トムズボックス閉店!
2006年にイラストスクールのパレットクラブに通っていたとき
私は今は亡きイラストAコース(※1)を受講していたのだけど
絵本コースに憧れの酒井駒子さんがいらして、喜び勇んで、聴講に行ったのだった。(※2)
酒井さんは少女の様な可愛らしいお方で、一人ではとても講義が出来ないとのことで、
トムズボックスの土井さんが、付き添って講義を行っていた。
初めて会う土井さんは、とても温かい方で、後日私は土井さんの店であり、絵本周辺の方には
あまりにも有名な、吉祥寺のトムズボックスに足を運んだのであった。
で、どこにトムズボックスがあるか分からずに、半泣きになった。
看板はここにあるのに、どうして店がないの?と、
しばらくウロウロウロウロして。
諦めて、カレルチャペックで紅茶を見ていたら、
その奥がトムズボックスだった(笑)
わかりにくいわ!(って、私だけ?(笑))
この写真はその2年後、2008年に酒井駒子さんの原画展を見に来た時のもの。
前年にお世話になったK編集長の作られたPOOKAを抱きしめて。
2007年から絵本の勉強を始めて、あとさき塾のことを知り
それが土井さんの運営する絵本作家を目指す人のためのワークショップで
通うには審査があり、毎年、全国から大勢が応募する狭き門だということも知る。
でまぁ、誰にも言わずにコッソリと、応募したのだった。
まだ東京に住んでいた頃。2010年頃かな?
結果は、その後通っていないことでわかるように、落ちた。
で、落ちた人のためのワークショップがあるというので、恥を忍んで行ったのであった。
中には、厳しいことを言われる人もいて、ドキドキして、来たことを後悔した。
が、私の絵を見て、土井さんは第一声
「あれ?何でこれ落としたんだろう。いい絵なのに。原画送って来てくれたら通ったかも」
応募は原画でもコピーでもどちらでもよいということだったので、私はコピーを送ったのだった。
そっかー。残念。。。
しかし、翌年めげずに、今度はまったく別の作品の原画を送ったら、またまた落ちた。。。
結局落ちるんかいっ
それで、ああ自分は、絵本は無理かもなーと思って、最初に目指したように
普遍的なイラストレーションに立ち戻ることにしたんだけど、そしたらなぜか
子供向けの仕事がどんどん入ってくるようになったんだから不思議だ。→コレとかね。
そして、この秋には私は、ジャンル違いではあるが、晴れてコミックエッセイを出版できることになった。
描いてみて感じたのは、自分には漫画という表現方法が、一番しっくりくるということ。
少なくとも今の私には。
でも、私が漫画を描きはじめたのは2003年のことで、出版を目指し始めたのは2005年。
だから、ここまで来るのに10年以上かかっているということ。
フツーこれだけかかったら諦めるよね、ってくらい長い時間でも、私はあきらめないんだよね。
だから絵本もダメだとは思っていない。
いつか、絵本が出せる日もやってくると思っている。
それには、漫画に費やしたのと同等の時間と努力をかけなきゃ、ってことだろうけどね。
そういえば、あとさき塾の応募締め切りは、確か8月後半だったように思う。
もうここ数年、すっかり失念してご無沙汰している。
そんなわけで、私のことなど土井さんはご存じないし、
関わったとも言えないような関係だけれど、
それでも絵本を目指すものとして、大事な聖地のような場所が失われるのは
やはりとてもとても寂しいのである。
※1:当時は基本のイラストAコースと、女性向けに特化したBコースに分かれていた
※2:パレットクラブは、在籍中は自由に他のクラスの講義も聴講することが出来る