ターシャ・テューダー展

080325tasha1.jpg松屋銀座で開催されていたターシャ・テューダー展に行ってきました。
すっかり今では、ライフスタイルを紹介される事の多くなったターシャですが、今回の展示の目玉は何より、彼女の絵本の原画が展示されるという事。
というわけで、混んでるのも覚悟で行って参りました。

・・・平日というのにすごい人でした。


ターシャの素晴らしさは、数え上げればきりがないですが、一つだけあげるとしたら、日々感動を忘れないというところでしょうか。

「人生は短いのよ、文句を言ってる暇なんかないわ」
という言葉は肝に銘じたいところです。


      


そして私が好きなのは
「年に一度しか星を見られないとしたら、この世にこんな素晴らしいものがあるかと思う事でしょう」
という言葉です。

想像力と創造力。それが大切。

流れていたVTRもとてもよかったです。

お人形を作ったのも、小さな手紙を毎日書いたのも、子供たちを楽しませようとしたのではなく、自分が楽しんでいた。自分と子供たちだけが楽しんでしまって、夫は置き去りで、かわいそうなことをした、とターシャは言っていました。
(ターシャの希望で田舎に移り住んだものの、夫は音を上げて離婚。ターシャは今ではさらに田舎に住んでいます)

そしておいたち。
乗り物の設計をしていた父親と肖像画家の母親と言う時代の先端を行く家庭。けれど、子供の死と言う出来事が両親の仲を引き裂きます。
二番目の子供(ターシャの兄)が事故死をした結果、もう一人子供をと母が強く望んだ結果、ターシャが生まれました。母親はもともと視力が弱く、もう一人子供を産めば失明すると言われても、それでも生んだのがターシャ。しかし、両親の仲は修復せず離婚。

ターシャは母の友人の家で育ちます。
「それがよかったのよ」
とターシャは言います。とっても良い家庭だったから。そこで読んだシェークスピアなどの文学も自分に大きな影響を与えた。子供は文学に触れるべきだとも言っていました。

展示物に関しては、実際に使っているものも展示されていて、なんだかうれしくなりました。割れたりかけたりした食器も治して使っているのがうれしかった。わたしもそうしようと思いました。

羊の毛を紡いで毛糸にして染めて編んでセーターにして。お気に入りの布は素朴なチェック。エプロンと髪に巻くスカーフほど便利なものはない。

息子のセスが建てた昔風の家に住み、セスの奥さんは、元々教師だったのが、ターシャのすすめで人形作りを始め、今ではアメリカでも有名な人形作家になっているとか。ターシャの周りの人はみんな素敵な影響を受けてるのですね。

冬に使うために、秋の間に1000本(だっけ?)の蜜蝋のろうそくを作るという作業にもびっくり。庭仕事とお料理と絵本と繕い物と・・・・いったいどこにそんな時間が?
わたしはいったい毎日何をしてるんでしょう?


ターシャの庭の花(メモして来たのに、肝心のメモを紛失。覚えている限りで書きます)

ヒメリンゴ
オダマキ
デルフィニウム
シャクヤク
エリゲロン
ライラック

うわっ。これだけ?でもいいや、わたしはターシャの庭の本を持ってるじゃないの。
ターシャの庭の一番の主役はクラブアップル。ヒメリンゴってあったっけ?

そして肝心の原画は、もう素敵でしたっ。コーギーのお話もとってもかわいくて楽しくて。
三部作のうち、最近のものより、最初のものの方が、絵がしっかりとしていますが、それでも未だなお現役で描き続けているというのはすごいことです。使うのは水彩と色鉛筆。パステルは使わないのだそうです。

そして、庭やお料理やお人形(マペット)作りなど、好きな事がこんなにたくさんあって、どれも玄人はだしなのに関わらず、絵を描く事を仕事にした事を全く後悔していない、絵が何より好きだと言うターシャ。

その気持ち、何となくわかる気がします。

そしてわたしも、絵だけじゃなく夢中になれる事が欲しいと思い、いいタイミングである事を知り、この春からそれを始めました。夏にはちょっと成果が出ている事を祈りつつ。

ターシャ人気は決して一過性のブームなんかで終わってほしくない、普通の人には彼女そのままにはなれないけれど、少しだけでも、生活に彼女の「楽しむ知恵」を取り入れる事ができれば、日々は豊かに輝きだすと思うのです。
と言いつつ、都会にしか住めないと公言しているわたしだったりするのですが。

残念だったのは、図録がとってもいまいちで、展示内容に沿っていない事。グッズもいっぱい売っていて、完全に商売にされてしまってる感が残念でした。ターシャの描いた鳥のストラップがあったので、買ってしまいましたが。


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