落花流水/山本文緒


読み返して鬱な気持になった。ただでさえ、最近鬱々としていたのだった。理由は特にないのだけど、人生というものは自分の思っている方向、望んでるようにはたぶん行かないものだと言うような絶望感に気持が支配されている感。そんな気持に拍車をかけるような後味の悪い作品。

しかし、多分最初に読んだ2年ほど前には、全く共感できずにいたこの作品に今回は感情移入する事が出来た。登場するどの人物とも自分は似ていないと思ったのだけど、そうではなくて、どの女性の中にも、どこか自分に似ている部分はあるのかもしれないと思った。そしてこの物語が以前よりは少し好きになった。


          


山本作品は、思い返してみれば、短篇の中には、コミカルでユーモアを保ったまま終わるものはあるものの、長編のほとんどは後味が悪く、やりきれない救いのないものが多い。(その最たるものが『恋愛中毒』『ブルーもしくはブルー』である)

奔放な母親が17歳のときに産んだ娘が主人公・手毬。彼女は7歳までは、祖父母を実の両親だと信じて育ち、その後、姉だと思っていた人が実の母親だと聞かされる。その生い立ちからして複雑だが、物語はとんでもない方向へ行ってしまう。

物語は手毬が7歳ではじまり、17歳・27歳・37歳・47歳・57歳・67歳まで、10年刻みに進んで行く。17歳・37歳・57歳は手毬自身の言葉で語られているが、7歳は手毬の幼なじみのマーティル、27歳は母親の律子、47歳は弟の正弘、67歳は娘の姫乃によって語られる。

奔放な母親の律子は、生涯を通じて奔放で、最後に登場する84歳において、20代の男にかしづかれて暮らしていると言うたくましさ。すでに40代になろうとしている孫娘にも現役の女の匂いを感じさせるのだから、あっぱれというか、実に見事な生き方だと思う。

それに対して娘の手毬は、7歳まではわがまま放題に育つものの、その後は母親とのどん底の生活がはじまり、17歳の母の再婚で立派な義父と出逢い、(手毬は密かに父親を愛するようになる)27歳で結婚と母親の蒸発、37歳で幼なじみと駆け落ち、47歳では新たな家庭を作っているものの、57歳になる頃には、マーティルと別れ、その後再々婚した夫とも死に別れ、ボランティアをしながら一人で生活。67歳になる頃には、アルツアイマーで駆けつけた母親と娘の顔も分からなくなっている。すごい人生だと思う。

三度も結婚し、二人の娘を産み(マーティルとの間にグミという娘もいる)子どもの頃には成績もよく、ちゃんとした大学も出て、家事も得意でも、流されてばかりの人生に、幸せは訪れないのだと言う見本かも。人はやはり能動的に好きになって、パッと花のように散る方がいい。かといって、恋多き女性で奔放な律子が幸せかと言うとそれも微妙で、84歳で20代の男の心をとらえ続ける大変さを最後ににじませる。

地味で恋なんて無縁だった手毬が三度も結婚し、母親に捨てられた自分が同じように娘を捨ててしまうのも、因果はめぐると言うか、血は争えないと言うべきか。さらに娘の姫乃は、芸能界をめざし成功しかかるが、父親の自殺で人生を狂わされ、若い男の子を肉体の魅力でスカウトしてタレントとして売り出すと言う仕事を40歳になっても続けている。

律子も手毬も夫を捨てているが、姫乃は未婚でありながら、自分を思い続ける叔父(血は繋がっていない)の正弘が重くて逃げ出してしまう。マジメで実直な男の愛情を重苦しく感じるのが、この家の女たちの業なのかも。そういえば、語り手に男性が出てきたのは唯一正弘だけである(注:マーティルもである)。そして、その中で彼に「この男は女に捨てられた事などないのだろう、いつも自分が捨てる立場なのだ」と言わしめられるマーティルは、やがて手毬を捨てて去って行く。また律子も手毬の実父には捨てられている。律子と手毬に捨てられた夫たちは最後まで語る言葉を持たない。そもそも読者は彼らになど興味はないからかもしれない。

平気で娘を、夫を捨てられる気持を言うのはどんなものなのだろうと、そんなややこしい事柄とは無縁な世の中のほとんどの人(最近はそうでもないか)は気になってページをめくる。

一見まるでちょっと散歩にでも行くように家族を捨てる律子や、マーティルに誘拐された姫乃と引き換えに、正弘に差し出されてしまう手毬、(警察に連絡すれば、駆け落ちなどしなくても済んだのだ)どちらも我が子と別れる事で胸が張り裂けそうに痛んだりと言った感情とは一見無縁に何と言う事なく家族を捨ててしまう。しかし、捨てられた方は、心から憎む事が出来ず、最後はボケてしまった手毬を中心に、再び家族のような結びつきが出来てゆく。もう家族なんかじゃないのに、と思いながらも、そこには、捨てる事の出来ない親子の情というものも感じさせる。

うーん。手毬と律子。究極、どちらのように生きたいだろうか。37歳の手毬はすでにおばさんで、何となく生涯を通じて実年齢より老けて見えていそうだ。エイジレスをめざすわたしは、やはり律子の方向で生きていきたいものである。めざせ、80代で現役!(笑)



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