1994年末か1995年初頭の愛知県美術館での出会い以来、ずうっと
心をわしづかみにされ続けて来たワイエスの絵。
昨年の青山ユニマット美術館で、彼のテンペラの素晴らしさに
あらためて圧倒され、そしてまた今回の展示でも
たくさんの新しい発見がありました。胸を打つ素晴らしい展覧会でした。
2009年1月16日朝(現地)ワイエスさん逝去(91歳) 謹んで哀悼の意を表します http://hiyoko.tv/blog/news/eid344.html |
2008.11.22 Saturday
画材:カランダッシュ水彩色鉛筆
15年近く前に見たときには、正直水彩だのテンペラだのと言う技法など
まったく関心がなく、ただ簡素な納屋から馬が覗いていたり
やはり簡素で素朴な建物の上をぱたぱたと数羽の鳥が飛ぶ様子が
淡々と描かれているだけなのに、なぜかそれに胸を揺さぶられ
いわゆる「郷愁」とか「望郷」の念と言うのはこういったものなのかと
故郷を離れたこともない私が、また故郷とは似ても似つかぬ
ニューイングランドの風景を目にして思ったのでした。
テンペラとは(Wikiより)
テンペラは水性と油性の成分が混合した乳濁液を媒剤とする絵画技法。
テンペラは混ぜ合わせるという意味のラテン語Temperareを語源としている。
乳化剤として鶏卵を用いる卵テンペラ、蜜蝋やカルナウバ鑞を鹸化した
鑞テンペラ、カゼインを使うカゼインテンペラなどの処方がある。
西洋の絵画で広く行われてきた卵テンペラには、油彩画のような黄化・暗変を
示さないという特徴があり、経年による劣化が少なく、数百年前に制作された
作品が今日でも鮮明な色彩を保っている。
イタリアルネサンス早期のジョットからフラ・アンジェリコ、ボッティチェリ
などがテンペラによる作品を残している。レオナルド・ダ・ヴィンチも
『最後の晩餐』で使用したが、壁画には不向きな技法であり、耐久性を
高めるための技術的試みも失敗して作品の劣化を早める結果となった。
油彩画の出現以来テンペラ画は絵画技術の表舞台から退いていたが
20世紀に入ると油彩との併用による混合技法を試みるパウル・クレーや
カンディンスキーのような画家が現れる。アンドリュー・ワイエスの描いた
純然たるテンペラ技法の作品により、テンペラは絵画技術としてさらに注目を
集めるようになった。
それが昨年の展覧会で、彼がテンペラの使い手だと知り、またその作品の
重厚な素晴らしさの虜になったんですが、人の心や感覚は、そのときの場所や
気持ちで変化するものなのですね。
今回はテンペラではなく、ドライブラッシュ(ドライブラシ技法)の作品に
心惹かれる結果となったのでした。
ドライブラッシュとは
ドライブラシ技法は、筆に最小限の水しか含ませず、紙の上に絵の具を
かすらせるように置いていきます。筆に含んだ水分と絵の具の量や筆圧などの
関係で表情にはかなりの幅が出せます。
適度な表情を理想通りに出せるようになるには経験以外にありません。
アンドリューワイエスはこの技法に長けた作家で、多くの名作を残しています。
ワイエスはまずデッサンをして、水彩で描き、ココで完成とすることもあるし
もう少し重厚にしたいときはドライウォッシュで、さらに深みを持たせたいときは
テンペラで、と技法を絵の対象によって使い分けていたようです。
今回はそうした同じ絵・同じ構図を違った技法のものを並べて比べることができ
なるほどと思う部分の多い展覧会でした。恐れ多いですが、勉強になります。
なんと言っても、ワイエスのすごさにさらにさらに驚愕したのは
以前にも、彼が故郷からほとんど出たことがないことは知っていましたが
彼は15歳のときと21歳のときから、気に入った農家の建物を、それぞれに
30年以上にも渡って描き続けて来たと言うことです。
15歳の少年!普通ならギターや女の子に夢中になるような世代です。
それが、一件の農家に心惹かれ、そこの若夫婦(と言ってもアンドリュー少年
よりは随分と年上です)であるカール夫妻と友達になって、それから
彼らが老夫婦となるまで描き続けるのです。
1939年(21歳)に、ワイエスはのちの妻となるベッツィに連れられて、彼女の
友人を紹介されます。それが彼の名を一躍有名にした《クリスティーナの世界》
のモデルとなったクリスティーナとその弟のアルヴァロとの出会いでした。
1868年に74歳で亡くなっているクリスティーナも弟も、そのときすでに40歳を
超えていました。20歳の年の差を超えて友人になれる、そんなベッツィだから
アンドリューと心惹かれ合ったのかもしれません。それともそういった風土が
彼らの住む土地にはあるのかもしれませんが、それにしてもそれから彼は
30年もの永きに渡って彼らとその家「オルソン・ハウス」を描き続けるのです。
そんな風な一見「地味な」モノに激しい愛着や情熱を注ぎ続けることのできる
原動力は一体なんなのでしょう。
彼の父もまた画家でしたが、父N.C.の専門は挿絵で、邸宅には絵のモデルとなった
重厚な衣装や調度品にあふれていました。
無垢で素朴で「朽ち果てて行くもの」に魅力を感じるアンドリューに、父は
「そんなものを描くな」と注意したのだそうです。そんな父に反発を感じていた
若き日の彼の自我の色濃く現れた自画像も今回の見物です。ちなみにイケメンです。
彼にとっては、何もかもが刺激なのだそうです。
いわゆる刺激的なものではなく、田舎でひっそりと朽ち果ててゆくものにこそ
描くことへの激しい気持ちを駆り立てる刺激の元になり得るということ。
そんな彼が、91歳になった最近、ハーレーダビッドソンを描いたそうです。
いくつになっても新境地の開拓を恐れない。素晴らしいことです。
彼は、孫娘からのインタビューにこう答えています。
「思い立ったらすぐに描くと言うこと。91歳と言う年齢を言い訳にしないこと」
ドキッとしました。まだ40前なのに、年齢を言い訳にしていてはいけません。
「絵にはルールなどない」
この言葉にも、ハッとしました。
そんな彼だからこそ、誰もが忘れていた画法=テンペラを掘り起こすことが
できたのかもしれません。
クリスティーナの死後、彼は若い女性と出会い、彼女をモデルに描きます。
ワイエスの裸婦像を見たのは初めてのような気がしますが
カール夫妻やオルソン姉弟が亡くなり、初めてワイエスは本格的な
裸婦像に取り組んだのだそうです。父から教育を受け、正式な学校教育は
受けていないワイエスですが、見事な裸婦像です。
もちろん裸婦像以外の人物像の細かな描写には脱帽ですし、ただの岩なのに
何でココまでと言うくらい描き込まれたものには言葉も失います。
松ぼっくりと松の木を描いた絵の見事さ、その果てしない根気のいる作業に
唖然とするのに近かった私たち。地面に生い茂る草の一本一本に、きちんと
影が描かれていて、全体としても木の影になっているのです。なんて説明じゃ
伝わらないだろうなぁ。すごすぎました。
彼の長い長い画業と、その間にとにかく多く描かれたこと。
それだけは確かなのだから、彼に近づくには「描く」しかないのだなぁと
本当に恐れ多いことを思いつつ、帰路についたのでした。