを考えるようになったのは、あるきっかけがある。
もう10年以上前、美術館で偶然知人に会った。並んで見始めたら、いきなり相手がその展覧会の解説をはじめたことがある。その知人は美大を卒業しているわけでも美術関係の仕事をしているわけでもない。なお、わたしよりやや若い女性なので、「教えたいおじさん」でもない。
こう言っては何だけど、わたしは絵の道ではプロである。たぶん彼女の数倍の展覧会をわたしは見てきている。
その相手に「この絵はこういう意味なんだよ。こういう意図で作られてるんだよ。この展覧会にはこんな狙いがあって」などなど上から目線で解説できるのは、つまり、わたしより自分が上だと思っているからなのだろう、とモヤモヤした。(黙って聞いてたけどね)
すると数年後、彼女と共通の知人で建築家の女性と食事をした時に、相手が彼女のことをこう言った。「あの子は身の程知らずだから」と。
「ある建築家の集まりに彼女が参加して、周りは建築家だらけの中で、いきなり解説をはじめて、講師から『キミはどの立場でそういうことをここで言うのかな?』と言われていたのよ。でもそういわれても、全然本人は気にしていないけどね」
そうか、建築家に建築論を論じられるくらいの人なら、イラストレーターにアート論を語るなんてどうってことないことなんだな、と納得した。
思ったのは、モヤモヤする発言をする人は、どこででもそういった発言をしているということ。そして彼女はわたしより上だと思っているというより、単に「自分はスゴイ」と思い込んでいるんだなとも感じた。
言い方も大事だ。「私も雑誌で読んだんですけど、この展覧会ってこういう意図で開催されてるんですってね。ご存じでした?」みたいに言われれば、抵抗なく聴けたと思う。建築家さん相手でも「素人考えかもしれませんが〜」みたいに言えば、受け入れられたのではないか。
そして、自分の立場で言っていいことかどうかは、自分を客観視することにもつながるので、常に意識した方がよいよね、と思うのだった。
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