テレビ塔の今後と都市計画。

2018.10.16 Tuesday
イラストを担当しているNHK Eテレ「すイエんサー」。
今度地元愛知県で公開録画を行うことになり
ご招待いただきました。ワクワク。
会場の「春日井東部市民センター」は、昨年話題に
なった映画「人生フルーツ」の舞台となった
「高蔵寺ニュータウン」内にあり、私も行くのははじめて。
今日の放送も埼玉の公開録画で、結構客席が写っていて
当然子供たちがほとんどで、私たちも写っちゃったら
どうしよう?と言いつつ見ておりました(笑)
来週はテーマ「ぬり絵」で、久しぶりに私のイラストが
画面に登場。また近くなったらお知らせします。
ガッテンHPに貼られているバナーが私のイラストが
入ってるものに変更されたそうです。
お褒めいただいたソフトクリーム!こうやって露出が
増えるのはうれしいものです〜〜。
http://www9.nhk.or.jp/gatten/

2018.10.14 Sunday
この週末は最後のSocial Tower Market。
「名古屋という街」について考えるようになった
きっかけが、東京から名古屋に戻った2011年秋の
大ナゴヤ大学の「Think テレビ塔」という授業で
「役目を終えたテレビ塔をどう生かすか」を
議論したことでした。
そこから始まったSocial Tower Marketの歴史は
私自身が名古屋に根をおろして、名古屋という街に
馴染んで行った歴史でもあります。
写真に撮り切れなかったけれど、もっとたくさんの
人に会って話した本当に楽しい時間でした。
お友達のお店で木の小物を売っていたTさんと一緒に
「名古屋にも個性的な子が増えたね、これからが
楽しみだね」なんて話していました(えらそう?(笑))。
初回2012年に夫婦で着物でお邪魔したら、プロジェクト統括をされていたSさんに「僕は名古屋にお二人のような人を
増やしたいんです」と言われたのを今も覚えています。私たちのような人ばかりでも暑苦しそうではありますが(笑)
それから6年経って、保守的と言われる名古屋にも、変化の兆しが感じられました。
終わってしまうことは寂しいけれど、これがまた新しいテレビ塔のスタートになると信じて。
名古屋にはこんなに素敵な素晴らしい人たちがいて、素晴らしい文化があるんだよ、ということを
私も少しずつでも伝えていけたらと思います。みなさま、本当にお疲れ様でした!!
(写真:
宮田雄平(右上3枚・Nago-1以外))
10/7(日)〜10/12(金)
10/10(水)の取材を皮きりに、急激にお出かけが増えて行く予感。体力つけなくちゃ。
なにより、痩せないとヤバイ!

2015年10月発売の実話エッセイ。アトピーって痒いだけの病気じゃないんです。

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三度目の殺人。

2018.10.10 Wednesday
普段は「イラストレーターです」と名乗ります。
仕事内容的には、漫画も描くし、キャラクターも作るし、エッセイなど文章も書きます。でもまだまだ比率的には「イラストレーター」が正しい。
とはいえ、いろいろやってきて、自分は何がしたいんだろう、と改めて
問うた時に「じゃあどう呼ばれたいんだろう」と考えると「作家」と
呼ばれるのが一番うれしいことに、先日ジュンク堂さんのイベントで
気付いたのです。
「名古屋の作家さんと楽しいイベント」と書かれているのを見て
ああ、このままこの先もこう呼んでもらえるように頑張りたい。
と心から思いました。
そして、周りの頑張っている素晴らしい方々を応援できる自分でいたい。
そのために、もっと力が必要だなーと実感しています。
この先どうすればいいだろう?そんな話をしながら、紅茶を飲んでいると、時間が過ぎるのはあっと言う間。
一社のTEA-MODEの紅茶です。夏はコーヒー党ですが、秋になると紅茶が飲みたくなります。
→映画鑑賞メモ
映画「三度目の殺人」を見た。昔から法廷・裁判ものが好きなので、楽しめた。
役所広司の存在感・圧倒的な演技力が素晴らしかったけれど、それに対峙して
クールな「勝利主義」から「正義を追求」しようと変わっていく福山もなかなかよかった。
広瀬すずも予想外に良かったし、斉藤由貴は相変わらず気持ち悪くゾクゾクした。さすが。
土ドラ前クールで、娘に依存する母親を怪演していたけど、この映画を見てのキャスティングだったのかもと思えるほど。
法廷ものは基本的には最後に向かって真実が暴かれるものだけれど、この映画は是枝監督曰く
「あえてもやもやが残る結末にした」のだそうだ。
役所広司は、前任にも悪人にも見えるし、正常な人にも異常者やサイコパスにも見える。
ただひとつだけ、すずちゃんをかばおうとして彼が殺人を犯したというのは真実なんだろうと思う。
この映画の最大の疑問はそのタイトルにある。「三度目の殺人」の三度目とは?
役所広司はかつて人を殺した前科者だったので、二度は殺人を犯している。では三度目は?
・最後に死刑を宣告された役所広司を殺した「司法」による殺人。
・自分を死刑になるように裁判を仕向けた役所広司自身による殺人。
・勝利主義だった弁護士である福山の社会的な抹殺。(今回勝てなかったばかりか、真実を追求することことすら
できなかったことによる無力感・虚無感によって、弁護士を続けられなくなる可能性)
など様々に考えられる。
とても深い、味わい深い映画だった。見てよかった。
撮影が先日トークショーに伺った
瀧本さんで、やっぱり素晴らしかった。
10/2(火)〜10/7(日)
10月一週は最後にノンビリ。ホントは1日から生活が変化する予定が、諸々先方の手続きに不備があり。。。
また忙しくなりそうだけど、食べ物の質は落とさないようにしたいものです。
最後の写真は、ライブペイントが終わって、ホッと一息ついたところ。このあとテレビ塔へ。

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「ほん×ろじ」と「ライブペイント」と「写真にまつわるエトセトラ」

2018.10.07 Sunday
日曜のロフト名古屋前でのイベント、すごく楽しく幸せな一日。おかげ様でたくさんのリクエストをいただいて、模造紙がしっかり埋まりました♡
14時から丸善さんでの「ほん×ろじ」イベントで、3月に閉店した「メルヘンハウス」三輪丈太郎さんとひとり出版社西山雅子さんのトークイベントに参加。本当に素晴らしく、丈太郎さんとは愛読書(岡本太郎)も同じで、大感激。
その足でロフトに向かい、いよいよ15時半からはライブペイント。リクエストはハリネズミにネコ、リラックマ、ハシビロコウなど、動物系が多くてホッ。私の前にトークショーをされてたSwindさんと奥さま、遊び来て下さった紀伊國屋の蓮代さんや絵本作家・林よしえさんとおしゃべりに花が咲き、楽しすぎる時間。
Swindさんの本「異世界駅舎の喫茶店」を購入しサインをいただく。終了後は、本日ジュンク堂最後の佐藤さんと記念撮影。佐藤さんお疲れ様でした♡
引きこもっていると、自分の居場所すら揺らぎがちですが、今日お会いした皆さんと過ごして、ここが自分の居場所なんだなと実感しました。素敵な機会をくださったジュンク堂ロフト名古屋店店長の石本さん、ありがとうございました。また何かありましたら、いつでもお声掛け下さいませ♡(写真撮影:宮田雄平[右上丸善イベント以外])

ライブペイントの後は、とある理由のためにテレビ塔をオアシス21から撮影し、宮田のモーチャーカメラ部の生徒さんの作品を見に、テレビ塔内で開催中の「写真にまつわるエトセトラ」へ。
ざっと見て「これすごくいい!」と宮田に言うと、それが彼・近藤くんの作品!!2年前に円頓寺での撮影に私も同行した際に会った「オシャレ青年」が、こんなゾクゾクする写真を撮るなんて!
なんか久々に感動して、近藤くんと新婚の奥さんと4人で盛り上がり、暑苦しく感動を伝えまくる。(いや、彼は私ではなく宮田の感想を聞きたいと思うんだけどね(汗))すごく楽しい時間。クリエイティブについて語るって、やっぱ楽しいし、ベクトルの方向が同じだと尚更。
この秋から改修に入るテレビ塔での展示に訪れるのも、しばらくお休み。いろいろ問題もあるみたいだけど、名古屋のシンボルとして、これからも頑張って欲しいなー。
9/30(日)〜10/2(火)
カレー、カレー、来る日も来る日も飽きもせず、カレー。カレーづくりは我が家ではオットの仕事。
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アートと女子会。

2018.10.05 Friday
柄にもなく素敵なバースデー女子会にお呼びいただきました。
(そう、ウェディングではないのです(笑))
キラキラステキな女性がいっぱい!
普段「美」について、ほとんど意識せずに生きているので
キラキラした女性に囲まれると、ひたすら反省(笑)
割と最近気づいたのですが、私どうやら人見知りするらしい。。。
自分でもずっと「物おじしない人」だと思っていたんですけど!
全然そんなことなかった!
そんなわけで、緊張しまくりでしたが、前向きな方がたくさんで
パワーいただいて帰ってきました。
またしばらく引きこもって頑張ります。
あ、日曜日は名古屋ロフト前でお絵描きします♡

2018.10.04 Thursday
今週末で閉館する名古屋ボストン美術館の今後について。名古屋市は確か20億くらい赤字を出したのかな?それでもうこれ以上は存続不可能となったようですが。。。しかし、この建物、建築基準法上は「美術館」「博物館」として建てられているため、他の用途に使用するには、さらに10億ほどかけて工事が必要らしい。ならば余計に、このまま市の美術館として使用するべきだと思うんだけど。ボストン美術館の縛りも無くなって、自由に展示できる訳だし。
開館当時の市長である松原氏の言葉がシビれる!
「そもそも、アート事業で儲けようなんて発想がチープ」その続きが左上の言葉。「多少は赤字になってでも支援していく発想が都市として必要でそれが品格」。。。まさしくそうだよね!それに比べて、現市長は。。。あかん。そりゃ、アート不毛の地になりますわな。。。

先日部屋の片づけ(断捨離?)をしていたときに、衝撃の物を発見。
以前にカルチャーセンターで講師をした時のチラシをよくよく見ると、ありえない名前が。。。ま、それはいいのですが、そういえばあのカルチャースクール、今どうなってるんだろう、と調べてみたら、なんと今年1月に閉店していました(驚)
あのときも、ぜひレギュラーでというお話があり、最低催行人数を尋ねられ、できれば「5人」と答えたら、最初は2〜3人でも、続けるうちに話題になって増えていくものなので、と言われ「じゃ、2人で」なんて言う話をmozoのセンターの職員の人と話していたのですが、その後、本部の人らしき強面のオバサンに呼ばれ「一人でもやっていただきたいんですが。できませんか?」と、お願いするというよりは、ほとんど命令するような言い方で高圧的に出られ、頭に来て辞めた経緯が。
だって、センターって金額がシビアで、受講生の会費の何割かしかもらえないので、ひとりだと交通費にもならないのよ。赤字よ。中には生徒さんを自分の他のサービスに引き込みたい、販売したいという目的のある人もいて、そういう人にはいいかも知れないけど、そもそも、イラストレーターは一般向けの仕事ではないので、ここで先生やってるからって、本業には何の役にも立たないしわけですし。
それなのに、レジェメ作って、交通費自腹でたった一人のためにはるばる通い、教えるって。。。。いやぁ無理でしょ。私たちはボランティアで絵をやってる訳ではありませんのでね。こっちから売り込んだ訳でもなく、そちらからお願いしてきてそれは無いでしょ。
それに、センターとしてもひとりで大丈夫なのか?話聞くと、どの教室もせいぜい2〜3人で運営してるっぽくて。びっくりして、そんなんで経営大丈夫なの?と思っていたら、やはり、ですね、という感じ。やっぱ今ってみんな働いてるし、優雅な専業主婦自体が減ってるから、講座で数千円払える層ってのが少ない。そういう層にとっては、場所も大事で、行くなら栄とか星ヶ丘とか、セレブっぽい場所でしょう。って思っていたのでね、納得でした。
9/27(木)〜9/29(土)
だいぶ涼しくなってきて、食卓にも秋の香り。
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「うまくやる」ということ。

2018.10.03 Wednesday
おごらず、
他人と比べず、
面白がって
平気に生きればいい。
先日亡くなられた樹木希林さんのお言葉。
本当にそうだと思う。
この春から縮小傾向にある「すイエんサー」の仕事。
下半分はちょうど二年前。二年前は本場用に絵を描いたし
ぬり絵もこんなにいろいろ描いたのだった。
(色塗りは私。これは試しに塗ってみたもので
本番には使われていない。)
あの頃はよかったなーと過去をうらやんでも仕方がないし
ましてや人と比べても仕方がない。
んでも、「すイエんサー」は初代のイラストがすごく評判が
良かったようなので、未だにそれがプレッシャーなのだ。
んでも、あるとき、作家の鈴木輝一郎先生が
「それだけ(4年)続いているなら大したもんだね。
テレビは結構シビアで、結果出ないとすぐ切られるからね」
と言って下さり、なんか急にホッと力が抜けたのだった。
人と比べても仕方がない。私が私で頑張るだけ。
輝一郎先生、ありがとうございます!
先日、あるお店の経営者と話していた時の事。
その事業は、資金計画をある程度キッチリやっていれば、5年くらいは続くんだけど、その先が難しいらしい。
その人は「みんなうまくやってるんですけどね、自分はなかなかうまくやれなくて」と悔しそうに言っていて
共通の知人のある大御所カメラマンのことも「東京から名古屋に来てからも、うまくやられてますよね」と言いだし
何だかもやもや〜〜〜と違和感が。大御所の先生のことは、オットを通じてご苦労もよく知っているので余計に。
言葉のあやなのかもと思ったけど、どうやら本気で自分が「不器用なせい」だと思ってるようなのだ。
「うまくやる」って何だろう?
例えば、私のNHKの仕事だって、そんな大きな仕事をどうやって得たんだとか、上手くやってて羨ましいとか
言う人もいるのかもしれないけど、でもそういう人は、そのために私がやってきた努力のことは考えないのだろう。
どういう絵を描けば仕事が来やすいのか、ずっと研究し続けているし、人が集まる場所にはできる限り顔を出している。
それでも、思うほど仕事が来ないと悩むことも多いし、顔を出しても仕事をくれるような人に出会えない場合も多い。
それでもへこたれずに研究したり、顔を出すしかないのだ。
それだけじゃない。仕事が欲しいと思う相手の仕事は常にチェックし、買えるものは買ってきた。
仕事を得るためには、当たり前だけど、お金も頭も使わなくてはいけない。
ただ絵を描いてるだけで仕事が来ると思ったら大きな間違いだ。
それで仕事を得た人のことを「人に取り入って仕事を得た『上手くやる人』だと言うなら
残念ながら、仕事というものを分かっていない。
その人が飛びぬけていい絵を描く天才ならば、そんな努力をしなくても、コンペに出したりすれば
それだけで注目されてやっていくことができるかもしれない。
けれど、仕事を与える方だって人間なのだ。同じくらいの実力なら、顔見知りに依頼する。当たり前の事。
売れている人は、ちゃんと努力している。「上手くやっている」わけではなく「やるべきことをやってる」
やるべきことをやれていない自分への言い訳をすべきではないのだ。
#仕事の流儀 #イラストレーターの仕事
最近、オットが
「本のネタになる様なことやってればいいと思って」
と言って、始終テレビを付けているので、随分情報通になった。
貴乃花の引退のことを考えると、胸が苦しくなる。
あれだけ一世を風靡した人、相撲を盛り立ててきて功労者であり、平成の大横綱として、華々しい成績を残し
立派に弟子を育ててきた、そんな人が、どうしてこんな辞め方をしなくてはいけないのか。
プロレスの棚橋や野球の新庄が、パフォーマンスなどで業界を盛り上げて、三方よしになっているのに
同じように業界を良くしようと頑張って来たはずなのに、なんでなんだろう。
初対面の印象は当てになるかならないか?
「初対面の印象が良い人」がその後も良い関係を築けるのがデフォルトだとするなら、当てにならないけど
一定の法則がそこに見出せるという意味では、当てになると言える、と思う。
最近はSNSでの発信が増えて、まったく知らない人の人となりを知ることが増えた。
昔は、初めて会う人に対するハードルって、もう少し高かったと思うのだけど、発信力が高い人の場合、相手は勝手に
「知った気になって」、初対面でもついつい親し気にしてしまうものかもしれない。
しかし、やたら親し気な人にはやはり注意なのだ。
私も昔もっとブログで発信していた頃は、絵の展示などに知らない人がわんさか来た。
「ファンですー!大好き!」って言われていい気になっていたけど、結局ほとんどの人は
「勝手に作り上げた自分の都合のいい私」に、「話を聞いて欲しい」だけだった。ガッカリ。
相手も私が都合のいい人間ではないと分かるとさっさと去って行き、お互いガッカリ。
そんな経験から、最初からやたら好意的な人には注意するようになった。
初対面が感じ悪いくらいの方が、安心できるかもしれないと思う(笑)
9/24(月)〜9/26(水)
うまく泡入れられた!(*´Д`)
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海賊とよばれた男


2018.09.29 Saturday
数年前に、プリザーブドフラワーの会社で
週2くらいでバイトしてた頃の写真。
元々手芸好きなので、面白そう♡って
面接受けたら、イラストレーターなら
デザインセンスあるでしょうってことで
なかなかの倍率の中、見事採用。
しかし、やってみると、想像してたような
優雅な世界ではなく、これ、手が痛くなる。
2枚目左上のようなパーツを使って、ひたすら
バラや添え物の茎を作ったり、来る日も来る日も
くるくるくるくる作っておりました。
アレンジデザインは歩合制で、一個売れるごとに
数百円入り、人気のアレンジは一日数十個売れるので
これは美味しいかも♡と張り切って
デザインしたアレンジが一番大きな写真。
売れっ子の人は、売れすぎて扶養範囲超えちゃって
あせってたり(私は扶養範囲関係ないので、ひたすらうらやましい)。
しかし過酷な制作で、腱鞘炎にかかったと聞き、やっぱ無理かも。。。
。。。結局、絵の仕事に差し支えるので、半年くらいで退職。
歩合が乗る分、原価計算がシビアで、真ん中のが作りたかったけど
これだと定価1万円以上になってしまうので、新人はダメだって。
一円削るのに、メチャ工夫して、いろいろ勉強になった。
下の方の写真は試行錯誤してる最中。右上のは初めて作った
アレンジで、デザインは他の人。
辞める時には社長が惜しんでくれて、ありがたかった。
割とすぐに売り切れたので、続けてたら、いい線行ったかも?と
今でもたまに思う。

2018.09.28 Friday
出光興産創業者の出光佐三をモデルに描いた歴史大作。
この人が、欧米大手の参入を許さず踏ん張らなかったら
今頃日本は、ほとんど植民地みたいになってたんでは
なかろうか。。。
今も、工業製品の不振が続く米国から、関税25%などという
馬鹿げた条件を突き付けられたり、沖縄の普天間基地問題で
未だ基地を押し付けられたり(新しく選ばれた県知事が
基地反対派だったことで、住民がNoを突きつけたことが
明らかになった)、米国の言いなりになっているというのに。
岡田くんカッコイイ。綾瀬はるか可愛すぎ、悲しすぎ。
原作では、二番目の奥さんのこともキチンと描いているのに
最初の奥さん、美化し過ぎじゃないかしら。(泣いたけど)
部下の子が軍の飛行機で帰る途中に襲撃されたときは
嫌な予感しかしなかったし。。。
最後に命懸けでイランから石油持って帰ってきたくだりも、上手くいったから感動の美談になったけど
英国に襲われて海の藻屑になってたら、ほとんど犯罪なんじゃなかろうか。
とは思うけど、泣けるわ〜〜〜〜
特に黒木華が登場した時、ピピッときたわ。あ、これ、綾瀬はるかの写真とか遺品持ってきたなって。
子供ができないから身を引いた綾瀬はるか(というかユキ)は、その後も鉄造を思い続け
記事をスクラップし、鉄造に子ができたことをわがことのように喜びながら、生涯独身を貫いて
老人ホームで1人息を引き取ったというのだ。。。ああ、切ない。
んでも実際に、子ができないと女のせいにされて、離縁されるって、よくあることだったんだろうな。。。
9/22(土)〜9/24(月)
3連休中。日曜日は所用でお出かけ。この週はそこそこいい天気だったのね。
しかしその後、ずーーーっと天気悪くて、洗濯も出来ないし、オット撮影にも行けないし。
今日は台風一過で天気よかった。思いっきり洗濯するぞー。
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二次使用料という不労所得。

2018.10.01 Monday
少し前の仕事で、もうイラストレーターなんか辞めてしまおうと思うような
散々な目に遭った案件で二次使用料を貰えることになり、やったー!!
そこそこの金額は入ってくるので、かなりうれしい。
こういう不労所得があると、イラストの仕事は辞められない。
しかし、実は最初に提示された金額は、交渉した後に入る金額の1/5だったのだ。
交渉は大事。二次使用料は、元の仕事と同等か小さな媒体である場合においては
「元の金額の20〜50%」と覚えておきましょう。しかし、二次使用される媒体が
元より大きい場合(本の中身→カバー、雑誌→広告ポスターなど)はこの限りにあらず。
(二次使用料の方が高くなる場合もアリ)
昔あるクライアントから「仕事はワクワクしてしなくてはダメだ」と言われたものだ。
絵を描いてる時間は本当に楽しいのだけど、フリーランスってホント悔しいことや
めんどくさいことだらけ、と思ってて間違いはない。特に金額の交渉と確定申告。
仕事で悔しい想いをしなくて済むようになるには、いい絵を描いて、いい仕事をして
力をつけて行くしかない。そのために頑張る。
ここ何年間かインスタやほかのアプリで一日一枚描くことを自分に課して
続けてきたんだけど、この夏以降、どうにもモチベーションが上がらなくなってきた。
仕事だったらモチベーション関係なく描くしかないけど、日々筋トレ的に描く絵は
やっぱ自分の興味あることでないと厳しい。潮時かと思うので、辞めることにした。
その代わりに、ずっと前からやろうと思っていたことを、ようやく始めることにした。
今度参加する、とある展示のデザイナーさんとの制作で、ずっと停滞していたことの扉が開かれそうで楽しみ。
こういう出会いはウレシイ。それと、未だ仕上がらない構成案を、今週いっぱいには仕上げたい。
#仕事の流儀 #イラストレーターの仕事
9月最終日に、ようやく重い腰を上げて、Websiteをリニューアル。やり出すと、時間を忘れてやってしまう。
といっても、単にサイト左側のナビページボタンを手書きのものに変えただけ。
元プログラマでもあるので、htmlやcssをチマチマ触っているのは性に合っているのだ。
幾つか表示したいページが増えたので、画面内に収まり切らなくなってしまい
ギャラリーとブログは、更に入れ子にして、縦フレームにしました。



2001年10月10日に初めてのWebsiteを立ち上げてから
ほぼ17年。
最初はこんなんでした。→
2001〜2003
まだ趣味のサイトだった頃。
昔(2005年頃)の方がインラインフレーム使ってたり
凝ったサイト作ってたけど、見やすいのはシンプルな
サイトなんだよね。
その後、2006年頃からお仕事サイトを作り始めまして
多分最初はインラインフレームだったはず、なんだけど
どんなサイトだったかサッパリ覚えてない・・・
2007年頃はこんな感じ。
Top Gallery
Flashが入ってないと見られないようですが
左上画像のような感じだったはず、たぶん。
(実は私のブラウザにも入ってないし、入ってるはずの
IEでも見られない。なんでだ?)
左下画像、
2009年はこんなしょぼかったのか。。。
んでも、2003年以降は主力はblogになっていたので
サイトリニューアル自体ほとんどしてなくて
2009年から2012年まではずっとこんな感じだった模様。
Galleryページを更新するのがとにかく大変だったので、更新部分は全部blogに変更したのが2013年の正月。
このデザインは気に入って、3年くらいずーーーーっと使っていた。
けど、どこを更新したか全然分かんないので、2016年2月に更新記録付のブログをトップページに設定。

カラフルなときはよかったんですが、最近「赤×黒」のイラストが増えて何となく違和感が。。。
それで今回のリニューアル。でも文字とイラストのバランスが、けっこう難しくて苦労してしまった。
そういえば、オットは元SEなので、夫婦で「あのシステムはああなってるんだろうね」みたいな話をすることもある。
私はこう見えて、PCのソフト部分には強く、今までのパートナーで、私よりPCに強いのは、今のオットが初めて。
今はSEが本当に足りないらしく、先日もIT系の会社の方から
「ご主人にいつでも戻って来て下さいとお伝え下さい」と言われ
「写真の仕事が無くなったら」と答えたけど、そうならないように祈りたいし
今のところ大丈夫そうでよかよか。
2018.09.30 Sunday
港の名古屋競馬場が老朽化で移転するので、跡地の活用法を市が募集してるそうなんだけど
たぶんまたモールになるんだろうなー。港、ららぽできたんだから、もうモールは要らんと思うんだが。
テレビの出演者は、温泉という意見が多かった。昔、船橋市民だったので、ららぽはよく行ったけど
隣に温泉あって、すごくよかったのを思い出した。
個人的には、しつこいようだけど、美術館、特に現代美術館を作って欲しい。上野や六本木みたいに
一ヶ所に美術館が集まっててハシゴできたら最高なのに。その隣に温泉あったらいいかもー♡
「愛知県は他県に比べてこれが少ないんです!」っていうから、美術館かと思えば、サッカー場だって。
スポーツの底上げが必要だって言うけど、アートの底上げも必要だよ。
印象派ばっか見てたって、新しい芸術は生まれないって、いい加減気づいて欲しい。
前に、すごい面白い建物の美術館を作ったら、世界中から観光客が集まってるってテレビでやってたので
そういうのを目指すのもアリだなーと思う。これでもう名古屋飛ばしもなくなるだろう。ふふふ。
9/20(木)〜9/22(土)
あまりに外に出ていないので、この週に天気が良かったのかどうかも覚えてないけど
この翌週も来週もどうやら日本は台風に襲われるらしい。。。(涙)
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若くして結婚した方が「良い結婚相手に出会える」という幻想。

2018.09.29 Saturday
ここ数年、日本人全体のエンゲル係数が
上がってるそうで、多分、多少お金出してでも
安全なモノを食べたいと言う人が増えたんだと思う。
東北の震災までは確かにあった安全神話が崩れて
日本人の意識が変わったのだよね。
身体にも心にも、優しい生活がしたいものだ。
ストレスの多い仕事や人間関係は、できるだけ
避けたいと思う今日この頃。
ただ仕事を与えられるのを待つだけじゃなくて
自分から作り出して行かなくちゃね。
そんなわけで、ガシガシ企画の構成案を制作中。
年末の展示作品も、デザイナーさんと一緒に
随意制作中。
大きな仕事を得るには、それなりの活動が必要。
やりたい仕事の方向さえブレなければ、大きな仕事でなくても、好きな仕事ができれば、それでいいんだけどさ。
それでも、好きな作家の表紙とか、巨大なポスターとかディスプレイとか、イラストレーターを名乗るからには
一度はやってみたいものなのだ。
2018.09.27 Thursday 「若くして結婚した方が「良い結婚相手に出会える」という幻想。」
Cakesを読み始めて、恐らく3年くらいが経とうとしている。
最初にはまったのは、あの家入さんの元奥さん、紫原明子さんの文章。
この人文才あるわ!と、読めば読むほどホレボレ、感嘆しつつ
読み入ったものだった。
それと同じくらい文体が好きなのは、人気Barのバーテンダーの立場で
書かれる人気コラム「ワイングラスの向こう側」の林伸次さんの文章。
この林さんの文体、私のようにはまってしまう人が少なくないようだ。
林さんのコラムは、恋愛指南やビジネスについて書かれていて
どれも「そうそう」と膝をたたいて読むことが多いのだけど、どうにも違和感があったのが、この文章。
ワイングラスのむこう側/林伸次
「女性にまつわるちょっと言いづらい話」
(恐らく会員登録をしていないと最後までは読めないので、ネタバレになりますが、林さん、フェル先生、
Cakes編集部のみなさん、これを読まれる方はそんなに多くはないので、何卒ご容赦くださいませ。)
この中に林さんはふたつのことを書かれていて、そのひとつが
「結婚相手を選べる若いうちに、できるだけ良い相手を選んで結婚する」
ということなんだけど、それには違和感があった。
そもそも「良い結婚相手」って何だ?
容姿が優れていること・・・ではないわな。
じゃあ、お金持ちであること?性格がいいこと?
それでは、お金を持っていて、性格の良い人と結婚すれば、人は絶対に幸せになれるのか?
答えは残念ながら、No,である。
結婚して幸せを感じるには、その人自体の資質とか、経験値も多分に必要だからだ。
たとえどんな素晴らしい結婚相手であったとしても、それを感じ取れる感受性が受け取る側に備わっていなければ
「もっと良い人がいたかもしれない。早まったかもしれない」
と感じて、無いものねだりをし続けてしまうのだ。
その相手が「素晴らしい人だった」と感じるのは、自分自身が経験を積んで、今の自分だからこそ分かる結果なのだ。
それともうひとつ、その結婚を幸せと感じるかどうかは、「相性」というものもある。
ある人に取って素晴らしい人が、別の人にとっても素晴らしいとは限らない。
つまり、自分が満足できるかどうか、ということが一番肝心ということだ。
ではどうしたら満足できるのか?
はっきり言えば、完璧な人などあり得ない。
どんな人と結婚しても、ある程度の妥協が必要だというのが、二度結婚してみて実感として感じること。
満足するということは、自分の許容範囲を決めるということ。
ここさえクリア出来ていれば、あとの多少の欠点は目をつぶることができるかどうかなのだ。
私たちは買い物する時にも同じような取捨選択をしている。
これだけの機能が備わっているなら、高くても満足だとか、どんなに安くてもデザインがイマイチだと
使う気がしないなど、人によって満足できる判断材料も境界線も違う。
結婚も同じなのである。
満足するためには、「自分に取って何が一番必要か」が、はっきり分かっている必要があるのだ。
買い物だってそうだろう。
もう絶対にこのブランドのこの柄のこの色のバッグが欲しい!など、欲しいもののイメージが具体的に決まってるほど
手に入った時の満足度は高いし、他の小さな欠点など気にならない。
若い時には自分の好みが明確では無く、いろいろ失敗したりして、自分の好きなものや、求めるもの、譲れないものが
わかっていくのだ。恋愛で失敗することも、無駄ではないのだ。
幸せな結婚とは、こういうことだと思う。
「この人には代わりはいない」と心から思えるような「かけがえのない相手」と結婚することだ。
だから、若くても自分の価値観がはっきりしていて、そういう相手を選べる人だったり
それほどこだわりなく結婚しても、結婚後に絆が深まったり、そもそも、すべてにこだわりが少なく
そこそこの幸せで妥協できる人だったりするなら、問題はないのである。
でも、行きついた最後に「やっぱり最初の彼が良かった」と思うような人は、最初の彼と結婚していたとしても
「本当にこれで良かったのか」と思う可能性が高い。過去は美化しがちだし、隣の芝生は青いんである。
それを確信したのが、今回のフェル先生の人生相談。
年をとって自分の市場価値が上がる前に、いちばん条件のいい相手と結婚したものの。。。という悩みである。
フェル先生のさわやか人生相談/フェルディナント・ヤマグチ
「若くてモテる、港区女子の私が結婚してあげたのに…【299回】」
時間が経つと、フェル先生の回答は読めないけど、質問だけでも、私の言わんとすることは伝わると思う。
これを読むと、幸せを感じるには、受け取る側の感受性って大事だなーというのがわかるし
お金があって、相手の性格が悪くなくても、幸せになれるとは限らないことがわかる。
でもきっと、この女性が結婚せず、40歳くらいまで独身だったら、若い人に
「市場価値の高いうちに結婚しておいた方がいいわよ」って助言するに違いないのだ。
#恋愛 #婚活 #結婚
9/17(月)〜9/19(水)

一年半くらい歩数計つけて歩いてるけど、目標が無いとなかなか歩かないので、こんなのに申し込んでみた。
名古屋市がFBでバンバン宣伝する時代なんやね・・・


2015年10月発売の実話エッセイ。アトピーって痒いだけの病気じゃないんです。

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神泡で癒される

2018.09.24 Monday
東京時代からのお友達・エリコさんが、オレンジ色のプレモルをFBに
UPしていて、それからずっと探していたんだけど、全然見つからず
あきらめかけた頃に、フツーのと水色のとプリングルス付きで
3缶パックで売ってるのを見つける。隣には、神泡サーバー付の
フツーのプレモル6缶パックもあって、そんなにビールいらんけど
と思いつつ、神泡の誘惑に負けて、一気に9缶買ってしまった。
早速オレンジので神泡サーバー試してみた。実はこのグラスも
数年前にプレモル6缶セットを2セット買ってゲットしたもの。
このグラスに注ぐだけで、十分泡立ちはよかったんだけど。。。
そんなに飲めない我々は、350mlを二人で分けるので、注ぐ量の
バランスを間違ったようで、ちょい失敗。。。
せっかくの期間限定オレンジプレモルだったのに。。。と思ってたら、翌日、イオンの酒屋さんであっけなく
オレンジプレモル発見。しかも1缶ずつ買えるがな!!そんなわけで再度ゲット。
んで、本日フツーのプレモルで再度神泡サーバーを試したのが上の画像。メッチャ美しいしうまい!これいいわー!!

2018.09.23 Sunday
所用でお隣北名古屋市にお出かけ。
ブラブラお散歩したら、いろいろ楽しいものを見っけ。
「焼き鳥なのにうしや?」と思ったら、『らくや』だとか(笑)
先日テレビで「北名古屋めしが熱い!」とやってて
「マジか」と思ったんですが、実際に「北名古屋めし押し」の
店を見つけて、思わず撮影(笑)頑張れ北名古屋市!
北名古屋市は2006年に西春日井郡西春町と師勝町が合併して出来た市。
西春日井郡生まれの私としては、とても親近感のある町なのだ。
インタビューで、北名古屋市の人は「早く名古屋市に合併されてほしい」
と思ってるそうだけど、名古屋市の歴史を調べてみると
最後に動きがあった1995年(平成7年)に日進市と境界変更してから、すでに23年。
千種区・昭和区→名東区、昭和区→天白区となった1975年(昭和50年)からも43年。
これはどちらも市内での変更。
最後に新しく周りの市町村を合併したのは1964年(昭和39年)。
知多郡大高町・有松町→緑区の一部
もう54年前だね。私が生まれたからは、名古屋市の境界はほぼ変わっていない。
その緑区ができたのが、前年の1963年(昭和38年)。
守山市→守山区、愛知郡鳴海町→緑区
その前は1955年(昭和30年)。
愛知郡猪高村→千種区の一部、天白村→昭和区の一部
海部郡南陽町→港区の一部、海部郡富田町→中川区の一部
西春日井郡山田村→西区の一部、西春日井郡楠村→北区の一部
50年前は立て続けに合併していたのだよね。半世紀ぶりの合併、なるか!
私は北名古屋市ではなく、同じ西春日井郡でも、今は清須市となったお隣生まれ。
清須市は、2005年に西春日井郡西枇杷島町、清洲町、新川町が合併、2009年に春日町が加わった。
私はその西春日井郡西枇杷島町で生まれ、3歳で庄内川を挟んで東側の西区枇杷島(東枇杷島)に引っ越した。
枇杷島は、古く平安時代には「白菊の琵琶の伝説※1」が残り、美濃路が通り、古くから交通の要所として
歴史的にも重要な場所なのだ(今はとてもそうは思えない微妙な住宅街だけど)。
清須市は、信長の最初の居城である「清須城」のネームバリューがあるし
「ブラタモリ」でも取り上げられたけど、名古屋ができる前の中心地だったわけなので
「名古屋市に合併?とんでもない!清須は清須で行きます!」てなもんなんだろう。
ところで、不思議なのは、西春日井郡時代は「清洲町」だったのに、今は「清須市」で、漢字が変わっている。
これはなんでなんだろう?
織田信長の青年時代の根拠地清須(清洲)、徳川家康による清洲越しで城下町がまるごと名古屋に移転するまで
尾張の首府。江戸時代以後は、美濃街道の宿場町「清須宿」、同街道の市場「枇杷島市」が存在。
とあるから、どっちも使われていたのね。
尾張の首府だった頃は「清洲」で、城も基本は清州城で。江戸時代の宿場町としては「清須」。
それまでは、「清洲」が使われていたから、バランス取って「清須」にしましょうという感じなのかな。(違うか)
※1 平安時代末期の公卿で琵琶の名手・藤原師長が、尾張国井戸田に流罪に処された際に関係をもった女性に
帰京の際に白菊の琵琶を渡す。女性は悲しみのあまり、庄内川に身を投げたという悲恋伝説。
私の母校・枇杷島小学校には、白菊の琵琶(レプリカ?)があったし、今は区画整理でなくなったけど
子供の頃は、白菊町(現・枇杷島2丁目)、琵琶里町(現・枇杷島5丁目)という地名があった。
全部枇杷島になって、かえってややこしくなったし、風情も無くなったと、地元民は文句ブーブー。
行政がザックリ大きく見た場合には、わかりやすいんだろうけど。

ようやく3月の個展のライブペイントの
まとめが終わった。ふぅ。
ライブペイント・2018年3月。
http://hiyoko.tv/gallery/log/eid213.html
9/15(土)〜9/17(月)
コバタクツアー後半。トマトソフトは確かにトマトなのにうまい!美河フランク(三河=美河豚)ジューシー!
SAでトラの穴のパンを購入。夜のおやつのメロンパンと、翌朝の五平餅パン、おにぎりパン。めちゃかわいい。

行きつけのセプン店員さんオススメの焼まろん。聞き覚えある名前だと思ったら、
前に池袋駅で買って食べてたわ!
京やきぐりの比沙家
https://kyo-yakiguri.com/

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人生フルーツ

2018.09.22 Saturday
極上のファンタジー。得難い楽園が、そこにある。
クヌギ、コナラ等の雑木の庭で、自作した作物で、ジャムや
デザートまでこしらえて、丁寧に料理した食事の並ぶ食卓。
バリっとアイロンのかかったクロスには美しい刺繡。
30畳の広いワン・ルームの片隅には機織り機まである。
90歳の建築家のご主人が、師であった建築家アントニン・レーモンドの旧宅を模して設計した建物には、玄関も無く
庭からフラリと入れるようになっている。このラフな感じが、ご夫婦のたたずまいをも表している。
かしこまらず、ただ日々を丁寧に暮らす。日々を消費するだけのほとんどの現代人には、理想郷のようだ。
「家は、暮らしの宝箱でなくてはならない」(ル・コルビュジエ)
「すべての答えは、偉大なる自然のなかにある」(アントニオ・ガウディ)
「長く生きるほど、人生は美しくなる」(フランク・ロイド・ライト)
この三つの言葉が、ご夫妻の暮らしや人生を集約している。
言葉少ななご主人の修一さんに比べて、奥さまの英子さんは84歳とは思えないはっきりとした口調で語る。
バスでデパート?まで行き、20年来の付き合いだという八百屋さんや魚屋さんで「今日はいいトロある?」と
対面で買い物しながら「やっぱり人なのよ、長い付き合いでね、わかってる人からでないと買えないの」
コンビニで買い物したことが一度もないそう。
ガスレンジですら恐る恐る使い始めたので、レンジなんてとんでもない!
と、ガスオーブンは駆使しながら、和食からジャム、ケーキまで、なんでも作ってしまう。
朝は修一さんは和食で、英子さんはパン食。修一さんのためだけにキチンと数品おかずを準備する。
英子さんのパンには、庭で採れた果実で作ったジャムをたっぷりと。
そんな食事の合間も、二人は休むことなく動き続けている。庭仕事や障子貼りなど、やることはいくらでも尽きない。
忙しい日々の合間に孫のはなこさんのために作ったというドールハウスが圧巻。
半田市の造り酒屋のお嬢様であった英子さんは、育ちの良い人らしく、夜眠るとき以外は女の子は
横になってはいけないとしつけられたと話すけれど、本当にそんな感じでずっと働いている。
様々な便利な既製品や機械類は使わず、ゆっくりと時間をかけて、家事をこなし、手仕事をして暮らす。
ゆったりとした動作で、高齢のお二人が、一つ一つ丁寧に時間をかけても、こんなにもいろんなことができる。
文明が進んで便利になったはずなのに、どうして私たちは未だにこんなに忙しく、時間に追われているんだろう?
気付くと、今日一日何をしたっけ?と首をかしげることもしばしばだ。
改めて不思議になった。
この暮らしそのままには出来ないけれど、お二人の言葉や精神は、忘れずにいたいことが多かった。
例えば、修一さんは、英子さんが「一番のガールフレンド」だという。90と84になっても二人は恋人同士だってこと。
そして英子さんは、とにかく修一さんが一番で、修一さんのためになることを心がけているのだという。
毎日毎日飛び切りのご馳走を作り続けるのも修一さんのため。
修一さんのためになることが、引いては自分自身のためになるのだという。
そう言いつつ、リビングのテーブルの位置は、庭の近くがいいという修一さんの意見を抑えて
「少し遠巻きに見る方がいい」という英子さんの意志を通している。
さりげなく、ちゃんと英子さん流に物事が進んでいる。
賢い女性は、そうやって夫を支えて、夫を活躍させ、後ろからコッソリ主導権を握って、家庭を回して行くのだ。
見習わねば(笑)
https://www.hbf.or.jp/magazine/article/hbf2016_vol6第42回放送文化基金賞 2016年9月26日
テレビエンターテインメント番組 [最優秀賞]
「人生フルーツ ある建築家と雑木林のものがたり」の舞台を訪ねて
聞き手・文 / 堀川とんこう(テレビエンターテインメント番組 審査委員長)
語り手 / 阿武野勝彦(あぶの かつひこ)(東海テレビ・報道局プロデューサー)
伏原健之(ふしはら けんし)(東海テレビ・報道局ディレクター)エンタメ部門の最優秀賞『人生フルーツ』は、ある老夫婦のゆったりとした暮らしぶりを
静かに見つめた素晴らしい作品だが、こういうにじみ出るような味わいは、そう簡単に
作り出せるものではない。この作品はどのようにして生まれたのだろう?
番組を制作した東海テレビのスタッフと、描かれたご夫婦の家を訪ねることにした。
阿武野さんはドキュメンタリーの世界ではつとに有名な人で、お目にかかったこともあり
『死刑弁護人』など、何本かの作品も拝見している。
この作品が表現したもの、いわゆるメッセージは必ずしもわかり易くはない。
流行りのテレビ番組の味わいとは違ったものだろう。
狙いが伝わるという自信は?
伏原D
何が撮れているのか、撮れたものがあるのか、わからなかった。
2年も取材して、400本も廻して、とんでもない駄作をつくってしまったか、と非常に不安だった。
もうこれで次はないかと。カメラマンの村田にも、何も起こらないものを撮ることになるかもしれない
と不安を打ち明けて、納得してもらった。
阿武野P
私は心配していなかった。とにかく取材先へ回数多く通え。通えば必ず撮れている。
日常に入り込んでじっと観察し続けろ、とアドバイスした。
撮れている、撮れているはずだ、というのはおもしろい。
ディレクターが意識しないものが撮れているということだろうか。
ドラマでは使わない言い方です
伏原D
修一という人に惚れ込んでいたが、好きだと悟られないように作りたい、と思った。
修一さんに自分の父親を重ね合わせているところがあった。
父は自分の生き方というようなことは語らないが、語りたいことはあるに違いない。
こっちも聞きたいことはあった。
阿武野P
イベントを撮ろうとするな、日常を積み重ねろ。
イベントは撮っても結局使えないぞと言っていた。
伏原D
それでも、なにかドラマチックなことが起これ、起これと毎日思っていた
知らなかった過去が出てくるとか、夫婦の大ゲンカとか。
隣人が凄い迷惑をしていて、この木を切れといってくるとか。
でも何も起こらないので、あせって小手先のテクニックを使おうかという誘惑を感じたりもした。
取材対象を動かすとか、長年やってきてそういう引き出しがなくもないので。
ドラマや盛り上がるシーンが欲しいというのは、テレビマンなら当然望むことだろう。
ついつい「演出」の手を加えたくなる、という気持ちもよく分かる。
しかしじっと我慢してフィルムを回すうち、一番のドラマが起こる。修一さんの突然の死。
まさにこのドキュメンタリーは、今このときでなければ成立しなかったのだ。
あと一年早くても、一年遅くても、まったく別のものになっていただろう。
撮られるべくして撮られた作品。
修一さんが亡くなって、英子さんは「もうどうしていいかわからない」と言いながらも、日々の生活は脈々と
それまでと同じように過ぎて行く。あんなに毎日お料理していたのに
「もっとおいしいものをたくさん作ってあげれば良かった」と言う英子さん。
朝、自分のパン食と一緒に、修一さんの御前に供えるためだけに、キチンと一汁三菜用意するのも同じ。
こんなこと、誰にでも出来ることではない。
それでも高い場所や力仕事など、英子さんの手には負えないことが出てくる。
ついには業者に頼んで高枝を切ってもらう。修一さんに「私にはできないから許してね」と謝りながら。
そこが一番切なかった。
決して演出したわけではないけれど、修一さんの最後の仕事の工事が始まるところで、物語は終わる。
高蔵寺ニュータウンでは果たせなかった「人間らしい」街を創る仕事。
心を病んだ人が、ホッと和める場所を作りたいという依頼だった。
畑も雑木林も少し荒れている。手入れが行き届かない。それもそのはずだ。
修一さんは去年の6月に亡くなった。番組のなかで描かれている通りだ。
主はもういないのだ。しかし、修一さんの強烈な個性は生き続けている。
生き続けてこの家に満ち満ちている。
それは番組に登場する温顔の好々爺の修一さんではない。
もっとわがままな才能、強烈に自己主張する個性。建築に関する哲学の実践。
英子さんはその哲学に優しく寄り添ったガールフレンドなのではないか。
作中に、そんな修一さんの一面が垣間見られるシーンがある。
デザートのさくらんぼヨーグルトに、うっかり英子さんが金属のスプーンを添えると
「これじゃないほうがいいんだ」と言って食べようとしない修一さん。
「ごめんなさいね」と慌てて木のスプーンを差しだす英子さん。
スプーンひとつにも、修一さんには哲学がある。単なるワガママとも言えるけれど(笑)
奥さまの英子さんは、日本のターシャ・テューダー。この生活は「大草原の小さな家」そのものだ。
どちらも荒れ地を開拓したフロンティア精神に溢れている。お二人も、公団の仕事としては成し得なかった
高蔵寺ニュータウンの土地に、雑木の森を作ることと目的に、雄々しくこの地に降り立ったのだ。
それから50年。木は大きく茂り、土は肥え、作物はたわわに実った。
「(子供たちに)何も遺せないけど、肥えた土地を遺すことだけはできる」という英子さんの言葉は
まさに開拓者の言葉だと思う。
けれど、昔の物のない時代に、否応なしに行われた手仕事と比べると、ターシャのも、ご夫婦のそれも
非常に贅沢な中に成り立っているのも事実。作中で貧乏だと英子さんが語るくだりがあるけれど
それは過去そうであった時期もあるかもしれないけれど、少なくとも撮影当時はそうではないだろう。
まず、車がなくても生活できる土地に、これだけの作物の採れる庭を持つ人がどれだけいるだろう。
野菜のほとんどをを自給自足しているとはいえ、老後、年金で暮らしながら、デパートで買い物できる
余裕のある層は、そうはいないだろう。
好むと好まざるに関わらず、スーパーの特売に頼るしかないのが現実だ。
一見、とても人間らしい、つつましやかな、清貧な暮らしに見えて、その実は贅沢な暮らしなのだ。
誰もが実現できる生活ではない。例え英子さんと同じくらい手仕事が得意だとしても、日々の糧を得るための
仕事に追われ、忙殺されて、生活から潤いは失われて行く。
そういった意味でも、この夫婦の生活は「奇跡」とも「ファンタジー」とも言えるのだ。
映画自体もいろいろ考えさせられたけれど、途中に差し込んだテレビマンへのインタビューも興味深かった。
「演出をするな」「イベントを撮るな」といういわゆる「テレビらしさ」とは真逆を行く作り方には特に。
少し前に、あるお店のオーナーを取材した際のことを思い出した。
依頼は、店ではなくオーナー個人に迫って欲しいというものだったので、いろいろ尋ねると、その人は怒り出した。
どうやら店の宣伝をしてもらえると思ったようで、自分の個人的なことは書いて欲しくないというのだ。
(という割には、ペラペラしゃべって、そのあと「これ書くの?」と聞いてきて切れるという。。。
書いて欲しくないなら、しゃべらなければ良いのにねー。雑談じゃなくて取材なんだからさ。)
その媒体の趣旨は、面白い活動をしている人にスポットを当てて応援するというもの。
その趣旨が伝わっていないのは、媒体側の問題でもある。
オーナーにスポットが当たれば、おのずから店も繁盛すると思うんだが、どうやらそれは嫌らしい。
それで結局、オーナーではなく店長に話を聞くことにしたのだけど、そのお店がとても
素敵なコンセプトのお店だったので、何か誕生秘話というか、作るに当たっての哲学やストーリーなど
そう言った何かがないかと、尋ねたところ
「そんなものありません。ストーリーが無くちゃいけないんですか?」
と逆に尋ねられた。
その時は返答しなかったけど、答えを言うなら「Yes」である。
今の時代は、ただのモノは売れない。けれど、そこに物語があれば、高額でも売れるのだ。
オーナーには哲学などなく、その一見素敵なコンセプトは、ただ「ニッチな分野だし、儲かりそうなんで
始めただけ」だとのこと。しかし結局、店は上手くいっておらず、他に所有してる他業態の店の利益で
辛うじて維持できているだけ。この店だけでは赤字なのだという。
いや、この店が上手くいかないのは「哲学がないから」やろ!と言いたいのをぐっと飲み込んだ。
けれど、このテレビマンのインタビューを読んだとき、こう思った。
「もしかして、私のしていたことは、過剰な演出だったのか?やたらドラマを欲しがるメディアの悪癖が出ていたのか?」
いや、そうではない。
修一さんと英子さんには、確固とした哲学があるから、すでに揺るぎない物語があるから
ただそれを追うだけで、素晴らしい世界観になるのだ。
哲学も物語も何もない店をどんなに追ったところで、そこに心を打つ世界など生まれはしない。
とは言え、私もプロの物書きですから、そこはしっかりと、取材の中からかすかに感じ取れた哲学を
必死につなぎ合わせて、大変素敵なお店としてご紹介させていただきました。
しかし、私に怒鳴りつけたオーナーは、さぞかし度肝を抜かれたことだろう。
「あれ?俺の店って、こんな素敵やったっけ」
#仕事の流儀 #ライターの仕事
ナレーターの樹木希林さんが先日亡くなられた追悼番組として放送されて、ようやく見られた。
この映画が公開された2017年初頭は多忙を極めていて、とても劇場を足を運ぶなんてことはできなかったのだ。
その後もことごとく機会を逃し、見ることはないのかなぁと思いながら、それはそれで良しと思っていた。
(最近、世間で評判の映画を見ると、なぜかガッカリすることが多いので、あまり期待してなかった
というのもあるけれど)
うーん、やっぱり見られてよかった。
『人生フルーツ ある建築家と雑木林のものがたり』 東海テレビ放送
名古屋のベッドタウン、高蔵寺ニュータウンに90歳と87歳の老夫婦が暮らしている。
津端修一さんは建築家で、奥さんの英子さんは料理上手。敷地に雑木林を作り、野菜や果物を育てている。
1960年伊勢湾台風の高台移転として、日本住宅公団のエースだった修一さんが、高蔵寺ニュータウンの設計を
任された。雑木林を風の通り道にし、元の土地の記憶を残そうとした理想の街づくりだった。
しかし時代は経済優先、詰め込み型の集合住宅化へと変更。
大きな挫折だったが、それでもこの町に住み続けて50年がたった。
小さな苗木は雑木林に成長し、畑では100種類もの野菜や果実が育つ。
英子さんは、畑でとれた作物で修一さんに手料理をふるまう日々。
彼女は言う、「食は命」と。2人の家は30畳一間の丸太小屋。その暮らしはまるで現代の桃源郷のよう。
2人は言う「年を重ねるごとに美しくなる人生にしたい」と。
スローライフというとちょっと軽いし、半自給自足というと何だか泥臭い…。
えも言われぬ夫婦の暮らしを追って“人生のものがたり”を描いた。
プロデューサー 阿武野 勝彦 音響効果 久保田 吉根
ディレクター 伏原 健之 TK 須田 麻記子
撮影 村田 敦崇 音楽 村井 秀清
音声 伊藤 紀明 音楽プロデューサー 岡田 こずえ
編集 奥田 繁 ナレーション 樹木 希林
9/13(木)〜9/15(土)
素敵な手仕事生活をしていそうな生田さんちの五平餅とカレーは最高!
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