2012年10月15日『引き留められるということ。』4年前、オットの従妹の結婚式のために滞在した東京で
数ヶ月に一回、数日しか滞在できないと、会える人は限られてくる。
たまたまそういう話になるか、お互いに都合が合うかどうかで、会えたり会えなかったり。
そんな中で、会えたということには深い意味があるのだと特に感じた今回の滞在。
毎回毎回いろんな人にいろんな言葉をもらって、いろんなことに気づかされて。
それは本当に自分の人生観すら変えてしまうことさえある。
いつもただ気づかされるだけの私だけれど、自分も人に大きな気付きを与えられるようになりたい。
それにはもっと日々真剣に生きなければと思うのだった。みんな本当にありがとう。
場所: 東京駅
このときこの人に会わなければ、私はイラストレーターを辞めていたかも、と今でも思う。
このとき会ったある人に「イラスト辞めて会社員(正社員)になる!」と宣言して、その人から泣きながら
「アンタ本当にやれるだけやったの?やれるだけやったと自分で思えるまで、絶対辞めちゃダメだよ」
と言われて思いとどまったという出来事があったのでした。
(実は拙著に書こうとして、編集さんからボツにされたという経緯のあったエピソードなのです)
今も、仕事がなければ不安から「もう辞めようか」と思い、仕事が来ればハードさから「もう辞めたい」と思う
ヘタレな私ですが、辞めずにいるのは、この人から
「だからアタシの言った通りでしょ。アンタ辞めなくてよかったでしょ」
と言い続けてほしいからなのかもしれない。
(実際彼女は、私が大きい仕事をするたびにそう言う)
でもよくよく考えてみれば「イラストレーターを辞める」というのは
「辞めます」と宣言して、仕事を断り続ければ辞められるけど
「続けます」と言っても、仕事が来なかったら、続けようがないんだよね。
今はかなり大きな仕事を抱えていて正直しんどいけど、でも仕事があるのは本当にありがたい。
そう思えば、大抵のことは耐えられる。
というより、本当に仕事でしか得られない、得難いことってありますね。
頑張れば、相手もちゃんと答えて下さるのを感じられて、今はすごく幸せにお仕事させていただいております。
辞めようなんて思ったことがウソみたいです。
2013年10月23日&2014年10月23日『嗚呼、ボランティア!』
さかえサイエンストークのファシリテーターをしてから3年。何だかもっと前のことのような気がしている。
この翌年にはやっとかめ文化祭の「やっとかめ大使」もやったりして、ボランティア頑張りましたよ。
名古屋という街はこんな風にまずは入り込んで、捨て身で尽してみてから初めてお仕事に繋がるという土地柄。
それは名古屋出身で、27歳まで名古屋で生活していた私にしても同じこと。。。なんだよね。
5年前に帰って来てから、改めて気付いたのは
私はそうした「名古屋の”異質なものを受け入れない”土壌」が合わなくて、息苦しかったんだなと言うこと。
ちょっとおかしい人でも個性として受け入れてくれる東京が、私にはすごく居心地が良かったこと。
今は、本を出したりして、ある意味「突き抜けた」ので
やっと私の「おかしい部分」も個性として受け入れてもらえるようになったようだし
そもそも、もう受け入れてもらうことを期待していないので、すごく楽だ。
でもやっぱり、こういう点をどうにかしない限り、名古屋のこれ以上の発展は、なかなか望めないんじゃないかって
憂えてしまう。。。。一応名古屋を愛するものとしてはねぇ。。。
2015年10月発売の実話エッセイ。アトピーって痒いだけの病気じゃないんです。
(10/10Amazonまた売り切れました!段々品薄になってきてます〜わぁい♪)
#「アトピーの夫と暮らしています」の感想
リンク「アトピーの夫と暮らしています」
読書メーター →9/22 New!
クチコミ.jp
ブクレコ