今回も、タイトルに騙されました(笑)前回も長い長いタイトルだったフェルメール展。いや、フェルメール展、ではないのです。
フェルメールの絵一点と、他の絵画、と言う構成の展覧会。それをきちんと展覧会のタイトルに反映すると、長くなってしまう模様。
ちなみに3年前にブームを巻き起こした展覧会のレビューはこちら。フェルメール『画家のアトリエ』〜栄光のオランダ・フランドル絵画展(2004.6.25)
何だかウンチクタレになっています。全然展覧会の感想になってないじゃん、と思うのだけど、今読み返すと
「なるほど、そういうわけだったのか」
と過去の自分が書いたことで、勉強になったりする不思議(笑)
ちなみにこの頃は、大学の社会人講座で近代〜現代美術について学んでいました。すごくおもしろい講座だったな。美人の先生、お元気かしら。
オランダ風俗画の特徴と言えば
風俗画は、人々の日常生活を描いた絵画です。ルネサンス以降の絵画の主流は、聖書や古代神話を主題にした歴史画でした。この解説にあるように、台所で働く女性や市場などの作品が圧倒的に多く、あとは酒場で酔っぱらっていたり、家族の団らんの様子だったりと、時代は変われども、何ら変わることのない普遍的な人間味のある情景を描いていて、とても親しみの持てるものでした。
しかし、市民たちが政治・文化の担い手となった17世紀オランダでは、従来の歴史画も描かれる一方で、台所や市場で働く人々や、室内で談笑する上流市民など、日常を題材にした親しみやすい風俗画の人気が高まりました。
こうした風俗画は、一見、ありのままの現実を写しとったかのように見えますが、しばしば複雑な教訓的意味が込められており、その謎解きも風俗画の魅力のひとつとなっています。
初期の頃は聖人や神話の人物を描いていたフェルメールも、1656年以降は、主として風俗画を手がけるようになり、室内で歓談したり手紙を読んだりする上流市民の暮らしの情景を、静謐な画面にとらえ出しました。
けれど、ほとんどの絵がとても暗く(実際、台所は暗い場所だったのかもしれませんが)、ろうそくの灯火だけが光源というような作品の見事さに感嘆しつつも、見所『牛乳を注ぐ女』を見た瞬間、ああ、やっぱり、フェルメールは格別だ、と実感しました。
明るいのです。光が、色が、鮮やかなんです。見た瞬間、何とも言えぬ幸福感に包まれるんです。特に女性の衣服の色が光に映えて、何とも言えないまばゆさでした。
たった一点、されど30分の一点であるフェルメール。見る価値のある展覧会だと思います。
オランダ風俗画ももちろん、どれも見応えあります。小品にも、きっちりと魂の宿った粒ぞろいの作品ぞろいです。わたしは特に版画(メゾチント?)が気に入りました。顔が恐くて(笑)
会期は残り少しです。お急ぎを!
「フェルメール『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展」公式サイト
http://milkmaid.jp/
17世紀オランダ黄金時代に風俗画家として活躍した
ヨハネス・フェルメール(1632-1675年)。現存する30数点のうち
傑作中の傑作として特に評価の高い《牛乳を注ぐ女》が日本初公開となります。
この作品を中心に、アムステルダム国立美術館の世界随一のオランダ美術
コレクションから油彩画40点、水彩画9点、版画51点、工芸品16点の
合計116点でオランダにおける風俗画の多様な展開を紹介します。
リュートなどの古楽器の展示や、フェルメールの画業を紹介するコーナーも
本展の見どころとなります。
◆展覧会概要
国立新美術館開館記念 アムステルダム国立美術館所蔵
フェルメール《牛乳を注ぐ女》とオランダ風俗画展
2007年9月26日(水)−12月17日(月)
国立新美術館
開館時間: 午前10時〜午後6時、毎週金曜日は午後8時(入館は閉館30分前まで)
休館日: 毎週火曜日
主 催: 国立新美術館、東京新聞、NHK、NHKプロモーション
後 援: 外務省、文化庁、オランダ王国大使館
協 賛: 昭和シェル石油、損保ジャパン、大日本印刷
協 力: KLMオランダ航空
古楽器協力: 学校法人上野学園
問い合わせ: ハローダイヤル 03-5777-8600
報道関係者向け
問い合わせ先: フェルメール《牛乳を注ぐ女》とオランダ風俗画展 広報事務局
TEL 03-3575-9823(共同PR内)
┃会場へのアクセス
東京メトロ千代田線乃木坂駅 6出口(美術館直結)
東京メトロ日比谷線六本木駅 4a出口から徒歩5分
都営地下鉄大江戸線六本木駅 7出口から徒歩4分
>> 地図を拡大する
┃所在地
〒106-8558 東京都港区六本木7-22-2
◆ヨハネス・フェルメール
フェルメールは、1632年10月31日、オランダ南部の
デルフトに生まれました。
フェルメールがどのようにして画業を学んだのか、残念ながら
ほとんど知られていませんが、フェルメールの父親は宿屋を営むかたわら、
画商をしていたことが分かっています。こうした生活環境のなかで、
フェルメールが画家という職業を選んだのは、ごく自然のなりゆき
だったのかもしれません。
1653年には聖ルカ組合に親方画家として加入し、もっぱら風俗画を
手がけながら、順調に画家としての歩みを進めていきました。
二度にわたって聖ルカ組合の理事に選出されるなど、
生前はそれなりの評価を得ていたフェルメールでしたが、
活動の地がデルフトに限られていたことに加えて、
生涯に残した作品は30数点ときわめて寡作であったことから、
1675年に43歳で没したのち、その存在は一握りの愛好家に
知られるのみとなってしまいました。
しかし、19世紀後半、フランスの批評家トレ・ビュルガーの研究によって
フェルメールの偉大さが広く紹介されて以来、
その独自の柔らかな光にあふれる静謐な画面は多くの人々を魅了し、
世界的な名声を獲得することになりました。