トリモノ帖

鳥に関するあらゆるコト。あらゆるモノ。

世界中の鳥好きさんに捧ぐ。

2017年7月3日「ナターリヤ ゴンチャローワ生誕 136 周年」のGoogle

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ナターリヤ・セルゲーエヴナ・ゴンチャローワ(ロシア語: Наталья Сергеевна Гончарова、英語: Natalia Sergeevna Goncharova、1881年7月4日 - 1962年10月17日)はロシア・アヴァンギャルド運動の著名な美術家・デザイナー。生涯にわたるパートナーとなるミハイル・ラリオーノフとともに立体未来主義を標榜した。同名の大叔母ナターリヤは、大詩人アレクサンドル・プーシキンの夫人である。

略歴
1881年にトゥーラ近郊の村ナガイェヴォに生まれる。モスクワ美術アカデミーに彫刻を学ぶが、1904年に絵画に復帰。ロシア民芸のプリミティヴな側面に深く触発されて、フォーヴィズムやキュビズムの要素も取り入れつつ、自作でプリミティヴィスムを確立しようと模索した。当初はラリオーノフとともにレイヨニスムを展開する。ふたりは革命前夜のロシア前衛芸術運動の主要な創始者であり、1912年に展覧会「ロバの尻尾」を主宰した。1911年にミュンヘンの前衛美術グループ「青騎士(Der Blaue Reiter)」に創設メンバーとして加入し、1912年の青騎士展にも出品。

「ロバのしっぽ」は西欧美術の影響力に意図的な歯止めを掛け、近代美術におけるロシア画派の独立を確定するものとして構想された。しかしながら後年のゴンチャローワの絵画では、ロシア未来派の影響が非常に如実である。当初はロシアの民具やイコンに心酔していたものの、ロシアでは、「自転車乗り」や、その後のレイヨニスムによる絵画で有名になった。ラリオーノフとともにモスクワの未来派の指導者として、イタリア未来派と同趣向の講演会も組織した。またゴンチャローワは、グラフィックデザインにも関与して、未来派の様式で挿し絵つきの本を出版した。

1915年にジュネーヴでバレエの衣裳と舞台をデザインする。1921年にパリに移り、セルゲイ・ディアギレフのロシア・バレエ団のために数々の舞台をデザインした。

1939年にフランスに帰化。1962年にパリに客死。

2007年6月18日に、クリスティーズに1909年の油彩画「リンゴ摘み」が出品されると、490万ポンドに高騰し、女性画家の作品としての最高額を達成し[1]、更に2010年2月には、同じくクリスティーズにおいて油彩画『スペイン』が642万5250ポンドで落札され記録を更新した。


ナターリヤ ゴンチャローワ生誕 136 周年


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2017年6月30日「アシア ジェバール生誕 81 周年」のGoogle

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アシア ジェバール生誕 81 周年

アシア・ジェバール(アラビア語: آسيا جبار‎, フランス語: Assia Djebar, 1936年6月30日 - 2015年2月6日)はアルジェリアの小説家、エッセイスト、映画監督。

経歴
フランス領アルジェリアに生まれる。1955年、アルジェリア人女性として初めてグランゼコールの女子高等師範学校に入学し歴史学を専攻。在学中からアルジェリア民族解放戦線(FLN)を支持する作品を次々と発表。1958年から翌年にかけてチュニジアにジャーナリストとして滞在。1959年から1965年までモロッコやアルジェの大学でマグリブ現代史を講ずる。アルジェリアが独立を達成した後は、フランス語で創作を続ける意義に悩み作家活動を休止したが、1980年に再開。1997年に渡米し2001年からはニューヨーク大学フランス語学科教授を務めた。

1999年にはベルギー王立アカデミー会員に、2005年にはマグリブ出身者としては初となるアカデミー・フランセーズ会員に就任した。2015年パリで死去。

著作
『渇き』 1957年
『待ちきれない者たち』 1958年
『新世界のこどもたち』 1962年
『うぶなヒバリたち』 1967年
『壁の中のアルジェの女たち』 1980年
『愛、ファンタジア』 1985年
石川清子訳、みすず書房、2011年
『影、スルタン妃』 1987年
『メディナから遠く離れて』 1991年
『アルジェリアのある夏の記録』 1993年
『牢獄は広大なり』 1995年
『アルジェリアの白人』 1996年
『オラン、死んだ言葉』 1997年
『ストラスブールの夜』 1997年
『わたしに絶えず付きまとうあの声たち』 1999年
『墓のない女』 2002年
持田明子訳、藤原書店、2011年
『フランス語が消えて』 2003年
『父の家に居場所がどこにもなく』 2007年
戯曲
『風と嵐のなかのイスマエルの娘たち』 2000年
『アイシャとメディナの女たち』 2000年
映画
『シェヌア山の女たちのナウバ』 1978年
『ゼルダ、あるいは忘却の歌』 1982年
受賞歴
1979年 ヴェネツィア・ビエンナーレ国際批評家賞 『シェヌア山の女たちのナウバ』
1995年 モーリス・メーテルリンク賞
1996年 ノイシュタット国際文学賞
2002年 ドイツ出版協会平和賞
参考文献
アシア・ジェバール みすず書房
『現代外国人名録 2012』 日外アソシエーツ
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2017年6月21日「2017 年夏至(北半球)」のGoogle

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2017 年夏至(北半球)

Today’s Doodle celebrates the summer solstice in the Northern Hemisphere. As the longest day of the year, solstice marks the official start of the summer season. If you live north of the equator, today you’ll enjoy the most amount of sunlight in a single day that you’ll have all year. And the farther north, the more sun! In fact, in the Arctic Circle, the sun will shine for a full 24 hours. Whether you'll be outside with the blooms or inside with a good book, enjoy the day. Ready…set…summer!
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2017年5月29日「美空ひばり生誕 80 周年」のGoogle

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美空ひばり生誕 80 周年

In 1945, 8-year-old Hibari Misora sang before an audience at a concert hall in Yokohama. So went the debut of a long and storied musical career spanning nearly 45 years, 1,200 recorded songs, and 80 million records sold worldwide.

Over the decades, Misora became a beloved figure of modern Japanese pop culture, acting in more than 150 movies while continuing her extensive musical pursuits. Her status as a cultural icon has inspired museums, monuments, tributes, movies, and other homages to her life and work.

Though today’s Doodle depicts Misora in her most well-known costume, the Doodler considered an early draft that highlighted her career from start to finish, through album covers and movie posters. The final Doodle shows Misora donning her phoenix wings to showcase her larger-than-life personality.
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2017年4月14日「ベンガル暦新年(ポヘラ ボイシャック)」のGoogle

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2017年4月14日
ベンガル暦新年(ポヘラ・ボイシャク Pohela Baishakh、ベンガル 新年)

ポヘラは1日、ボイシャクは年の初めの月という意味で、西暦での1月1日にあたる。

バングラデシュでは、今でもこの“旧正月”を新年とする習慣が浸透している。
国中、特に首都ダッカは、カラフルなお祝いとパレードによって生き生きしてくる。
1月1日を何事もなく過ごした人たちも、この日は家族と過ごしたり友達と出かけたり
お正月らしく過ごす。

Shubho Noboborsho!(新年おめでとう!)


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2017年2月24日 ペンパン シィティタイを称えて

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2017年2月24日
ペンパン シィティタイを称えて

ペンパン・シィティタイさんは、タイの伝統文化であるフルーツや野菜を使った
「タイカービング」「フルーツカービング」「ベジタブルカービング」の彫刻家。

タイでは2月24日は国家芸術家の日とされ、「国家芸術家の日」に合わせて
「ペンパン・シィティタイ」さんの「タイカービング」のロゴが表示されています。
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ポルトガルのバルセロスの雄鶏「ガロ」

bs-002g-r1.jpgポルトガルのお土産人気No.1のニワトリさん。ガロはポルトガルでは「真実の証、バルセロスの雄鶏」として知れらています。男の無実を証明した勇気あるトリとして、伝説となって残っています。

画像はコチラのお店でお借りしました。→【楽天市場】メルカード・ポルトガル 輸入食材

〜Lenda do Galo de Barcelos〜
この話は16世紀のこと。

ある日、この地に一人のガリシア人が通りかかり、宿をとります。
ちょうどこの当時、町では盗みが横行し、なかなか泥棒がつかまらない。なんの因果でか、このガリシア人に容疑がかかり逮捕されます。
男は無実を訴えるのですが誰にも信じてもらえず、とうとう絞首刑を言い渡されます。

聞き届けられる最後の願いとして、男は自分にその判決を言い渡した裁判官を訪ねたいと言います。町の名士を集めて宴を開いていた裁判官に男は再度自分の無実を訴えますが、居合わせた誰もがこれを聞いても信じはしませんでした。

テーブルの上に載せられている丸焼きの雄鶏のご馳走を目にした男は言います。
「明日の朝、刑に処せられる時、わたしの無実の証として、この丸焼きの雄鶏が鳴きだすだろう」
これを聞いた人々は大笑いしますが、それでもその雄鶏の丸焼きのご馳走に手をつけないで、明朝まで置いておくことにします。

翌朝、処刑の時間が来たとき突如として、テーブルに載っていたご馳走の雄鶏が起き上がり、「コケコッコー!」と鳴いたのでありました。
裁判官は即座に男の無実を悟り、自分の判決を翻したのでした。

数年経ち、ガリシア人の男は再びバルセロスに立ち寄り、自分の信仰に応えてくれた聖母マリアとサンチアゴを讃えるために十字架を掲げる石碑を建てたということです。その石碑は現在もバルセロスの町に残っています。(spacesisのポルトガルよもやま話その66:バルセロスの雄鶏・ガロ(Galo)

バルセロス (Barcelos)は、ポルトガル・ブラガ県の地方自治体・都市。
市単体では人口20,625人[1] だが、89の教区を抱え、その総人口は123,831人となる。バルセロスはミーニョ都市圏を代表する成長著しい自治体である。アドベ生産と織物業で知られる。

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画像はコチラのお店でお借りしました。→【楽天市場】メルカード・ポルトガル 輸入食材

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2013年6月10日 2013 年ポルトガルの日


ワタシのマンガブログ。ひよこカップルが大活躍☆
https://ameblo.jp/hiyoko-dagane/
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2017年1月28日 酉年・旧正月のGoogle

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2017年1月28日2017 年旧正月

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旧正月(きゅうしょうがつ)は、旧暦の正月(年初)。旧暦元日(旧暦1月1日)、またはそれから始まる数日間のことである。

ここで言う旧暦とは、狭義には、中国・日本・朝鮮半島・ベトナムでかつて使われていた、中国暦およびその変種のことであるが、下述するように、広義には、モンゴルのチベット仏教暦、東南アジア諸国の上座部仏教暦のように、他の地域・文化圏の旧暦を含む場合もある。
旧暦1月1日は、通常雨水(2月19日ごろ)の直前の朔日であり、1月21日ごろから2月20日ごろまでを毎年移動する。旧暦で平年だった年は翌年の旧正月は約11日後退し、閏月があれば約18日進む。
中国大陸・香港・台灣・韓国・ベトナム・モンゴル・ブルネイでは、最も重要な祝祭日の一つであり、グレゴリオ暦(新暦)の正月よりずっと盛大に祝われる。ほかに、シンガポール、マレーシア、インドネシア、ミャンマーなど中華圏の影響の強い華人(中国系住民)の多い東南アジア諸国、世界各地の中華街などではChinese New Yearとして祝われる。ただし日本では、沖縄・奄美の一部地域や中華街を除けば、もっぱらグレゴリオ暦の正月が祝われる。
なお、旧正月は全ての国で同じ日とは限らない。これらについては後で詳細に述べる。
日本とベトナムの旧正月は、時差により、中国標準時を使っている他国と異なることがある。
モンゴルの旧正月は、中国暦とは別系統のモンゴル暦(en)の年初なので、他国と異なることが多い。
(wiki)

2005年2月8日2005 年旧正月 - 中国
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2016年11月14日 Doodle 4 Google - 2016 年子供の日(インド)

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2016年11月14日 Doodle 4 Google - 2016 年子供の日(インド)

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2016年8月9日「2016 年七夕祭り」のGoogle

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https://www.google.com/doodles/qixi-festival-2016


A boy-meets-girl story with a supernatural twist, the romantic legend behind Qixi Festival dates back to the Han Dynasty (206 BCE–220 CE). In recent times, Qixi Festival, also called Double Seventh Festival or Magpie Festival, has become known as Chinese Valentine’s Day.

Cupid plays no part in this tale. Instead, the myth involves Zhi Nu, a fairy weaver maid, and Niu Lang, a cow herder. They, a devoted couple with two children were torn apart by the goddess of heaven who can’t fathom why a fairy would marry a mere mortal. The goddess whisks Zhi Nu back to heaven and separates the heartbroken lovers forever by a river, later known as the Milky Way. Moved by their tears, the goddess allows the lovers to reunite once a year, on the seventh day of the seventh lunar month of the traditional Chinese lunar calendar.

Their meeting spot, a bridge formed by magpies, is the inspiration for today’s Doodle. This year, Qixi Festival falls on August 9th.


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