人生フルーツ

180922_IMG_5302.jpg2018.09.22 Saturday
極上のファンタジー。得難い楽園が、そこにある。

クヌギ、コナラ等の雑木の庭で、自作した作物で、ジャムや
デザートまでこしらえて、丁寧に料理した食事の並ぶ食卓。
バリっとアイロンのかかったクロスには美しい刺繡。
30畳の広いワン・ルームの片隅には機織り機まである。

90歳の建築家のご主人が、師であった建築家アントニン・レーモンドの旧宅を模して設計した建物には、玄関も無く
庭からフラリと入れるようになっている。このラフな感じが、ご夫婦のたたずまいをも表している。
かしこまらず、ただ日々を丁寧に暮らす。日々を消費するだけのほとんどの現代人には、理想郷のようだ。

「家は、暮らしの宝箱でなくてはならない」(ル・コルビュジエ)
「すべての答えは、偉大なる自然のなかにある」(アントニオ・ガウディ)
「長く生きるほど、人生は美しくなる」(フランク・ロイド・ライト)

この三つの言葉が、ご夫妻の暮らしや人生を集約している。


                  


言葉少ななご主人の修一さんに比べて、奥さまの英子さんは84歳とは思えないはっきりとした口調で語る。
バスでデパート?まで行き、20年来の付き合いだという八百屋さんや魚屋さんで「今日はいいトロある?」と
対面で買い物しながら「やっぱり人なのよ、長い付き合いでね、わかってる人からでないと買えないの」
コンビニで買い物したことが一度もないそう。

ガスレンジですら恐る恐る使い始めたので、レンジなんてとんでもない!
と、ガスオーブンは駆使しながら、和食からジャム、ケーキまで、なんでも作ってしまう。
朝は修一さんは和食で、英子さんはパン食。修一さんのためだけにキチンと数品おかずを準備する。
英子さんのパンには、庭で採れた果実で作ったジャムをたっぷりと。

そんな食事の合間も、二人は休むことなく動き続けている。庭仕事や障子貼りなど、やることはいくらでも尽きない。
忙しい日々の合間に孫のはなこさんのために作ったというドールハウスが圧巻。

半田市の造り酒屋のお嬢様であった英子さんは、育ちの良い人らしく、夜眠るとき以外は女の子は
横になってはいけないとしつけられたと話すけれど、本当にそんな感じでずっと働いている。
様々な便利な既製品や機械類は使わず、ゆっくりと時間をかけて、家事をこなし、手仕事をして暮らす。
ゆったりとした動作で、高齢のお二人が、一つ一つ丁寧に時間をかけても、こんなにもいろんなことができる。

文明が進んで便利になったはずなのに、どうして私たちは未だにこんなに忙しく、時間に追われているんだろう?
気付くと、今日一日何をしたっけ?と首をかしげることもしばしばだ。
改めて不思議になった。

この暮らしそのままには出来ないけれど、お二人の言葉や精神は、忘れずにいたいことが多かった。

例えば、修一さんは、英子さんが「一番のガールフレンド」だという。90と84になっても二人は恋人同士だってこと。
そして英子さんは、とにかく修一さんが一番で、修一さんのためになることを心がけているのだという。
毎日毎日飛び切りのご馳走を作り続けるのも修一さんのため。
修一さんのためになることが、引いては自分自身のためになるのだという。

そう言いつつ、リビングのテーブルの位置は、庭の近くがいいという修一さんの意見を抑えて
「少し遠巻きに見る方がいい」という英子さんの意志を通している。
さりげなく、ちゃんと英子さん流に物事が進んでいる。
賢い女性は、そうやって夫を支えて、夫を活躍させ、後ろからコッソリ主導権を握って、家庭を回して行くのだ。
見習わねば(笑)


                  


https://www.hbf.or.jp/magazine/article/hbf2016_vol6
第42回放送文化基金賞 2016年9月26日
テレビエンターテインメント番組 [最優秀賞]
「人生フルーツ ある建築家と雑木林のものがたり」の舞台を訪ねて
 聞き手・文 / 堀川とんこう(テレビエンターテインメント番組 審査委員長)
 語り手 / 阿武野勝彦(あぶの かつひこ)(東海テレビ・報道局プロデューサー)
      伏原健之(ふしはら けんし)(東海テレビ・報道局ディレクター)
エンタメ部門の最優秀賞『人生フルーツ』は、ある老夫婦のゆったりとした暮らしぶりを
静かに見つめた素晴らしい作品だが、こういうにじみ出るような味わいは、そう簡単に
作り出せるものではない。この作品はどのようにして生まれたのだろう?
番組を制作した東海テレビのスタッフと、描かれたご夫婦の家を訪ねることにした。

阿武野さんはドキュメンタリーの世界ではつとに有名な人で、お目にかかったこともあり
『死刑弁護人』など、何本かの作品も拝見している。
この作品が表現したもの、いわゆるメッセージは必ずしもわかり易くはない。
流行りのテレビ番組の味わいとは違ったものだろう。
狙いが伝わるという自信は?
伏原D
 何が撮れているのか、撮れたものがあるのか、わからなかった。
 2年も取材して、400本も廻して、とんでもない駄作をつくってしまったか、と非常に不安だった。
 もうこれで次はないかと。カメラマンの村田にも、何も起こらないものを撮ることになるかもしれない
 と不安を打ち明けて、納得してもらった。

阿武野P
 私は心配していなかった。とにかく取材先へ回数多く通え。通えば必ず撮れている。
 日常に入り込んでじっと観察し続けろ、とアドバイスした。
撮れている、撮れているはずだ、というのはおもしろい。
ディレクターが意識しないものが撮れているということだろうか。
ドラマでは使わない言い方です
伏原D
 修一という人に惚れ込んでいたが、好きだと悟られないように作りたい、と思った。
 修一さんに自分の父親を重ね合わせているところがあった。
 父は自分の生き方というようなことは語らないが、語りたいことはあるに違いない。
 こっちも聞きたいことはあった。

阿武野P
 イベントを撮ろうとするな、日常を積み重ねろ。
 イベントは撮っても結局使えないぞと言っていた。

伏原D
 それでも、なにかドラマチックなことが起これ、起これと毎日思っていた
 知らなかった過去が出てくるとか、夫婦の大ゲンカとか。
 隣人が凄い迷惑をしていて、この木を切れといってくるとか。
 でも何も起こらないので、あせって小手先のテクニックを使おうかという誘惑を感じたりもした。
 取材対象を動かすとか、長年やってきてそういう引き出しがなくもないので。
ドラマや盛り上がるシーンが欲しいというのは、テレビマンなら当然望むことだろう。
ついつい「演出」の手を加えたくなる、という気持ちもよく分かる。

しかしじっと我慢してフィルムを回すうち、一番のドラマが起こる。修一さんの突然の死。
まさにこのドキュメンタリーは、今このときでなければ成立しなかったのだ。
あと一年早くても、一年遅くても、まったく別のものになっていただろう。
撮られるべくして撮られた作品。

修一さんが亡くなって、英子さんは「もうどうしていいかわからない」と言いながらも、日々の生活は脈々と
それまでと同じように過ぎて行く。あんなに毎日お料理していたのに
「もっとおいしいものをたくさん作ってあげれば良かった」と言う英子さん。
朝、自分のパン食と一緒に、修一さんの御前に供えるためだけに、キチンと一汁三菜用意するのも同じ。
こんなこと、誰にでも出来ることではない。

それでも高い場所や力仕事など、英子さんの手には負えないことが出てくる。
ついには業者に頼んで高枝を切ってもらう。修一さんに「私にはできないから許してね」と謝りながら。
そこが一番切なかった。

決して演出したわけではないけれど、修一さんの最後の仕事の工事が始まるところで、物語は終わる。
高蔵寺ニュータウンでは果たせなかった「人間らしい」街を創る仕事。
心を病んだ人が、ホッと和める場所を作りたいという依頼だった。


                  
畑も雑木林も少し荒れている。手入れが行き届かない。それもそのはずだ。
修一さんは去年の6月に亡くなった。番組のなかで描かれている通りだ。
主はもういないのだ。しかし、修一さんの強烈な個性は生き続けている。
生き続けてこの家に満ち満ちている。

それは番組に登場する温顔の好々爺の修一さんではない。
もっとわがままな才能、強烈に自己主張する個性。建築に関する哲学の実践。
英子さんはその哲学に優しく寄り添ったガールフレンドなのではないか。
作中に、そんな修一さんの一面が垣間見られるシーンがある。
デザートのさくらんぼヨーグルトに、うっかり英子さんが金属のスプーンを添えると
「これじゃないほうがいいんだ」と言って食べようとしない修一さん。
「ごめんなさいね」と慌てて木のスプーンを差しだす英子さん。
スプーンひとつにも、修一さんには哲学がある。単なるワガママとも言えるけれど(笑)

奥さまの英子さんは、日本のターシャ・テューダー。この生活は「大草原の小さな家」そのものだ。
どちらも荒れ地を開拓したフロンティア精神に溢れている。お二人も、公団の仕事としては成し得なかった
高蔵寺ニュータウンの土地に、雑木の森を作ることと目的に、雄々しくこの地に降り立ったのだ。
それから50年。木は大きく茂り、土は肥え、作物はたわわに実った。

「(子供たちに)何も遺せないけど、肥えた土地を遺すことだけはできる」という英子さんの言葉は
まさに開拓者の言葉だと思う。

けれど、昔の物のない時代に、否応なしに行われた手仕事と比べると、ターシャのも、ご夫婦のそれも
非常に贅沢な中に成り立っているのも事実。作中で貧乏だと英子さんが語るくだりがあるけれど
それは過去そうであった時期もあるかもしれないけれど、少なくとも撮影当時はそうではないだろう。

まず、車がなくても生活できる土地に、これだけの作物の採れる庭を持つ人がどれだけいるだろう。
野菜のほとんどをを自給自足しているとはいえ、老後、年金で暮らしながら、デパートで買い物できる
余裕のある層は、そうはいないだろう。
好むと好まざるに関わらず、スーパーの特売に頼るしかないのが現実だ。

一見、とても人間らしい、つつましやかな、清貧な暮らしに見えて、その実は贅沢な暮らしなのだ。
誰もが実現できる生活ではない。例え英子さんと同じくらい手仕事が得意だとしても、日々の糧を得るための
仕事に追われ、忙殺されて、生活から潤いは失われて行く。

そういった意味でも、この夫婦の生活は「奇跡」とも「ファンタジー」とも言えるのだ。


                  


映画自体もいろいろ考えさせられたけれど、途中に差し込んだテレビマンへのインタビューも興味深かった。
「演出をするな」「イベントを撮るな」といういわゆる「テレビらしさ」とは真逆を行く作り方には特に。

少し前に、あるお店のオーナーを取材した際のことを思い出した。
依頼は、店ではなくオーナー個人に迫って欲しいというものだったので、いろいろ尋ねると、その人は怒り出した。
どうやら店の宣伝をしてもらえると思ったようで、自分の個人的なことは書いて欲しくないというのだ。
(という割には、ペラペラしゃべって、そのあと「これ書くの?」と聞いてきて切れるという。。。
書いて欲しくないなら、しゃべらなければ良いのにねー。雑談じゃなくて取材なんだからさ。)

その媒体の趣旨は、面白い活動をしている人にスポットを当てて応援するというもの。
その趣旨が伝わっていないのは、媒体側の問題でもある。
オーナーにスポットが当たれば、おのずから店も繁盛すると思うんだが、どうやらそれは嫌らしい。

それで結局、オーナーではなく店長に話を聞くことにしたのだけど、そのお店がとても
素敵なコンセプトのお店だったので、何か誕生秘話というか、作るに当たっての哲学やストーリーなど
そう言った何かがないかと、尋ねたところ
「そんなものありません。ストーリーが無くちゃいけないんですか?」
と逆に尋ねられた。

その時は返答しなかったけど、答えを言うなら「Yes」である。
今の時代は、ただのモノは売れない。けれど、そこに物語があれば、高額でも売れるのだ。

オーナーには哲学などなく、その一見素敵なコンセプトは、ただ「ニッチな分野だし、儲かりそうなんで
始めただけ」だとのこと。しかし結局、店は上手くいっておらず、他に所有してる他業態の店の利益で
辛うじて維持できているだけ。この店だけでは赤字なのだという。

いや、この店が上手くいかないのは「哲学がないから」やろ!と言いたいのをぐっと飲み込んだ。

けれど、このテレビマンのインタビューを読んだとき、こう思った。
「もしかして、私のしていたことは、過剰な演出だったのか?やたらドラマを欲しがるメディアの悪癖が出ていたのか?」

いや、そうではない。

修一さんと英子さんには、確固とした哲学があるから、すでに揺るぎない物語があるから
ただそれを追うだけで、素晴らしい世界観になるのだ。

哲学も物語も何もない店をどんなに追ったところで、そこに心を打つ世界など生まれはしない。

とは言え、私もプロの物書きですから、そこはしっかりと、取材の中からかすかに感じ取れた哲学を
必死につなぎ合わせて、大変素敵なお店としてご紹介させていただきました。

しかし、私に怒鳴りつけたオーナーは、さぞかし度肝を抜かれたことだろう。
「あれ?俺の店って、こんな素敵やったっけ」

#仕事の流儀 #ライターの仕事


                  


ナレーターの樹木希林さんが先日亡くなられた追悼番組として放送されて、ようやく見られた。
この映画が公開された2017年初頭は多忙を極めていて、とても劇場を足を運ぶなんてことはできなかったのだ。
その後もことごとく機会を逃し、見ることはないのかなぁと思いながら、それはそれで良しと思っていた。
(最近、世間で評判の映画を見ると、なぜかガッカリすることが多いので、あまり期待してなかった
というのもあるけれど)
うーん、やっぱり見られてよかった。

『人生フルーツ ある建築家と雑木林のものがたり』 東海テレビ放送
名古屋のベッドタウン、高蔵寺ニュータウンに90歳と87歳の老夫婦が暮らしている。
津端修一さんは建築家で、奥さんの英子さんは料理上手。敷地に雑木林を作り、野菜や果物を育てている。

1960年伊勢湾台風の高台移転として、日本住宅公団のエースだった修一さんが、高蔵寺ニュータウンの設計を
任された。雑木林を風の通り道にし、元の土地の記憶を残そうとした理想の街づくりだった。
しかし時代は経済優先、詰め込み型の集合住宅化へと変更。
大きな挫折だったが、それでもこの町に住み続けて50年がたった。
小さな苗木は雑木林に成長し、畑では100種類もの野菜や果実が育つ。

英子さんは、畑でとれた作物で修一さんに手料理をふるまう日々。
彼女は言う、「食は命」と。2人の家は30畳一間の丸太小屋。その暮らしはまるで現代の桃源郷のよう。

2人は言う「年を重ねるごとに美しくなる人生にしたい」と。
スローライフというとちょっと軽いし、半自給自足というと何だか泥臭い…。
えも言われぬ夫婦の暮らしを追って“人生のものがたり”を描いた。

プロデューサー 阿武野 勝彦 音響効果 久保田 吉根
ディレクター 伏原 健之 TK 須田 麻記子
撮影 村田 敦崇 音楽 村井 秀清
音声 伊藤 紀明 音楽プロデューサー 岡田 こずえ
編集 奥田 繁 ナレーション 樹木 希林
                  


9/13(木)〜9/15(土)
素敵な手仕事生活をしていそうな生田さんちの五平餅とカレーは最高!
180913_180915_IMG_5160.JPG


                  


2015年10月発売の実話エッセイ。アトピーって痒いだけの病気じゃないんです。

アトピーの夫と暮らしています



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◇見に行きたい展覧会メモ◇ →展覧会記録■

◆東京◆
荒木飛呂彦原画展 JOJO ―冒険の波紋―
2018年8月24日(金)〜10月1日(月)国立新美術館
http://jojoex-2018.com/

マルセル・デュシャンと日本美術
10月2日(火)〜12月9日(日)東京国立博物館

(仮)集英社デビュー50周年記念 一条ゆかり 展
9月29日(土)〜12月24日(月・祝)弥生美術館

アジアにめざめたら:アートが変わる、世界が変わる 1960-1990年代
10月10日(水)〜12月24日(月・祝)東京国立近代美術館

ブルーノ・ムナーリ こどもの心をもちつづけるということ(役に立たない機械をつくった男)
2018年11月17日(土)〜2019年1月27日(土) 世田谷美術館

◆名古屋◆
増田セバスチャン×クロード・モネ "Point-Rhythm World 2018 -モネの小宇宙-"
ルドンひらかれた夢 幻想の世紀末から現代へ
2018年7月22日(日)〜 12月2日(日)会期中無休 ポーラ美術館
http://polamuseum.or.jp/point-rhythm-world/
http://www.polamuseum.or.jp/sp/odilon_redon/

開館25周年記念 特別展 2018イタリア・ボローニャ国際絵本原画展
2018年9月29日(土)〜10月28 日(日)四日市市立博物館

元永定正展 おどりだすいろんないろとかたちたち
2018年7月14日(土)〜9月30日(日)清須市はるひ美術館
http://www.museum-kiyosu.jp/exhibition_info/2018/motonagasadamasa/index.html

長くつ下のピッピの世界展 〜リンドグレーンが描く北欧の暮らしと子どもたち〜
2019年4月27日(土)〜6月16日(日)松坂屋美術館

◆大阪◆
「没後50年 藤田嗣治展」
Foujita: A Retrospective ― Commemorating the 50th Anniversary of his Death
2018年10月19日(金)〜12月16日(日) 京都国立近代美術館(岡崎公園内)
http://foujita2018.jp/
http://www.e-tix.jp/foujita2018/kyoto/

生誕100年 いわさきちひろ、絵描きです。
2018年11月16日(金)〜12月25日(火)美術館「えき」KYOTO

荒木飛呂彦原画展 JOJO ―冒険の波紋―
2018年11月25日(日)〜2019年1月14日(月)大阪文化館・天保山(海遊館となり)
http://jojoex-2018.com/

特別展「ブラティスラヴァ世界絵本原画展 BIBで出会う絵本のいま」
10月6日(土)〜12月2日(日)奈良県立美術館

MOE40th Anniversary 島田ゆか・酒井駒子・ヒグチユウコ・ヨシタケシンスケ・なかやみわ5人展
2018年12月19日(水)〜2019年1月7日(月)[予定]阪急うめだ本店


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