「第十回<郷学>名古屋城の魅力を発見!「天守閣」」

150613IMG_8942.jpg6/14(日)は、午後から「第十回<郷学>名古屋城の魅力を発見!「天守閣」」に行ってきた。すんごく面白かった!
こんなに面白いものが、今までごくごく近所で9回も開催されていたのに、まったく知らなかったのが悔しいくらい。

名古屋城って、姫路城や大阪城はもちろん、江戸城より大きなお城なんですよ。まさに日本一!ってことすら知らなかったんですが、皆様ご存じでしたか?ちなみに、20階建てのマンションより大きいそうで。。。これってわかりやすいたとえなのか?

なぜなら、名古屋城は徳川家康が、西国の諸外様大名(豊臣方)に、大阪城より立派な城を見せて、幕府には向かうことの抑止力として築いた城だったからなんだそうです。その効果は絶大だったそう。

名古屋城は藤堂高虎の築いた城で、先生曰く「名古屋城で一番強い所は城門で、高虎の築いた城門は絶対破られない」とのこと。高虎の考え方はシンプルで、城門を何重にも作るより、絶対突破できない一つを作ればいい」とのこと。確かにその通り!
先生は完全に「高虎派」で、ライバルの加藤清正についてはけちょんけちょんな言いようも面白かったです。加藤清正の城は「しつこく」、代表的なのは熊本城と姫路城。名古屋城は姫路城の1/3で中までたどり着けるんだそうです。
(あくまでも先生が、と言うことで、私の意見ではございません)

あと、石垣作りがどんどんヘタになって行ってる、というのも興味深く、面白かったです。江戸時代の職人さんスゴイ!

悔やまれるは、戦災で燃えてしまわなければ、絶対世界遺産だったのに!ってこと!!!次回がすごく楽しみになってきた!行って良かったです!フガフガ。


              


■名古屋城の日本一
・破風・・・22(世界一)。ちなみに姫路は12。
・窓の数・・・214(北52・南47・東56・西59)。木造で世界最多。江戸の中期以降開けっ放し(木造の窓は開け閉めで傷むため)
・天守面積(江戸城より大きい。姫路城の2倍)
・天守の柱の数・・・名古屋792、江戸770
・小天守の大きさ・・・他の城の大天守級に大きい
・天守の階段の角度は45度で、最も上りやすい階段。他は大体60度くらい。ちなみに上りにくいのは、彦根城(1〜2階が一番急)、丸岡城(角度は二番目だが高さがあるので上りにくい)、犬山城(2〜3階が長い)

■金シャチについて
・織田信長が岐阜城築城で、初めて天守を作った際にインチキ金シャチも作った
・大阪城、岡山城にも金シャチはあるが、名古屋城以外はインチキ金シャチ
・江戸城の金シャチ再建には20億円かかる

■天守について
・織田信長が岐阜城で初めて天守を作った
・天守での仕事・・・毎日巡回(鍵が封印されているかチェック)、一か月に一回掃除
・殿様は入らない。全ての殿様(大名)は江戸で生まれ、初お国入りの際に天守に入ることが許された。太平の世であれば、その後一生入ることはない。
・有事の際に籠城するための場所。普段は空き家で財産目録が置いてあっただけ。
・籠城の際に畳の上で寝られるように、2000畳の畳が敷いてあった。
(加藤清正の築いた城では、この畳を食べられるように、サトイモの茎の中のスポンジ部分を入れていたが、食べてしまうと畳の上で寝られず、疲労がたまった)
・天守の柱の太さ・・・1尺4寸2分(45cm)、1尺2寸2分(36cm)。家庭用の柱は10cm。

■小天守について
・史上最強の小天守。小天守に入るまでに、階段の上で撃たれ、中に入れても、暗闇の中2回曲がらないと出られず、出られても、正面から撃たれる。
・弱い所は、後ろ部分が未完成で大坂夏の陣が始まってしまい、お堀を泳いで侵入した農民によって落城してしまった。


■石垣について
・江戸時代の石垣は石も大きく美しいが、築くのに半年かかってない(当時はヘタするとすぐに家が取り潰しになるので、大名は必死。20の大名が担当)当時の技術がいかにすごいかと言うと、現在、ほんの少し積み直すだけでも、10年か勝ても出来ていないことからも分かる。どんどん石垣を積むのがヘタになってきている
・明治の修理・・・お金ない・雑・技術なし
・大正の石垣(やぐら)・・・絶望的。石が小さい。1/10の石をチマチマ。
・現在・・・お金がない。石はすべて大きさが違うので、現在のテクノロジーでもムリ。1個1ミリずれると、次は2ミリずれる。
・名古屋城が、慶長創建時と比べて、宝暦改修時に、30センチ傾いたのは、加藤清正の作った石垣が歪んだせい。

■瓦について
・杮葺(こけらぶき)→瓦葺き 享保の改革で倹約令が出たため。杮葺きは通常40年程度しか耐久性がないので、その度に葺きなおさなくてはいけないので、耐久性の高い瓦葺きに変わった。
・金属瓦・・・粘土瓦に比べると薄く(金属2ミリ、粘土20ミリ)作成が可能なので、瓦の重量を軽減させるために使われた

■その他
・名古屋城の御大工頭・中井正清は今でいう建築デザイナー。秀吉→家康の大工頭を務め、方広寺大仏殿も彼がデザインした。日本一の建築デザイナー。彼のデザインした名古屋城の屋根は、軒先が天を仰ぐように上に上がっている。これは寺や神社の屋根と同じである。
・名古屋城を実際に建てたのは大工の岡部又右衛門で、熱田神宮の宮大工。安土城天守閣を建てた家に生まれた)
・名古屋城の内堀に水が入ってないのはなぜ?→水が出なかった!
・天守のトイレの数・・・姫路6つ、名古屋0
・鉄より木の方が重い。コンクリートで柱を作る場合は1m以上。36cmの柱を作っても、地震で壊れてしまう。
・松江城は、大阪城を唯一継承した城なので、国宝になって当然。


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