続けることの苦しさと尊さを想う
(2025/8/21)
この夏が暑すぎるせいだけでなく、なんだか精神的に落ち込んだり、どうしてもやる気が起きなかったりする昨今。
こういう仕事をしていると、ジャッジされることには慣れているし、コンペや企画会議で落とされることなんて、もはや日常である。それでも、確実と言われていた企画がダメだったことや、そのせいで起きた人間関係のめんどくさい感じとかが、自分でも思う以上にダメージだったようで。
そんな話を友人へのメールになんとなく書いた。そしたら、普段は10文字以内のメールしかよこさない彼から、えらく長文で「いや私もこういうことがあって。だからひよこも大丈夫だから」みたいなことが切々と書かれたメールが何通も届き。
普段は自分の才能など1ミリも信じていないわたし。わたしにあるのは努力のみ。何度も彼には「わたしは文章だけでいいよ。絵はほかの人でも」と言い続けてきた。そのたび彼は「いやひよこは自分で描いたほうがいい」とずっと言ってくれていて。
もう何年も「いやいやわたしなんて」と言い続けてきたのだが、『舟を編む』じゃないけれども、もういい加減「わたしなんて」はやめて、もっと覚悟を決めて自分の絵で勝負していこうと、今回のメールでやっと、そう思えたのだった。

note書きました。先日の記事をもう少し具体的に書いてみました。
「うまくやった人」より「最初に失敗した人」が勝つ時代|陽菜ひよ子 / インタビューライター&イラストレーター #note #ライターの仕事

寝る前にスレッズをなんとなく読むことが習慣になっている。
2日ほど前に、すごく好きな絵を描く画家さんに出会った。
抽象画を描く人だった。
わたしは昔、抽象画は苦手なんだと思っていた。
感動というのはそれが何かわかるから起こるのであり、抽象絵画で何を感動するというのか、と思っていた。
でもそんな自分の持論を打ち砕いたのが、ブリヂストン美術館(現:アーティゾン美術館)で20年ほど前に見たザオ・ウーキー。
ほとんど黒と紺と青で表現された抽象画を前に、思わず立ち尽くして言葉を失うほど感動した。
それから10年後に名古屋市美術館のヤゲオ財団コレクションでひさびさにザオの絵に再会し、やっぱり好きだと再確認した。
そのときはじめてザオの絵を見た宮田も同意してくれた。
先日スレッズで見た画家さんの絵は、ザオには似ていない。
女性の画家さんらしく、カラフルでおしゃれな絵だ。
わたしは生まれて初めて、この人の絵を部屋に飾りたい、と思った。
(ザオの絵は素晴らしいけど、部屋に飾りたいとは思わない)
その人はいろいろあって絵に没頭することができたのは育児が終わってからのようだった。
その後も自信のなさでしばらく描けずにいたこともあったという。
もう今は若いころほど絵に没頭も集中もできないけれど描き続けているとのこと。
これほどのものが描けてもそう感じるんだなぁ・・・
この人に会って、いろいろ話をして、そして絵を買いたい。
人生の目標がまた一つ、できた。
この夏が暑すぎるせいだけでなく、なんだか精神的に落ち込んだり、どうしてもやる気が起きなかったりする昨今。
こういう仕事をしていると、ジャッジされることには慣れているし、コンペや企画会議で落とされることなんて、もはや日常である。それでも、確実と言われていた企画がダメだったことや、そのせいで起きた人間関係のめんどくさい感じとかが、自分でも思う以上にダメージだったようで。
そんな話を友人へのメールになんとなく書いた。そしたら、普段は10文字以内のメールしかよこさない彼から、えらく長文で「いや私もこういうことがあって。だからひよこも大丈夫だから」みたいなことが切々と書かれたメールが何通も届き。
普段は自分の才能など1ミリも信じていないわたし。わたしにあるのは努力のみ。何度も彼には「わたしは文章だけでいいよ。絵はほかの人でも」と言い続けてきた。そのたび彼は「いやひよこは自分で描いたほうがいい」とずっと言ってくれていて。
もう何年も「いやいやわたしなんて」と言い続けてきたのだが、『舟を編む』じゃないけれども、もういい加減「わたしなんて」はやめて、もっと覚悟を決めて自分の絵で勝負していこうと、今回のメールでやっと、そう思えたのだった。

note書きました。先日の記事をもう少し具体的に書いてみました。
「うまくやった人」より「最初に失敗した人」が勝つ時代|陽菜ひよ子 / インタビューライター&イラストレーター #note #ライターの仕事

寝る前にスレッズをなんとなく読むことが習慣になっている。
2日ほど前に、すごく好きな絵を描く画家さんに出会った。
抽象画を描く人だった。
わたしは昔、抽象画は苦手なんだと思っていた。
感動というのはそれが何かわかるから起こるのであり、抽象絵画で何を感動するというのか、と思っていた。
でもそんな自分の持論を打ち砕いたのが、ブリヂストン美術館(現:アーティゾン美術館)で20年ほど前に見たザオ・ウーキー。
ほとんど黒と紺と青で表現された抽象画を前に、思わず立ち尽くして言葉を失うほど感動した。
それから10年後に名古屋市美術館のヤゲオ財団コレクションでひさびさにザオの絵に再会し、やっぱり好きだと再確認した。
そのときはじめてザオの絵を見た宮田も同意してくれた。
先日スレッズで見た画家さんの絵は、ザオには似ていない。
女性の画家さんらしく、カラフルでおしゃれな絵だ。
わたしは生まれて初めて、この人の絵を部屋に飾りたい、と思った。
(ザオの絵は素晴らしいけど、部屋に飾りたいとは思わない)
その人はいろいろあって絵に没頭することができたのは育児が終わってからのようだった。
その後も自信のなさでしばらく描けずにいたこともあったという。
もう今は若いころほど絵に没頭も集中もできないけれど描き続けているとのこと。
これほどのものが描けてもそう感じるんだなぁ・・・
この人に会って、いろいろ話をして、そして絵を買いたい。
人生の目標がまた一つ、できた。