『entry.cgi』無事復活完了

毎度お騒がせしておりましたが、このたび、無事『壊れたcgi』の復活が完了いたしました。もう、なんと言うか、至福の瞬間です。sbの開発者・takkyunさまには、感謝の言葉を尽くしても足りません。本当にありがとうございます。

さて、今回のcgiの破損は、そもそも、どうして起こったかと言えば、原因の特定は、当初わたしにも難しかったのですが、その後、テスト用に裏で動かしていたもうひとつのsb(sb2)を触っているうちに、「ははん、これだな」と言うことに、行き当たりました。


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お知らせ

ログが、消えています(正確には、表示されていません、というべきかな)。右のカテゴリに、0が目立つのは、そういうわけです。原因不明。自分で消したわけではないのですが、何かcgiがおかしくなっているところへ、再構築したのが問題のよう(多分)。データファイル自体は、残っているので、どうにか復元できると祈っております。ちなみに、Topからはリンクされていませんが、個々のエントリーは見られます。

当分オヤスミするつもりだったのですが、復元に時間を取られそうで、ますますオヤスミになることと思います。

さすがのわたしも、ちょっとやけになっています。でも、心配しないでください。結構これも楽しんでいたりもするので。これを超えたら、ひとまわり成長できるものと思っています。(体重が増えるのは嫌ですが(^^ゞポリポリ)でも今は、ちょっとだけやけです。

でわでわ、みなさん、お元気で。


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柿右衛門とマイセン展

041029meissen1.gifとっくに終ってしまった展覧会のことを、ここに載せる意味ってなんなんでしょうね?いやもう、自分の記録でしかないわけです。あとは、とりあえず興味を持ってくださったら、次の機会に見ていただくということで。

マイセン展、毎年秋に日本橋三越で行われるのが、恒例になっていますが、今年は、松坂屋でも同じマイセン展が、高島屋ではヘレンド展が開かれて、三越に対抗してきています。そうしたライバルたちの挑戦に、負けていないのが、老舗三越。今度はマイセンだけでなく、日本の磁器絵付けの最高峰・柿右衛門と同時に開催です。和洋の美の競演は、磁器好きにはたまりませんし、ペインターにはなおさら。正直、これはもう、三越の独壇場。松坂屋どころか、高島屋も全然かなわないと思いました。


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マイセンは、ヨーロッパで最初に磁器制作に成功した、最古の窯であり、世界の最高峰の絵付技術を持った磁器メーカーであります。最初、中国や日本からもたらされた磁器は、ヨーロッパで大ブームとなり、同じような磁器を作ろうと、各国の王が躍起になってその工法を研究します。当時のドイツでも、フリードリッヒ・アウグスト1世が磁器に魅せられ、どうにかして自国でそれを生産できないかと、錬金術師ベドガーを幽閉し、研究に没頭させました。ベドガーは、1709年、ついに磁器を完成させます。

そうした歴史を持つマイセンですが、伝統にのみとらわれることなく、どんどん斬新なデザインやスタイルを作り出すことでも知られています。オーソドックスな、シノワズリ(中国趣味)や、マイセンブーケなど以外に、アラビアンナイトや、モダンなブーケの作品など、本当にバラエティに富んだ作品たちを見ることができました。

そして、忘れてはいけないデモンストレーション。今回は、仕事のお昼休みなどにも通ったりして、何度か見ることができました。もうね、神技なんです。すごいんです。周りを取り囲んでいるのは、ほとんどがホビーペインター。みんな、すごーく熱心で、いろいろな質問が飛び交います。その答えの中で、ペインターさんが
「わたしは、随分長いこと絵付けをしているので・・・」
とおっしゃったのですが、何年やってらっしゃるかと尋ねると
「35年」
なんと、わたしの年齢と変わらないくらい、絵付けをなさってるのですね。まだ10年足らずのわたしが、全然かなわなくて当然なのでした。(もちろん、才能や環境も全然違うのですけど(*^^*ゞ)

15歳ではじめたと言うことなので、そろそろ50に手が届くのだと思いますが、若々しくて、本当に素敵な方でした。


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最近のお楽しみ

041107rose_catalog.jpg日本橋三越屋上のチェルシーガーデンが好きで、よくフラフラと、見に行きます。他では見ないような苗も多く、ガーデングッズも素敵で、時の経つのを忘れてしまいます。今年こそ、バラの苗を買おうと、カタログとにらめっこ。6月の台風の影響で、出荷が遅れているそうで、入荷しない品種もあるのだとか・・・わたしが狙ってる苗も、もしかしたら入荷しないかも、と書かれていました。

でも、庭中で一番日当たりのいいあの場所は、あのバラのために、空けておくことに決めたのです。それ以外に、白いバラ、アプリコットのつるバラ。今年は、これくらいを手に入れたいなぁ、と思っています。


#gardening


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色彩と幻想の画家「エミール・ノルデ」展

041022garden_museum.jpgバラの美しい季節の庭園美術館を訪ねて、ドイツ表現主義を代表する画家・エミール・ノルデの幻想世界に遊んできました。わが国では、23年ぶりの個展となるそうです。

ドイツ表現主義とは、フランスのマティスを代表とするフォービズム(野獣派)とも共通する、鮮烈な色彩・大胆な構図などを特徴とするものです。まさに、ノルデは、色彩にこだわり、色彩の魅力を存分に引き出すことを、自らに課していた画家だと言えるそうです。

今回の展覧会は、水彩画を中心に展示されていました。ノルデは、第二次大戦中に、ナチスから「頽廃芸術家」の烙印を押され、監禁状態の下、一切の創作活動を禁じられていた彼の、心の支えであったのは、故郷の美しい風土と、ほんの小さな紙片に水彩で幻想的な絵を描き綴ることでした。それが「描かれざる絵」と言う名の魅力的な水彩画として知られています。


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ノルデは、最初ドレスデンの若い画家の集団「ブリュッケ」に参加します。しかし、ノルデの絵画の激しい色彩や構図、タッチなどは、「ブリュッケ」と共通するものの、「ブリュッケ」の画家たちが基本的に都会的な要素を描こうとしていたのに対して、ノルデは、もっと内面的な人間の本質を描こうとして、やがて「ブリュッケ」とは袂を分かちます。

そして彼は、聖書の物語や伝説をモチーフにしたり、南洋各地の原住民の生活を、生き生きと描きます。でも、最終的に彼は、故郷であるドイツの北の辺境、デンマークとの国境に近い低湿地帯の風土にこだわり、この独特の風景や、夏に咲き乱れる花を、繰り返し描くようになります。

水彩と言う画法の持つ長所を生かした、大胆で激しく、幻想的な絵は、とても強烈で、好き嫌いはともかく、引き込まれるものがあります。さらさらと、大胆なタッチでかかれたように感じられるのに、その絵には躍動感があり、ありえない色彩で、輪郭線もないにじんでぼやけた絵なのに、まるで、その場に居合わせるようなリアリティを感じます。それは、いろんなところで書かれていますが、ノルデの正確なデッサン力のなせるものなのでしょう。このチラシの絵はタイトルが「黄色と緑による女の肖像」と言うように、ありえない色彩で描かれていますが、作り物のようには見えないのが不思議なのです。それが、ノルデの魅力と言えるのでしょうね。もちろん、透明感のある花の絵に、水彩はぴったりで、ノルデにしか描けない、鮮烈で、幻想的な世界が広がっています。

水彩画以外にも、木版画、銅版画、リトグラフなどが展示されていました。木版画は、色彩豊かな水彩画と違い、黒の強いシックな雰囲気の作品で、これもまた素敵でした。121点の作品は見ごたえがあり、ノルデの世界を満喫するには十分であると言えると思います。

いつもながら、旧朝香宮邸である展示室は素敵でした。が、そこここに「作品保護のために照明を暗くしています」と言う表示が目に付いたように、室内は暗く、実際の絵画の色は、わかりにくかったかもしれません。水彩画は油彩画に比べると、劣化しやすいので、仕方がないとは言えますが。全体的には、とても楽しめる展覧会でした。

リンクhttp://www.kaigisho.ne.jp/literacy/midic/data/k20/k2021.htmより
ドイツ表現主義 German Expressionism

ゴッホ(Vincent van Gogh/1853〜1890)、ゴーギャン(Paul Gauguin/1848〜1903)、ムンク(Edvard Munch/1963〜1944)などに影響を受け、フォービズムとも関連を持ち、デフォルメした形態、素早い筆使い、再度の高い強烈な色彩、心理的要素や精神的なモノを強調し、1905年にドレスデンで結成した「橋(die Bruecke)」の創設メンバーのキルヒナー(Ernst Ludwig Kirchner/1880〜1938)、ヘッケル(Erich Heckel/1883〜1970)、ブライル、シュミット=ロットルフ(Karl Schmidt-Rottluff/1884〜1976)によって、第1次世界大戦前後にドイツを中心に起こった美術、文学、映画、演劇、建築など広範囲にわたった反アカデミズム芸術運動の名称。1910年にオスカー・ココシカ(Osker Kokoschka/1886〜1980)がベルリンで雑誌「Storm」を出版し、ミュンヘンでは1912年に年鑑雑誌「青騎士(Blaue Ritter)」を創刊したカンディンスキー(Wassily Kandinsky/1866〜1944)とアウグスト・マルク(Franz Marc/1880〜1916)を中心に展覧会が開催され、パウル・クレー(Paul Klee/1879〜1940)やアウグスト・マッケ(August Macke/1887〜1914)、アレクセイ・ヤウレンスキー(Alexej Jawlensky/1864〜1941)、ガブリエ・ミュンター(Gabriele Muenter/1877〜1962)、アルフレッド・クービン(Alfred Kubin/1877〜1959)などが参加した。1914年に勃発した第1次世界大戦によって活動は一時中断されたが、その後マックス・ベックマン(Max Beckmann/1884〜1950)、オットー・ディックス(Otto Dix/1891〜1969)などに受け継がれ、活発な活動を展開したが、ナチズムによって弾圧され、終息した。(資料提供:講談社フェーマススクールズ)The Art Newspaper.comは2004年9月2日に、輸出ライセンスを拒絶され、フランスからの芸術輸出品のシステムに永続する影響を及ぼし、10年以上争われてきた「Jardin、Auvers」が、パリのCour de Cassation(フランス最高裁判所)でゴッホ(Vincent van Gogh/1853 1890)の本物の作品であるという判決を受けました。これで、所有者は海外に販売ができるようになったと報告した。詳細情報はhttp://www.theartnewspaper.com/news/article.asp?idart=11745で知ることができる。


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唐三彩展 -中国王朝の華-

041022matsuoka_museum.jpg松岡美術館で開催中の「唐三彩展」に行ってきた。チラシを見ると、いかにも色彩の美しい人形で、てっきり裕福な家庭で飾られていたものなのかと思ったら、これはみんな、墓の副葬品、いわゆる「土偶」なのだそうだ。中国でも、焼き物を墓の副葬品とする習慣が、戦国時代(BC4〜3)から始まったらしい。これらの焼き物たちは、お墓に埋められ、ひと目にさらされることがなかったのが、惜しいほどに、どれも見事な出来栄えである。特に、展覧会タイトルである「三彩」と呼ばれる陶器は、長い時代を経ても、その美しさを失わず、華やかな唐王朝の栄華を、現代のわたしたちに、しばし覗かせてくれる。


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土偶には、無釉(釉薬をかけないもの)と施釉(釉薬をかけたもの)があり、無釉の代表的なものが、兵馬俑である。作り方は、 陶土を精製 → 造形 → 焼成 となるのだが、焼成の仕方によって、焼き物の色が変わる。酸化焼成(窯の中に多くの空気を含む)をすると、赤色の「緋陶」、還元焼成(窯の中の空気を少なくする)をすると、灰色の「灰陶、黒色の「黒陶」ができる。また、これらの陶器に白泥を塗って、下地を整え彩色すると「加彩土偶」となる。

施釉土偶の始まりは、後漢時代で、最初は単色の「緑釉」「褐釉」であった。これが六朝時代(呉・東晋・宋・斉・梁・陳の六王朝の総称)には、「黄釉」が生まれ、隋〜唐時代にかけて、釉中の鉄分を除去できるようになり、白釉が生まれた。最盛期(684〜756年)には、白(黄)・緑・褐の釉薬を掛け合わせた華麗な三彩土偶が作られるようになり、唐時代を代表する焼き物となる。ここにさらに藍色が加わると、藍彩と呼ばれる。近年、洛陽と鄭州の中間、河南省鞏県で三彩器物の窯址が発見された。しかし、人や馬などの俑はいまだ発見されていない。

以下、解説より
唐三彩は、20世紀の初め、中国・中原地方の開封から洛陽にかけての鉄道敷設工事で、唐墓が発掘された際、世に初めて知られたやきもので、その美しさは多くの人々を魅了しました。それから1世紀近くを経た今日、美術品としての価値はさらに高まり、唐時代(618-907年)を代表するやきものとして知られています。
三彩とは白い素地の上に、緑釉、褐釉、藍釉、白地を生かす透明釉といった2種以上の鉛釉を施した多彩釉陶器を指し、唐時代に完成された「唐三彩」は中でも最も華やかな色調を示しています。形も壺、瓶、皿といった器物だけでなく、武人、官人、騎馬人物、馬、駱駝などの俑が制作され、それらは当時の王侯貴族たちの間で流行した厚葬の風習を反映して、彼らの墓稜を華やかに荘厳するための副葬品でした。そこからは盛唐期の華麗な王侯貴族文化が垣間見えてきます。
本展では、館所蔵の唐三彩コレクション約50点を一堂に展示し、シルクロードを通して東西の文化交流が華やかであった唐時代の、国際色豊かな造形美と意匠をご紹介いたします。


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MTからのログ移行完了

10/20にsbを構築してから、早2週間。使い勝手は、すこぶるいいです。これは、2度目に出た正式版である1.10R なんだけど、どうやらバグを修正した1.11D(R?)がまもなく出る予定で、さらに着々と修正が加えられていくらしい。

わたしがsbに惹かれたのは、まさにこの点で、これから、一体どんなにすごいBlogシステムになっていくのだろう、という期待を抱かせてくれるところなのです。もちろん、今のままでも十分なんだけど、それでも開発の手は休まることがない。くれぐれも、無理のないように、ご自分のペースで、頑張ってくださいませ>takkyunさま

sbの設置は、それほど難しくなかったです。CGIで掲示板などを設置し慣れている人なら、多分苦なくできるんじゃないかな?でも問題は、ログ(データ)の移行なのでした・・・


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古九谷 -その謎にせまる-

041028kokutani.jpgチャイナペイントと呼ばれる、磁器絵付けをしているわたしですが、主に描いているのは、ヨーロピアンと言って、スイスのニヨンと言う土地を発祥とする、ドイツのマイセンや、フランスのセーブルのようなスタイルのもので、そういった西洋磁器の歴史には、多少の知識はあるのですが、お膝元の日本の焼き物には、まるで疎かったのです。

しかし、この春に有田を旅してから、俄然日本の焼き物に興味がわき、今回の出光美術館の古九谷の展覧会も、とても楽しみにしていました。でも、「その謎」と言われても、何のことやら、さっぱりだったのです。

古九谷は、都内でも30年以上開かれていないという待望の展覧会なのだそうです。今回の展覧会では、日によって学芸員さんの解説も聞けると言うので、せっかくなので、その時間に合わせて行ってきました。10/28(木)10:30からの回です。思ったよりすごい人で、頑張って近くを陣取らないと、学芸員さんの声も聞き取れないほどです・・・でもすごくおもしろかったです。


その様子はこちらで見られます。まさに、担当はこの写真の荒川正明さんでありました。
『やきものネット・展覧会見て歩き』


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ここでいう「古九谷の謎」とは何か。それは、いまだ誰がどこで、最初にこの焼き物を作ったのか、はっきりとわかっていないということです。そもそも、九谷焼と言うのは、加賀で1650年代に生まれたものされていたので、その古いものを『古九谷』と呼ぶわけですが、その後の研究で、生産地については諸説あり、肥前有田とする説と、加賀(石川)とする説とが有力で、焼き物と考古学は、切っても切れない関係にあると言えるのだそうです。

九谷には、古九谷の代表的な作風である青手などの絵付けを施された磁器のかけらなどが見つかっていますが、完成品とは、底の型が違っているなどの疑問点があり、有田のほうがやや有力視されているようです。この展覧会での『古九谷』とは、産地ではなく、あくまでも焼き物の一様式としての呼称として認識しつつご覧くださいとのことでした。

1650年代当時、戦国の乱世が終り、江戸の華やかな文化が花開きます。当時の屏風絵には、中世の暗い世相を反映した仏教画とは違い、「ハレ」の盛大な祝宴の様子を描いたものが多く見られるようになります。江戸時代には日常生活の「ケ」と晴れの日の「ハレ」を明確に区別していました。そうした日常とは違うお祝いの席にふさわしい華やかな焼き物として、古九谷は非常に大名たちに珍重されました。

チラシの写真は、古九谷を代表する「青手」ですが、この青手の特徴は、緑(江戸時代は緑を青と呼びました)と黄色の二色で大胆な模様が描かれていること、皿の表面だけでなく、裏など、焼き物全体が塗られていることなどがあります。この頃、日本画の屏風絵には、風景の周りを金で埋める様式が流行します。日本人にとっては、自然はとても大切で敬うべきもの。金で埋め尽くすことは、その自然を敬う、自然へのオマージュであると言えるのですが、この青手の黄色は、その金の部分を現しているのです。

かなりな大皿で、存在感がすごいのですが、当時の絢爛とした屏風や武家の豪華な衣装の前では、これくらいのもので、ちょうどよかったのでしょう。最近評価の高まってる青手ですが、古九谷の中では、五彩手の下とみなされ、重要文化財などの指定を受けたものはないのだとか。すごく古九谷らしいものなのに、なんだか残念です。他にも、中国の挿絵を元に描かれた人物画の食器や、赤絵、祥瑞手、侘びなどの作品が見られ、さまざまな古九谷を満喫できます。

今までも、焼き物を見るのは好きでしたが、こうした歴史や背景を読み取ると、絵画を見るのと同じような面白さがあるのだなぁと思いました。わたしは、九谷の赤絵が好きなので、いつか石川県九谷焼美術館に行ってみたいです。そして、自分でも描いてみたいなぁ、と野望はつきません・・・(笑)

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