あらすじより(講談社文庫)
清澄な軽井沢の一隅に、背徳の地下室はあった。そこでは、全ての聖なる秩序は爛れ去り、人間の魂の根底に潜む、不気味な美しさを湛えた悪魔が、甘い囁きを交わすのだ。尊敬する父も、美しい母も、愛する姉も、そして主人公の少年も、そこでは妖しい光を放つ猫となる。だが、この作品での猫とは何か?
これを読んで、何となく、話の内容は想像がついたんだけど、でも、それ以上に、巧みな心理描写に、引きこまれて読んじゃいました。感想には、あらすじは書いていませんが、これから新鮮な気持ちで読みたい方は、読まないほうがいいかも?
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物語は、平和な家庭の一風景から始まる。裕福な医者一家は、せっかくの休日の軽井沢行きを、雨のせいで、あきらめようとするのだが、そこへ、急患の知らせが入る。しぶしぶ職場に向かう医師が、急患の手術を終えた後、少し前からの入院患者である、無口な青年からの、告白として、この物語は語られる。
悲しく、残酷な物語だった。最初のうち、悪として描かれていた者が、本当はそうではなく、生贄の子羊のごとく、弱弱しい者として描かれていた者が、実は悪魔の化身だったと、誰に想像できるだろう?そして、もっとも弱き者である父親の、唯一の最後の望みだった、主人公の「僕」の中にも、流れる悪魔の血は、父を絶望させ、虚無の中、破滅へと向かわせる・・・・
美しい母の言葉は、どこまでが本音だったのだろう。少年を、犯行へと向かわせた「薄汚い男」というのは、愛人への気遣いから出た言葉ではなかったのだろうか。その「薄汚い男」との間に子供ができていたことを、母は気づいていたのだろうか・・・・
途中、迷い猫を探すブルジョワ夫婦と、その迷い猫に付きまとわれる不思議な青年が登場する。そこだけが、ちょっと常軌を逸した場面なのだが、しっくりと、効果的に「猫」というものを暗示するのに、一役買っている。
そして、少年の淡い恋と、相手の少女のどこまでも清らかな様子が、この背徳の物語の中での、一服の清涼剤となっている。彼女を汚さなかった事が、自分にとっての救いであるという事、それは、自らの手を血で染めずには生きる事を許されなかった、あまりに悲しい宿命を背負った主人公の、最後のよりどころなのだ。それを思うと、あまりにも悲しい。