桜の仇討。

ここんとこ、根を詰めすぎたせいか、今朝頭が痛くて、筋が固まったようになってて、とても出かけられるような状態ではなかったのだけど、薬を飲んで、何とか出かけた。行った先は新宿で、東北に住むS夫妻の植物画の作品展であった。二年ごとに開かれるのであるが、気さくな人柄のご夫妻は、二年前にもいろいろお話をしてくださった。今回は特に、なかなか聞けないようなお話も伺えて、実りの多い日であった。

ご夫妻の師事された太田洋愛先生は、「桜の太田」と呼ばれるほど、桜の絵で有名な方だったらしい。その太田先生が発見されて「太田桜」と名づけられた桜は、天然記念物となっている。桜には、葉の根元に蜜腺というのがついてるというのが、植物学的な定説である。ところが、あろうことか「桜の太田」の描いた「太田桜」の絵には蜜腺がひとつも描かれていない。それで太田先生は非難を受け、失意のうちに亡くなられたらしい。

S氏は、まさか先生に限って、と信じて疑わなかったそうだ。そしてまた、その太田桜を移植するという話が出たときに、挿し木をお願いに上がった木の持ち主であるお寺の住職が「天然記念物を切るとは何事か。」とお怒りになられた上、太田先生を画壇が非難していると言うことも非常に不愉快に思ってるという。「それでは、一枝下されば、わたしが先生の正しいことを証明して見せます!」とS氏は頼み込んでほんの一枝だけいただいてきて、その枝についていた葉62枚全部をスケッチしたのだ。すると、なんと必ず蜜腺がついてるものとされていた桜であるのに、その太田桜には、蜜腺のない葉のほうが多かったのである。また、蜜腺のついてない部分は密集していた。だから、太田先生が描かれた部分は、たまたま蜜腺のない部分だったということが考えられるのだ。

こうして見事に師の仇を討ったS氏に住職は「こんないい弟子を持って、太田先生もさぞお喜びだろう」と感動して、桜の移植を許してくださったそうだ。そのうちの一本は、新宿御苑に植えられる。そのS氏はわたしが、これを読んで感動したと話すと、とても喜んでくださって、本当にいろんな話をしてくださった。ほかにもお客様がいらっしゃるのに、わたしばかりでいいのかとたずねると「若者には、僕ら年寄りの話を聴く権利があるんだよ」と言われた。

少し前に話した奥様には「忙しいときには、無理して大きいものを描かなくてもいいんです。絶対にやめないで、細々とでも続けること、それが一番大事です」と言われたのだが、S氏は、もう少し厳しかった。展示してある葉の絵に添えてある「忙しいから描けないのではなく、忙しいからこそ、葉一枚でも描くべきだ」この言葉にどきっとしたわたしであった。そのS氏には「とにかく数描くことは絶対に大事です」と言い切られてしまった。確かに・・・ごもっともです(笑)

でも、太田先生やほかの大家と言われる先生も、素晴らしい作品を遺されたのはやはり60代も後半になってからだと言われ「まだ30年以上あります」と答えると、まだまだこれからですよ、と笑われた。ちなみにS氏は40代になってから始められたそうである。わたしの支持するT先生も始められたのは30代後半。資質もあるとはいえ、20代後半で始められたわたしはやはり幸せなのだろう、と思う。

そのあと上野に別の展覧会に出かけ、さらにまたもや浅草橋に少し買出し・・・でも帰る頃にはすっかり元気になっていたわたしであった。


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