トリモノ帖

鳥に関するあらゆるコト。あらゆるモノ。

世界中の鳥好きさんに捧ぐ。

2013年4月13日 2013 年ソンクラーン祭

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2013年4月13日 2013 年ソンクラーン祭

ソンクラーン (ソンクランとも、สงกรานต์) とはタイにおける旧正月のことであり、チャントラカティ(タイの旧暦)の新年である。現在、政府によって4月13日から15日(仏暦・西暦)に固定されており、祝日になっている。
また、ソンクラーンの前後約10日間はテーサカーン・ソンクラーン(ソンクラーン期間)と呼ばれ、休日ではないが祭典が行われることがある。
もともとは、純粋に新年のお祝いであり、家族が一堂に集って共同で仏像のお清めを行ったり、年輩の家族のお清めを行う期間であったが、後に単なる水の掛け合いに発展したため、現在では新年と言うよりも祭りという色彩が強い。このため日本では(タイの)水掛け祭りという言い方もする事がある。
なお、同じ趣旨の祭日がミャンマー スリランカ カンボジア やラオスにも存在する。ミャンマーの旧正月に関してはシンジャンを参考のこと。

ソンクラーンの語源であるサンスクリット語のSankrandhiは「変化・移動」を意味する言葉である。この場合、これは天文学的に太陽が白羊宮(おひつじ座)に入ることを意味する。前述の通り現在日付は固定されているがもともとは毎年変わる物であった。
伝統的にソンクラーンは正月の意味合いが強かったが、1888年以降はこの暦が廃止され、4月1日(西暦)を新年と定めることになったため正月の意味が薄れた。1940年にはグレゴリオ暦を導入し、仏暦を修正したことにより、1月1日(西暦)が元旦とされた。一方で、ソンクラーンに行われていたお清めの習慣は現在まで存続し、もう一つの正月として機能している。なお週末とソンクラーンが重なった場合は翌週に振り替え休日が来ることになっている。
なお、仏像のお清めなど宗教的なことも行われるが、仏教の祭日ではない。
(wiki)


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2013年4月9日 シャルル ボードレール生誕 192 周年

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2013年4月9日 シャルル ボードレール生誕 192 周年

シャルル=ピエール・ボードレール(フランス語: Charles-Pierre Baudelaire、1821年4月9日 - 1867年8月31日)は、フランスの詩人、評論家である。

ジョゼフ・フランソワ・ボードレールの息子としてパリに生まれる。ジョゼフはパリ大学で哲学と神学を学んだ司祭であったが、後に職を辞し、芸術家らと交わるなど、芸術に深い関心を持っていたという。第一帝政下で上院議員の議長を務めるなどした人物でもあった。
晩婚のジョゼフはボードレールが6歳のときに亡くなり、その1年半後、まだ若く美しい母カロリーヌは、将来有望な軍人オーピックと再婚する。ボードレールは母の再婚に深く傷つき、生涯エディプス・コンプレックスというべき鬱屈とした感情を抱えることになる。

ダンディとして知られ、亡父の遺産をもとに散財の限りを尽くし、準禁治産者の扱いを受ける。その後は、死ぬまで貧窮に苦しむこととなる。

生前発表した唯一の詩集『悪の華』が摘発され、そのうちの6編が公序良俗に反するとして罰金刑を受ける。後に第2版を増補版として出版し、詩人としての地位を確立した。その卑猥的、耽美的、背教的な内容は、後の世代に絶大な影響を与えることとなる。特に現実と理想の溝から生じる、作品に溢れる絶望感とアンニュイは、一種の退廃的な時代の病を表徴している。
韻文詩集発表後、彼は散文詩と呼ばれるジャンルに新たな詩的可能性を目指し、執筆を続ける。生前は作品集としては陽の目を見なかったものの、後に『パリの憂鬱』(『小散文詩』)として出版された。いまなお多くの示唆にあふれる内容となっている。

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2013年4月7日 ピーリー レイースの地図作成 500 周年

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2013年4月7日 ピーリー レイースの地図作成 500 周年

ピーリー・レイースの地図(ピーリー・レイースのちず)は、オスマン帝国の海軍軍人ピーリー・レイース 1465? - 1554年)が作成した現存する2つの世界地図のうち、1513年に描かれた地図のことを指す。ピリ・レイスの地図とも。

当時知られていた最新の地理知識を使ったと考えられる航海地図で、1929年にイスタンブールのトプカプ宮殿博物館に収蔵された写本類の中から発見された。

地図はガゼルの羊皮紙で作られたもので、インド洋を描いていたと思われる右半分は失われてしまっており、現存する部分は大西洋を中心に描いた左半分の断片である。

大西洋を描く残存断片はこの海域の航海図になっており、陸地としてイベリア半島とアフリカ大陸北西部、南北アメリカの東海岸、および南アメリカから伸びる陸地が描かれている。南アメリカから伸びた陸地には、周辺を航行する船と、動物が描かれている。

この地図は、クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸を「発見」し、アメリゴ・ヴェスプッチが南アメリカを調査してから間もない時期に描かれているにもかかわらず、アメリカ大陸を非常に詳細に描いており、コロンブスやヴェスプッチの原図が失われた現在では、アメリカ大陸を描いた史上最古の地図といわれる。

地図に付された文によると、この地図は1513年に作成され、1517年にエジプトを征服したセリム1世に献呈された。ピーリー・レイースは、総計で33枚の地図を参考にしたという。

ピーリー・レイースが地図を描くにあたって参考にした情報源には、イスカンダル王(紀元前4世紀のアレクサンドロス大王のこと)の時代から伝わるものを含んでいたともいわれる。8枚はイスラム世界の地理学者のもの、4枚はポルトガルの航海者の作成したもの、1枚はコロンブスの新大陸地図であるといい、残り20枚の詳細は明らかにされていない。

地図は現在もイスタンブールのトプカプ宮殿に保管されているが、平時は一般公開されていない。
(wiki)


ピーリー・レイース(Pîrî Reîs, ピリー・レイース, ピリ・レイースとも表記される。「ピーリー」は「提督」の意。もしくはアフメット・ムヒッディン・ピリ Ahmet Muhiddin Piri, もしくはアフメット・イブニ・エル=ハジュ・メフメット・エル=カラマニ Ahmet ibn-i el-Haç Mehmet El Karamani 1465年? - 1554年)は、オスマン帝国海軍の軍人。
世界地図、航海案内書の作者として知られ、16世紀のオスマン帝国(トルコ)が到達した海洋知識の到達点を示す。

ダーダネルス海峡に面した港町ゲリボル(ガリポリ)の出身で、本名はアフメト・ムヒッディンという。
父ハジ・メフメトの死後、叔父でオスマン帝国艦隊の提督だったケマル・レイースに引き取られ、オスマン帝国海軍の軍人となった。
若い頃叔父に従ってスペインに併合されつつあったアンダルスのムスリムを救援するためイベリアに派遣された艦隊に参加したという。

1499年から1502年まで続いたオスマン帝国とヴェネツィア共和国の戦争に参加、シチリア島、コルシカ島、サルデーニャ島、フランス南岸などの海域での作戦に従事し、「船長」を意味するレイースの称号を与えられた。
1516年から1517年にはシリア、エジプト海域に出動し、セリム1世のマムルーク朝征服を援護、1522年にはスレイマン1世のロドス島遠征に参加した。バルバロス・ハイレッディンが帝国海軍司令官となると、その麾下の提督として活躍する。

1547年、老練の提督となっていたピーリー・レイースはスレイマン1世によって紅海に駐留するインド洋方面艦隊の司令官に任命され、1551年にアデンを征服、アラビア海、ペルシア湾に出動してマスカット、ホルムズ海峡を攻撃し、ポルトガルの進出を牽制した。
しかし、あるときペルシア湾のバスラ沖にポルトガル艦隊が現れたとの報を受け出撃したが、バーレーン近海でガレー船一隻を沈没させたため攻撃を中止しエジプトに帰投したことから戦線放棄の罪に問われ、1554年にスレイマン1世の命によりカイロで処刑された。

ピーリー・レイースは、海軍軍人としての職務のかたわらで詳細な世界地図と航海案内書を作成してオスマン皇帝に献呈したことで、艦隊司令官としてよりも、地図作成者として後世に名を残した。
世界地図は、それぞれ1513年と1526年の記年をもつ2種類の断簡が現存し、いずれもアメリカ大陸を詳細に描いていることで高い評価を受けている。

また、1521年と1526年の記年をもつ2写本が伝存する航海案内書『海洋の書(キターブ・バフリエ)』は、エーゲ海から地中海全域にわたる諸海域について、海域ごとに200図以上の詳細な航海地図と海域の航行法、地誌、歴史情報などを記しており、地理書、歴史書としても高く評価されている。


この地図には、南アメリカの南から伸びた陸地がさらに東に伸び、大西洋の南へアフリカ大陸の下に回り込むように地図中に書き込まれているという不可解な点がある。
この陸地は、地図が描かれた時代よりもかなり後の19世紀に発見された南極大陸の北岸とも思われることから、歴史史料としてよりも、むしろオーパーツとして世界的に有名になっている。

オーパーツ説を採る人々は、ピーリー・レイースがイスカンダル王の時代から伝わる資料を基に地図を作成したため、古代から伝わる南極に関する正しい知識を利用することができた傍証であると考えている。
(wiki)


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2013年4月5日 2013 年植樹の日

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2013年4月5日 2013 年植樹の日

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2013年9月21日ブラジル 2013 年植樹の日

ちょっとだけ木の形が違うのよね。(真ん中右の大きな木の茂り方)


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