迷いの解消〜カウンセリングかインタビューか、それとも雑談か
(2024/9/6)
ある方のカウンセリングを受けた。
お話の最後に「なんだかこんな雑談みたいな感じで、カウンセリングなんて申し訳ない」といわれた。往々にして、ご本人が「雑談」と思う話の中に、聞き手によってはヒントや宝物が詰まっていたりするのだ。
その方もインタビュアー。
わたしたちはインタビューを通じて、ある意味カウンセリングをしているようなものよね、と話す。
そうなのだ。
インタビュー、特にわたしのはロングが多く、その人の半生丸ごと聞くようなものが多いので、「よい振り返りになった」「スッキリした」といわれることが多い。
「そういえば、こういうこともあった」「こうして流れを見ると、こういうことだったのか」と思い返すことで、今後の生きるヒントが見つかったりするようで。
だからカウンセリングとは言っても、インタビュアーは、答えたり導いたりはしない。ただ、その人が「見つけるきっかけ」にはなるようだ。
ちなみにわたしのインタビューも、話を伺った相手から「こんな雑談でいいんですか?」といわれることが多い。
いやいや、あなたが「雑談」だと感じるこの時間にこそ、「あなたの本音」が現れているんですよ。かしこまった「インタビュー」では決して聞くことのできない、ね!
ある方のカウンセリングを受けた。
お話の最後に「なんだかこんな雑談みたいな感じで、カウンセリングなんて申し訳ない」といわれた。往々にして、ご本人が「雑談」と思う話の中に、聞き手によってはヒントや宝物が詰まっていたりするのだ。
その方もインタビュアー。
わたしたちはインタビューを通じて、ある意味カウンセリングをしているようなものよね、と話す。
そうなのだ。
インタビュー、特にわたしのはロングが多く、その人の半生丸ごと聞くようなものが多いので、「よい振り返りになった」「スッキリした」といわれることが多い。
「そういえば、こういうこともあった」「こうして流れを見ると、こういうことだったのか」と思い返すことで、今後の生きるヒントが見つかったりするようで。
だからカウンセリングとは言っても、インタビュアーは、答えたり導いたりはしない。ただ、その人が「見つけるきっかけ」にはなるようだ。
ちなみにわたしのインタビューも、話を伺った相手から「こんな雑談でいいんですか?」といわれることが多い。
いやいや、あなたが「雑談」だと感じるこの時間にこそ、「あなたの本音」が現れているんですよ。かしこまった「インタビュー」では決して聞くことのできない、ね!