トリモノ帖

鳥に関するあらゆるコト。あらゆるモノ。

世界中の鳥好きさんに捧ぐ。

Suica、ICOCA、Toica

100305suica1.jpg2010年3月13日より
JR東日本のSuica、東海のToica、
西日本のICOCAが、

相互で電子マネーとして
使えるようになりました。

普段から地元で電子マネーとして
よく利用する人は、
旅先でも同じように使えるわけで
まさに朗報。

JR名古屋駅で見かけた、
Toicaのひよこポスターたち。

行ってみよう!



画像が暗くてゴメンナサイ。。。

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ワタシのマンガブログ。ひよこカップルが大活躍☆
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ドイツ・リトアニア・ベラルーシの国鳥・コウノトリ(シュバシコウ)(世界の国鳥・12)

750px-WhiteStorkGaulsh01.jpgヨーロッパで単にstorkといえば、コウノトリ(鸛、別名:日本コウノトリ、英名:Oriental stork)ではなく、本種を指す。

シュバシコウ(朱嘴鸛)
学名:Ciconia ciconia
和名:「赤いクチバシのコウノトリ」の意味。
英名:White Stork
コウノトリ目コウノトリ科
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ヨーロッパや北アフリカ、中近東に分布。繁殖地は主にヨーロッパと中央アジア。特にポーランドは他を圧倒する世界最大の繁殖地。全世界約23万ペアのうち約4分の1がポーランド国内で繁殖(2004年)夏のポーランド湖水地方の田舎はあらゆる高い場所がコウノトリの巣だらけになる。
708px-Cigogne_blanche_MHNT.jpg
東アジアに生息するコウノトリCiconia boycianaは本種の近縁種となる。羽の色はほぼ同じで、コウノトリはクチバシの色が黒い。両者を同一種とする意見も有力。

雌・雄共同で抱卵、育雛をする。高い塔や屋根に営巣し雌雄で抱卵、子育てをする習性からヨーロッパでは赤ん坊や幸福を運ぶ鳥として親しまれている。それが伝承し、日本でも「コウノトリが赤ん坊をもたらす」と言われる。縁起が良い鳥として、人側も危害を加えないため、人をそれほど恐れない。

ストラスブール( フランス東部アルザス地方の中心都市)の市鳥でもある。市内の土産物屋ではぬいぐるみなど様々なシュバシコウのグッズが売られている。また日本でのコウノトリ同様、野生のシュバシコウが激減したため、市内のオランジェリー公園内に飼育センターを設けて、シュバシコウを飼育している。


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2010年9月12日 ラスコー洞窟の発見記念日

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2010年9月12日 ラスコー洞窟の発見記念日


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致死率高い鳥インフル、人間に感染しやすい型に変異

恐ろしいことになりそうです〜

致死率高い鳥インフル、人間に感染しやすい型に変異 
asahi.com 2010年9月1日0時21分


人に感染すると6割近い致死率を示す高病原性鳥インフルエンザ(H5N1)が
インドネシアで豚に感染し、一部が人ののどや鼻の細胞に感染しやすいウイルスに
変異したことがわかった。
解析した東京大医科学研究所の河岡義裕教授らの研究チームは、致死性の高い
新型インフル出現に備え、豚インフルの監視の必要性を強調している。

河岡さんらはインドネシアのアイルランガ大と共同で、2005年から09年にかけて
3回、インドネシアの延べ14州で、無作為に選んだ702匹の豚の鼻汁や血液、
ふんなどを調べた。

05〜07年に調べた豚の7.4%から高病原性鳥インフルのウイルスが分離され、
分析すると、どの豚も近隣の鶏で流行した鳥インフルに感染していた。詳細に調べた
39のウイルスのうち、一つが人の鼻やのどの細胞にくっつきやすく変異していた。
08〜09年の調査では過去に感染していた形跡はあったが、ウイルスは分離されなかった。

これまで見つかった高病原性鳥インフルは人には感染しにくいが、人に感染しやすい
高病原性の新たなインフルの出現が懸念されていた。豚は鳥型インフルにもヒト型
インフルにも感染するため、豚の体内で、人に感染しやすく変異したとみられる。

高病原性鳥インフルは、豚では症状を起こしにくく、感染した豚は無症状だったため
気づかないうちに広がった可能性がある。

河岡さんは「高病原性で人に感染しやすいウイルスが知らぬ間に広がる恐れがあり、
症状がなくても豚のウイルス検査をきちんと実施すべきだ」と話す。

調査結果は米疾病対策センター(CDC)の専門誌「新興感染症」電子版で報告
された。(大岩ゆり)
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巨大なくちばしで攻撃=「恐鳥」の一種、化石分析―600万年前、南米に生息

南米アルゼンチンの約600万年前の地層から発見された「恐鳥」の一種の
頭骨化石を詳しく調べたところ、巨大なくちばしをおののように振り下ろし
獲物を捕らえていた可能性が高いことが分かったそうです。


大きいものは3mを超すと言われる恐鳥類の中で、1.4m程度の体調である
「アンダルガロルニス」は中型。
それでも、羊程度の大きさの動物を捕獲していたと言う。


当時の南米大陸は独立した大陸だったので、恐鳥類の天下だったんだそうです。
いやはや、この時代に生きていなくてよかったです。



巨大なくちばしで攻撃=「恐鳥」の一種、化石分析―600万年前、南米に生息

8月22日15時5分配信 時事通信

南米アルゼンチンの約600万年前の地層から発見された「恐鳥」の一種の
頭骨化石を詳しく調べたところ、巨大なくちばしをおののように振り下ろし
獲物を捕らえていた可能性が高いことが分かった。
同国のラプラタ大付属博物館や米オハイオ大などの国際研究チームが22日までに
米オンライン科学誌プロス・ワンに発表した。

恐鳥は、恐竜絶滅後に出現した飛べない大きな鳥。
約6000万年前から約200万年前まで主に南米大陸に生息した。
化石が見つかった「アンダルガロルニス」は中型で、体の高さが1.4メートル
体重が40キロと推定され、頭骨の長さが37センチ。
くちばしは側面から見ると巨大だが、上から見ると幅が狭い。
先端はワシのような鋭いかぎ形となっている。
頭骨をコンピューター断層撮影装置(CT)で調べると、ワシなどに比べて非常に
頑丈な構造だった。
一方、かむ力は比較的弱く、獲物に突進してはくちばしを振り下ろすことを
繰り返し、餌食にしていたと考えられるという。 
2010/08/23/Mon
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2010年8月9日 2010 年シンガポール建国記念日

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2010年8月9日 2010 年シンガポール建国記念日

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2010年6月29日 アントワーヌ ド サンテグジュペリ生誕 110 周年

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2010年6月29日アントワーヌ ド サンテグジュペリ生誕 110 周年

アントワーヌ・マリー・ジャン=バティスト・ロジェ・ド・サン=テグジュペリ
(Antoine Marie Jean-Baptiste Roger, comte de Saint-Exupéry、1900年6月29日 - 1944年7月31日)は、フランスの作家、操縦士。

郵便輸送のためのパイロットとして、欧州-南米間の飛行航路開拓などにも携わった。
読者からは「サンテックス」の愛称で親しまれる。

リヨンの伯爵の子として生まれる。
兵役(志願)で陸軍飛行連隊に所属し、退役後は自動車販売員などに就業した後、民間航空界に入る。

1926年、26歳で作家として本格的にデビューし、寡作ながら以後、自分の飛行士としての体験に基づいた作品を発表。
著作は世界中で読まれ、後に敵となるドイツ空軍にも信奉者はおり、サン=テグジュペリが所属する部隊とは戦いたくないと語った兵士もいたという。

大戦中、亡命先のニューヨークから、自ら志願して再度の実戦勤務で北アフリカ戦線へ赴く。1944年7月31日、フランス内陸部を写真偵察のため、ロッキード F-5B(P-38の偵察型)を駆ってボルゴ飛行場から単機で出撃後、地中海上空で行方不明となる。

その行方は永らく不明とされていたが、1998年9月7日、地中海のマルセイユ沖にあるリュウ島近くの海域で、サン=テグジュペリや妻の名などが刻まれた、ブレスレットとみられる銀製品がトロール船によって発見された。

『夜間飛行』(1931年)と『人間の土地』(1939年)は、ベストセラーとなり代表作として高い評価を受け、現在でも世界中で広く愛読されている。
『戦う操縦士』(1942年)は、ヒトラー『我が闘争』に対する「民主主義の側からする返答」として高く評価された。
『星の王子さま』は、自身で描いた素朴な挿絵も含め世界各国で長く愛読された作品。

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2010年6月26日 スントーン プー生誕 224 周年

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2010年6月26日スントーン プー生誕 224 周年

スントーン・プー(Sunthorn Phu、สุนทรภู่、1786年 - 1855年(タイ仏暦2329年 - 2398年))はタイの詩聖と呼ばれる大詩人。1986年には生誕200周年を記念してユネスコの祝賀を受け、賞賛された。

本名はただ単にプーである。王族出身ではなく平民出身であった。2歳の時に両親が離婚し、父は田舎のラヨーンに帰り、母は再婚し後宮で副王の長子の乳母の職をえた。プーはトンブリーにあるチーパカーオ寺(シースダーラーム寺)に預けられそこで学んだ。
学問をためると還俗して役所の書記となった。そのうち相聞歌にこり始めたが、非常に上手く役所内では評判の物書きとなった。しかし、後宮のチャンという女性と恋仲になり、ラーマ1世の王子の怒りにふれ、二人とも牢屋に入れられた。20歳で許され出獄すると、ラヨーンの父の元を訪れた。このときに書かれたのが『クレーン紀行詩(ニラート)』である。
まもなくバンコクに帰り、チャンとの結婚を許され落ち着くが長続きせず離婚。その後4人の女性と結婚したが、酒癖が悪くいずれも長続きしなかった。
一方で『クレーン紀行詩』によりその文才を認められ始めた、プーはラーマ2世により宮廷歌人の職を仰せつかり、ター・チャーン(王宮近くの舟場)付近に住居を賜った。しかしその後、酒によって王族を殴ったため、再び牢屋に入れられた。このころから『アパイマニー王子物語』の著作を始めたと言われる。
しばらくはプーは忘れ去られていたが、ラーマ2世がある時、詩作に困りふとプーの顔を思い出したため、釈放の運びとなった。釈放された彼は、クン・スントーンウォーハーン(ขุ่นสุนทรโวหาร)の名を賜った。この爵位名の一部と本名を合わせてスントーン・プーと通称がつかわれることとなる。この後、宮廷内では熱弁を奮い、タイ古典文学史上最高作品と言われる『クン・チャーン=クン・ペーン』などの作品の共作をしたりするようになった。プーの黄金時代である。
しかしラーマ3世が即位するとプーは官位は剥奪された。そのためワット・ラーチャブーラナ(仏教寺院)で出家をした(当時人生に悪い変化があると出家をするのがタイの習慣であった)が、再び酒を飲み(上座部仏教の戒律違反)で僧籍を追われ、アユタヤー、スパンブリーなどを放浪した。再びバンコクに帰るとワット・ポー(仏教寺院)に僧籍を於いたが、再びアユタヤーを放浪した。再びバンコクに帰るとワット・マハータート(仏教寺院)で出家した。このころ、プーにはある王族のファンがいたが、その王族が死んでしまったため、小舟を仕立てて行商の旅に出た。このころ数種の作品を仕上げた。
しかし後にピンクラオ親王がプーを再び王宮に引き抜いた。この辺りで『アパイマニー王子』が完成したと見られている。その後複数の詩を書いた。ラーマ3世が崩御し、ラーマ4世が即位すると、以前よりも高い官位プラ・スントーンウォーハーン(พระนสุนทรโวหาร)に叙された。その後作品いくつか残し死んだ。

スントーン・プーの人生は波乱に満ちた人生であった上、民衆に最も近い古典文学者であるためいろんな伝説を生んだ。日本で言えば一休さんのような存在である。有名なものを以下に挙げる。
・プーは酒を飲むと口がものすごく早かった。酒を飲んで程良く酔いが回ると勢いで作詩を始めた。そこで筆記官が二人がかりで筆記しようとしても、とうてい間に合わなかった。
・ラーマ2世の時、プーは後のラーマ3世の詩作の講師であったが、プーが何かに付けラーマ3世の作品に文句を付けていたのでラーマ3世は即位するとプーから官位を剥奪した。
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2010年5月14日「パラグアイ独立記念日」のGoogle

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2013年5月15日パラグアイ独立記念日

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2010年4月22日「2010 年アースデー」のgoogle

2010年4月22日2010 年アースデー
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