ひよこパフェ

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映画『教皇選挙』と自分の立場にふさわしい話

(2025/9/23)
映画『教皇選挙』をアマプラで観たのだが、イマイチ面白さがわからんかった(こういう映画をこう書くって、すごくバカっぽいよなぁ)。まず顔と名前を覚えるのに時間がかかる。特に序盤は、本人のいないときに名前だけ言われても、サッパリ。まだ家だから途中で相関図や表を見たりできたけど、劇場だったらお手上げだったわ。

中盤から人がわかってきて、あの神がかりなシーンからラストまではおもしろかったけど。でも「まぁこの人がなるんだろうな」と予想がついたし、「教皇が手配した治療をやめた」ことから、その治療も予想がついた。なので、あまり驚きもなく。

この映画は「教皇選挙ってこういう雰囲気なのね」「枢機卿ってどこまでも人間臭いのね」の2つを知り、楽しむための映画だと思っていい?いやきっと「これらのことのどこまでが、前教皇が仕組んだことだったのか?」と考えるのがおもしろい映画、なのだろうなぁ。あと聖書を理解して、ステンドグラスの意味までわかると、もっと楽しめたのだろう。


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もう10数年前の話、友人がネット上の発信について「何を書くかより、何を書かないかが大事」と書いていて、ホントそうだなと思った。彼女が書かないと決めているのは「政治的なこと」

わたしは、そういった大きな「書かないこと」はないんだけど、「書き方」には気を付けている。自分の立場でこれを書くときに、不遜になっていないか、逆に自分がいうべきことを遠慮していないか。

こういうことを考えるようになったのは、あるきっかけがある。

もう10年以上前、美術館で偶然知人に会った。並んで見始めたら、いきなり相手がその展覧会の解説をはじめたことがある。その知人は美大を卒業しているわけでも美術関係の仕事をしているわけでもない。なお、わたしよりやや若い女性なので、「教えたいおじさん」でもない。

こう言っては何だけど、わたしは絵の道ではプロである。たぶん彼女の数倍の展覧会をわたしは見てきている。

その相手に「この絵はこういう意味なんだよ。こういう意図で作られてるんだよ。この展覧会にはこんな狙いがあって」などなど上から目線で解説できるのは、つまり、わたしより自分が上だと思っているからなのだろう、とモヤモヤした。(黙って聞いてたけどね)

すると数年後、彼女と共通の知人で建築家の女性と食事をした時に、相手が彼女のことをこう言った。「あの子は身の程知らずだから」と。

「ある建築家の集まりに彼女が参加して、周りは建築家だらけの中で、いきなり解説をはじめて、講師から『キミはどの立場でそういうことをここで言うのかな?』と言われていたのよ。でもそういわれても、全然本人は気にしていないけどね」

そうか、建築家に建築論を論じられるくらいの人なら、イラストレーターにアート論を語るなんてどうってことないことなんだな、と納得した。

思ったのは、モヤモヤする発言をする人は、どこででもそういった発言をしているということ。そして彼女はわたしより上だと思っているというより、単に「自分はスゴイ」と思い込んでいるんだなとも感じた。

言い方も大事だ。「私も雑誌で読んだんですけど、この展覧会ってこういう意図で開催されてるんですってね。ご存じでした?」みたいに言われれば、抵抗なく聴けたと思う。建築家さん相手でも「素人考えかもしれませんが〜」みたいに言えば、受け入れられたのではないか。

そして、自分の立場で言っていいことかどうかは、自分を客観視することにもつながるので、常に意識した方がよいよね、と思うのだった。
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