昨夜は朝4時まで眠れなかった。
いろんなことがもう無理かと思われたが
朝になったら状況は全く違ったものになっていて、いろいろ円満な方向へ。
やっと日本語が通じるようになった。
ずっと待っていた絵とイベントのオーディションの結果が2つ届いて、へこんだ。
ただ、もうひとつの一番大きなのは、まだ続行で
しかも、今のところ上位に食い込んでるらしいので、かなり気分が上がる。
オットが世界を目指すと言い出した。
不安もあるけれど、自分はできる、大丈夫だと自分に言い聞かせてると聞き
もう二度と、自分はだめだなんて言わないと誓う。
頑張るぞ。
2011/10/12/晴「優先順位なんてくそくらえ」
やりたい事や、やらなくてはいけない事に、優先順位をつけるのって難しいね。
自分自身のキャリアとかブランディングとか
長いスパンで考えたときに必要なことと
とりあえず、定期的な収入に結び付くためのことと
とにかく自分が一番今やりたいことは何かということと
せっかく名古屋に来たのだから、名古屋に根をおろしてどう広げてゆくか
それと同時に、名古屋とか東京とか関係なく、海外やどこででも
通用するようになるにはどうしたらよいか
そして、どう仕事を展開して、どう生活して行くのが自分にとって一番幸せなのか
悩んだ時は街へ出て、いろんなものを見ていると
何だか答えが見えてきた気がしました。
そんな数日間でした。
→ カメラマンI氏からのコメント。
I氏「世界を極めるには、和を極めろ・・・と言われました。」
ひよこ「ありがとうございます!和を極めろ、ですか。
それでは「着物でお帽子」の方向性は悪くないのかな?と嬉しくなりました。
着物や和のものは大好きなので、もっといろいろ極めていくと
何か見えてくるかもしれませんね。一見無関係のようでいても。」
I氏「日本人がR&B歌っても、所詮はジェロとかインド人のチャダの扱いですよね。
ハリウッドで渡辺謙さんがスターになれたのも「サムライ」を極めたからで
蜷川さんがイギリスで認められたのもシェイクスピアを歌舞伎の演出で観せたからです。」
■ ■ ■ ■ ■
母がマンションに人からもらったチケットで刺しゅう展を見に行った。
素晴らしかった。
刺繍そのものもすごかったが、歴史上の女性のイメージでしたてられた着物は
見ているだけで楽しかった。
最初にお寿司を食べ、展示を見て、いろいろ買い込んで帰ってきた。
充実した一日。
帰りにネコを数匹見て写真を撮ったり。ポカポカと暖かく、幸せな気分の一日。
こういう日が永遠に続くといいなぁと思う。
2011/10/13/曇りのち雨「原点に帰る」
母娘で制作した「能登への思い」
昨日見に行った草乃しずかさんの日本刺繍展。
どの作品も素晴らしかったが、私が一番心ひかれたのは
しずかさん(65歳)のお母様・三星静子さんの古裂コラージュとの
コラボレーション。
なんと御年96歳!!いったい何者なのだろう?と調べてみたら・・・
* * * * *
「古い布を切り張りして人物や静物を描く
「古裂(こぎれ)コラージュ作家」三星静子さん(96)。
40年前から趣味で始めたが、プロとしては2005年にデビューしたばかり。
「まだまだ目は達者。これからも、たくさんつくりたい」と創作意欲に燃えている。
作品のモチーフは人物や花、海の生き物など身近なもの。
素材は洋服や着物、カーテンなど様々な使い古した布を使っている。
生地の模様を生かしつつ、おおらかで色鮮やかな作品を数多く生み出す。
布にはさみを入れる時、下絵を描くことはない。
頭の中に形が浮かび、それに従ってはさみを動かすだけだという。
子ども4人を育てた。おしゃれ心はあったが、自分の服は後回し。
着られなくなった子どもの服は必ずとっておいた。
その布を使い、自分の服に変化を付けて楽しんだ。
コラージュを始めたのは50代半ば。絵を家の中に飾ろうと思ったが
値が張って手を出しにくい。
だったら自分で作ってしまおうと考えた。
作業するのは夕方から翌未明にかけて。
1987年に夫が亡くなり、以来一人暮らし。
「コラージュに没頭し、孤独を忘れるんです」。
17年前に当時53歳の次男を病気で亡くした時も
創作が心の癒やしになったという。
作家デビューの陰には、長女で絹糸を使った日本刺繍の第一人者
草乃しずかさんとのコラボレーションがあった。
草乃さんは6年前、「源氏物語」をテーマに大作に取り組んでいて壁に突き当たった。
「刺繍作家になったのは、母親の手仕事を見て育ったから。原点に戻ってみよう」
と、一緒に一つの作品を作り始めた。
小さくまとめていく自分に対し、大胆な構図の母親。答えが分かった気がした。
草乃さんの個展にその共同作品を展示したのがきっかけとなり
静子さんも05年に初の個展を開催。
91歳の新人コラージュ作家が誕生した。
「作品に自分の悲しみやつらさをぶつけてきた」という静子さん。
「年齢を感じさせない、激しく華やかな作品を作りたい」
3年後には次の個展を開くつもりだ。
* * * * *
素晴らしい。涙が出そうになりました。
56歳で始めたことで、91歳でデビューできるなら、何だってできるような気がします。
大切なことは、点々々と続けていくことと、そして長生きすることかな。
今日もいろいろと調べものをしたり、ベレーの裏をちくちく縫ったり。
オットはちょっと「戻り」があったし、私も母も体調があまりよくなくて、3人ともちょっと低空飛行。
まぁそんな日もあるさ。明日までに体調なおさなくちゃ。
2011/10/15/雨「お疲れな一日」
さすがに、昨日は強行軍だったせいか、疲れきってへとへとだった一日。
それでも、日々充実しているのを感じる。
こんな感じで、点々を起こして行って、いつかつながったらよいな。
自分たちばかり愉しんでいてはいけないので
11月の初めに母と一緒に行く大阪行きの手配もした。
クリスマスの城ホールより、よさげなホテルが見つかった。
考えてみればもう一カ月を切っているので、ちっとも早くなんかないのだ。
それから、某大学のイベント、先日は普通に申し込んで難関突破したオットだったが
今回の難関は、自己推薦枠に申し込んだ私だけが通り、彼は外れてしまった。
そんなわけで、何だかしばらくは別行動になりそうだ。
明日は大須に出かけるけど、体調回復するかな?
夜、伊坂幸太郎の「陽気なギャングの日常と襲撃」を読み始めた。
就職しないで生きるには? 30年前にもこんなやつらがいた(2010年7月28日 11時00分)
http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20100728/E1280241761113.html
『就職しないで生きるには』シリーズの著者三人を再訪したインタビューや、いま“自分で仕事を作り、人生を切りひらいてきた人たち”との対話を収めた特集から、いくつか言葉を引用してみよう。
人生は思った通りにはならない。だから、ならないことを楽しむこと。(岩永正敏)
続けてこられたのは素人だったから、最初からすべてを勉強しなきゃいけなかったから。どうすれば理想的な八百屋になれるのか、いつも勉強しなくちゃならなくて、そんなことをやっていたら十年くらいあっという間にたっちゃった。(長本光男)
よくやれたと思うよ、こんなまじめな仕事を。(笑)でも、それは野菜の力だな。毎朝段ボールを開けるとフレッシュな生きている力を感じられてうれしいんだ。(長本光男)
「これをやりたいんだ」というものを持っている人は、どんなに小さなくだらないことでもあきらめずに携わっていれば絶対にうまくいくと思いますよ。だから、あきらめないで!(佐藤いづみ)
他の店がやらないことをやる、というのは「隙間」なんですね、すべての産業の本質は「隙間」だと思っています(遠山健)
僕ら“欲”に対する体質が変わってきていて、いまのスタイルをキープしてプロジェクトを進めていくほうが楽しいんです。無駄な出費をするよりはプロジェクトを進めていきたい。(Gravity Free)
まずやりたいことが先にありきで後からお金がついてくるというスタンスがいいよね。「そんなの理想だ〜!」って言われちゃいそうだけど実際<グリーンラボ>は、その考えで六年間やってきているからさ。(グリーンラボ)
(米光一成)