ココにある画像の持ち出しは基本禁止です。

IMG_2630.JPG2013.01.28 Monday ココにある画像の持ち出しは基本禁止です。

赤いのは実際はイラストよりずっとぴっちりしてて、スピードスケートっぽい。
これ着てると、彼から必ず「試合前ですか?」と聞かれる(あほ)

さて、今日も大して人が読んでいないブログをせっせと更新する私。
私は自分の他のブログについては、出来るだけ見て欲しいと思ってるし
そのために結構努力してるんだが、このブログだけは、アクセスアップには
消極的だ。むしろ、そんなに読んで欲しくないとさえ思ってる。
なぜかと言えば、このブログが一番好き勝手書いてるから!
と言いつつ、お仕事用サイトのTOPから堂々とリンク貼ってるんだけどね(ばか)

そんなわけで、今日もバカ話行きます!

我が家では、私は4歳児(40代だから)、オットは3歳児(30代だから)ということになっていて
彼から、あまりに子供っぽい所作を指摘されて
「ひよこ、赤ちゃん?(笑)」
と聞かれると
「幼児!!」
と答えているのだが(完全なアホ夫婦の会話(トオイメ))
ところで、幼児って何歳から何歳までなんだ??といつも疑問に思いつつ、調べてこなかったのだが、今日やっと調べてみた。

幼児 - 児童福祉法第4条および母子保健法第6条の定義では満1歳以上就学前の者。道路交通法第14条の定義では6歳未満の者。
乳児 - 児童福祉法第4条および母子保健法第6条の定義では生後1年未満の者。

そっか、1歳までは「乳児」、そこから6歳までは幼児なのねっ。(てっきり、2〜3歳が幼児なんだと思っていた)
「バブーって言ってるのが乳児か。じゃ、イクラちゃんは??」
素朴な疑問は残るのだった。

このところ、Darknessみたいなサイトをむさぼり読んでいたせいか
「日本はもう終わりだ。外国もどこも恐ろしいことになってる。どこに行き場が無い」
と暗くなっていたのだが、ビジネス系を読んでいるとまた違った視点が見えてくる。
まぁさ、結局マスメディアが伝えたいことは、民衆が得することではなく、スポンサーが得することなので
鵜呑みにはできないわけだけれども、シェールガスでアメリカが再生してくれれば、日本には悪い話ではないよなぁ
なんて思うのだった。その結果のデフレが気になるけれども。

学生の就職人気は銀行なんだそうだ。三菱東京UFJが二年連続でトップなんだって。
10年前にトップだったソニーやトヨタなどのメーカー系は今は全然だめで、そういえばソニーのおしゃれな社食を見て
「いいなーうらやましいなー」と思ったのはいつのことだっけ?そう遠い昔ではないような気もするのだけど。

マスメディアの中では、8位の集英社がTOP。次が14位電通、18位フジテレビ、20位NHK、23位講談社が続く。

IMG_2627.JPG昨日のネタからこんなのを描いてみるが、イマイチなのでボツに。
一度上げたんだけど、見事にいいねもつかないし、軽くへこんで取り下げて
一番上の画像をUP。あっという間に4ついいねがついて(時間帯もあるが)ホッ。

笑いって難しいよねー。
なんて言いつつ、昔ボケてた頃(謎笑)作ったBBSが面白すぎる。
関西人最高。(会話の相手のトコさんは大阪の人)元気してるかなぁ?
アイコンもかわええなぁ。こんなにいろいろ種類あったんだ!
10年前のことなんか、すっかり忘れてるよ。

私の三大GIFアニメ(→今命名)、と言えばこれだな。
  

130128suppin_bot1.jpgあとさ、こういうこと書きたくないけど、こういうの見て
勝手に持って行って、自分のブログのアイコンにしてる人いるけど
それはやっちゃいけないことだからね。
知っててやってる人には、言っても仕方がないけど、知らない人もいるだろうからさ。

もしココにある絵が気に入って、自分のサイトに載せたい場合は、素材としてではなく
コンテンツとしてご紹介下さる場合だけOKです。その場合、リンクは必須です。

なんでこういうことをいきなり書くかと言えば、先日、帽子の友達に聞いた話。
チャットルーム?とか入ると、私のひよこだがねのアイコンの人をよく見かけるんだって。
彼女はてっきり、私が販売してると思ったらしく
「そんなわけない」
と笑ったら、びっくりしてた。
こんな風に、私はまず、自分ではほとんど見つけることはないのだけど、周りが見つけてくれて、教えてくれるのさ。

これなんか個人のじゃないからさらに悪質だよね。
https://twitter.com/suppinnow


先日パレットのサイトを見てたら、水丸先生が、これくらい言えなくちゃ、みたいなこと書いてらしたので
あげてみようと思ったが、無理だった。特にアメリカはもう全然ダメだ。

■日本のイラストレーター50人
安西水丸、和田誠、原田治、上田三根子、宇野亜喜良
スージー甘金、酒井駒子、100%ORANGE、みうらじゅん、大橋歩
坂崎千春、飯野和好、篠崎三朗、スズキコージ、MAYA MAXX
五乙女ケイ子、天明幸子、いわさきちひろ、葉祥明、ラジカル鈴木
荒井良二、原マスミ、堀内誠一、山田詩子、アランジアロンゾ
竹久夢二、水森亜土、田村セツコ、ささめやゆき、安斎肇
おおたうに、大西重成、小池アミイゴ、鈴木英人、タナカカツキ
高田理香、塚本やすし、あずみ虫、あべ弘士、飯田淳
長崎訓子、杉浦さやか、赤勘兵衛、都築潤、天明幸子
長谷川義史、原子高志、ヒロ杉山、福井真一、松尾たいこ

■アメリカのイラストレーター10人
ノーマン・ロックウェル、ターシャ・テューダー

■ヨーロッパのイラストレーター10人
【英国】 ジョン・バーニンガム、アーサー・ラッカム、オーブリー・ビアズリー
     ジョン・テニエル、ケイト・グリーナウェイ
【フランス】 サヴィニャック、ジョルジュ・バルビエ、トミー・ウンゲラー
【オランダ】 ディック・ブルーナ
【チェコ】 アルフォンス・ミュシャ
【フィンランド】 トーベ・ヤンソン


                  


IMG_2651.JPG2013.01.29 Tuesday 一進一退。
年末から年始にかけて、ウナギ昇りだった体重も、東京に行って動きまくったり
夜のお菓子を辞めて、スープを飲む程度にしたりといった、努力の甲斐あって
ちょこっと痩せたかに思われたわたくしめ。

最近まだやばいので、封印してたこのネタを遂に解禁。
しかし、やっぱこのネタは描きにくいっ。
正確には、スカートが脱げなくなるのだけど、この絵だと、脱げるじゃんね!!

12月に描いたこの絵の方が状況は正しいのだが
121211my365_botsu.jpg
何となくエッチな雰囲気がしてしまう気がして、載せられずにいた。うーむ。
あと、いくらなんでも、オットが小さすぎないか?(笑)

毎日書くことが多すぎて、書き損ねているんだけど
おととい(1/27)の夜、オットが尊敬する写真家・森山大道氏の写真集を
繰り返し繰り返し見ては自分を奮い立たせているのを見て、自分もと思い
ボローニャ国際絵本原画展の1996年の図録を見ていた。

1996年と言えば、日本にようやくWindows95がはいってきた年で
Appleが経営の危機だったりした頃だったんじゃなかったかな。
なので、PC使って絵を描くなんて、本当に限られた人だけだった時代だよね。

だから当然、ほぼ手書きの絵がずらっと。それはもう、みんなとんでもなくうまい!
版画の人も多かったんだけど、やっぱり素晴らしいの。
ひとりくらい?マッキントッシュPCって人がいたけどね。

実は昨年11月の四日市のボローニャで感じたのは、フツーに絵を描いてる作品が非常に少ないような
むしろ、コラージュなどの技法を使ってないと入賞できないのでは?くらいに、そうしたモノが目立ってたこと。
コラージュももちろん素敵だけど、やっぱり絵のうまい人が好きな私は、ちょっと、ピンとこなかったなぁ。

IMG_2637.JPGIMG_2639.JPG今日こそは展示代金を振り込まねばっっと、てくてくとお散歩がてら
文房具の問屋さんを見に行く。
最近、黒とか紺の色鉛筆の消費が激しいので、画材というより文房具。
そういえば、鉛筆って、三菱以外にどこが作ってるんだっけ?と思ったら
トンボってあったね!
あと、サインペンと言えば、三菱以外にパイロットとかぺんてるとかあるなーとか
結構いろいろ見てると勉強になる。んで、いろいろ書き比べてみたくなった。

なぜかと言えば
以前は色鉛筆と言えば、色が大事で書き味なんて二の次だったけど
最近になって、書き味こそが一番大事だと、本当に実感するからなのだ。

そいで、激安ショップで郵便局の粗品らしい二色の色鉛筆(一本10円)とか
文房具屋さんでバラ売りのHARDの「こん」(6角形のせいか高くて80円)を
買ったが、これらは堅過ぎてイマイチ。
黒(60円)は色鉛筆の「くろ」らしく、やわらかくていい感じ。
二色のはシリーズのようで、もっと赤の分量が多いのや赤だけのはあるけど
紺だけのはなかった。まぁそうだろうねぇ。


少し前にFBで読んで大泣きしたお話。元サイトはこちらだったのね。この記事以外にも、いろいろ考え深い素敵なブログだった。
◇妻の祈り http://hanayu0413.chesuto.jp/e817476.html

しかも、このお話には後日談まであって、なかなか興味深かった。
「妻の祈り」の転用? http://hanayu0413.chesuto.jp/e926511.html


『MARRIAGE』-妻の祈り-は続きに。


                  


130130ZTntN2J7VNpu6Gjy.jpgIMG_2656.JPG130130_357923295_n.jpg2013.01.30 Wednesday レインボー

ネタを全部暴露しちゃうのもなんだと思うんだけど、書かずにはいられない私w
でもさ、この画材が広まって、どんどん生産してくれれば、ずっと使えるんだもんね。
なんかすごく楽しくなってきた♪♪しばらくこれがブームになるかも、と思うが
飽き性な私なので、もしかしたら、すぐブームは去るかもーーーー。
130130_50132053_n.jpg
楽しさに任せて描いてみた。
んでも、PCの画面で見ると、ナナちゃんの脚の角度とか、テレビ塔のつじつまが
あってないじゃん、とか、根本的なところが気になる。下絵なしだからとはいえ
あかんだろー。まだまだ課題は多いなー。

そんなわけで、古い文房具のはいった引き出しをあさっていたわけですが、レインボーな色鉛筆以外に、またまた紺×朱赤の色鉛筆を発見。
しかも、こっちはトンボじゃないですか。トンボのは朱赤のもあったよ。

なんでこんなのがこんなにあるんだろー?と考えてみたら、元夫は図面を描いていたので、それに使ってたんだな。
(ITO-YAのレインボーは私が買ったモノだけど)ともあれ、これでトンボの描き味も試せるので、楽しみ♪♪♪

たくさん絵を描くようになると、すっごく不思議。
長期的には、時間がすごく足りないような気もしてくるけれど、時間は無限にあるような気もしてくる。

40代、ひたひたと老眼という恐ろしい現実も忍び寄ってくる世代ではあるけれど、80まで生きるなら、まだ人生の半分。
まだまだずっと絵を描きづつけていける。それは何て素晴らしい事なんだろう、と思う。

吉井さんの『18』をヘビロテで聴く。あーしあわせ!!
「血潮」ってイイ曲だわー、と言いつつ、なかなか「HEART」「点描のしくみ」「煩悩コントロール」あたりの新しい曲との聴き分けができず。
ふたりして、「年か?」と言いあう。

ここのところ、iTunesが立ちあがらなくて、オットから「再起動した?」と聞かれる。
そしたら一発で治って(笑)iPhoneの不都合もみんな、わかんないことはオットに聞け!
ずっと私は私のパートナーよりPCやITに強かったので、誰にも頼れなかった。彼は年下だけど、今までで一番頼りになる人だ。

しかし、HPは昔からずっと一人で作っているのだが、私はなぜかそのあたりに疎そうに見えるらしく、ずーーっと(前の結婚生活でも)
「ご主人、すごいですね」
と、なぜかいつも言われるのだ!(誰が作ったとも言ってないのに!!)

今回のも、オットのプロフページ含めて、私が作ったのだ!(えっへん!!w)
そんなわけで、プロフィールに書きくわえてみた。→

風邪をひいたようで、せき込んでちょこっと苦しー。歯茎も痛い。私はNK細胞が弱いのかしらぁ?

慌てて葛根湯を飲むが、葛根湯は、引いたと思ってからじゃ遅いんだよね。
しかも、咳には効かないらしい。と、せっかく調べたので、生薬を絵に描いてみた。
いろいろ初めて知ることが多かった。ナツメなんて読めないよねw
昔は植物画家を目指してて、植物博士と呼ばれていたのだが、最近どんどん植物の名前を忘れて行っていて焦る。


                  


130131syuta.jpg2013.01.31 Thursday 時間との戦い。

ま、シュタッてやる前に、ばれてるんですけどね。
そそくさと歩いて行くからわかるんだって。

昨夜そのまま寝ないで、今朝も市場に出かけた。
たった5日違うだけで、日の長さが違うっ
先日は、5時半に家を出て、かなり撮影できたのに
今日は5時45分になってしまった上に、お腹がすいて途中で腹ごしらえ
(立ち食い)したので、なんだかギリギリに。

それでも、今日は暖かかったので楽でした。夜も買い物に行ったら
汗だくになってしまったほど・・・朝仕込んだカイロのせいだな(笑)

ニット帽にマフラーで完全防寒する彼は、どう見ても中東の○ロ犯。
アル○○ダとかタ○○ンとか。どう違うんだっけ?

相変わらず、モノクロの建物のイラストを進めつつ
フォトレーションの試作をしてみた。FBの評判は良いけど、自分的にはイマイチ。
130131lesson01.jpgそうそう、昨日書き忘れたが、Fさんの声掛けで秋にする予定の宮沢賢治展の
ギャラリーの下見に昨日行って下さったのだが、結局全員一致で
第一希望が決まり、予定の日程を多少ずらしてもそこにしよう、という話に。
青空文庫で宮沢賢治をDLしてみた。結構読みやすい。

ところで、先日の展示の時に、ギャラリーのオーナーさんから
「あんまり丁寧に描き過ぎない方が絵がいい」
と言われて、気を良くして、さらっと描くようにしているのだが
なんか、いい気になってるっぽい気がして、自分ではドキドキなのだ。

どっちにしろ、仕事だと力が入っちゃうからさー
そこで力が入らないように、この力のはいらない絵をいつでも描けるように
技術と精神力を鍛錬し続けなばと思う訳なのだよ。





『MARRIAGE』-妻の祈り-

When I got home that night as my wife served dinner, I held her hand and said, I’ve got something to tell you. She sat down and ate quietly. Again I observed the hurt in her eyes.

仕事から帰宅すると、妻は食事の支度をととのえていた。
僕は彼女の手をにぎり「話があるんだ」と切り出した。
妻は何も言わず席についた。その目は苦痛に満ちていた。


Suddenly I didn’t know how to open my mouth. But I had to let her know what I was thinking. I want a divorce. I raised the topic calmly. She didn’t seem to be annoyed by my words, instead she asked me softly, why?

ふと、僕はどう切り出したらいいのか分からなくなった。
でも言わなければならない。「離婚したいんだ」と。
僕は冷静に、その言葉を口にした。
妻は大したリアクションも見せず、ただ静かに聞き返した。「どうして?」


I avoided her question. This made her angry. She threw away the chopsticks and shouted at me, you are not a man! That night, we didn’t talk to each other. She was weeping. I knew she wanted to find out what had happened to our marriage. But I could hardly give her a satisfactory answer; she had lost my heart to Jane. I didn’t love her anymore. I just pitied her!

その問いに敢えて答えないでいたら、妻はとうとう怒りをあらわにした。
彼女は箸を投げ散らかし叫んだ。「あんたなんか、男じゃない!!」

その夜、その口論のあと
僕らはとうとう一言も言葉を交わさなかった。
妻のすすり泣く声がかすかに聞こえた。
わかっている。どうして僕らがこうなってしまったのか、妻はその理由を知りたがっているのだ。
でも僕は、彼女を納得させられるような説明をとうてい与えられるはずはなかった。
それもそのはず。僕は「ジェーン」という他の女性を愛してしまったのだ。
妻のことは、、、もう愛していなかった。
ただ哀れんでいただけだったのだ!



With a deep sense of guilt, I drafted a divorce agreement which stated that she could own our house, our car, and 30% stake of my company. She glanced at it and then tore it into pieces. The woman who had spent ten years of her life with me had become a stranger. I felt sorry for her wasted time, resources and energy but I could not take back what I had said for I loved Jane so dearly. Finally she cried loudly in front of me, which was what I had expected to see. To me her cry was actually a kind of release. The idea of divorce which had obsessed me for several weeks seemed to be firmer and clearer now.

深い罪悪難に苛まれながら、僕は離婚の「承諾書」を書き上げた。
その中には、家は妻に譲ること、車も妻に譲ること、僕の会社の30%の株も譲渡することを記した。
彼女はそれをチラと見ただけで、ビリビリと破り捨てた。
僕がこの10年という月日を共に過ごした、この女は
僕にとってもはや「見知らぬだれか」に成り下がっていた。
彼女が今まで僕のために浪費した、時間、労力、エネルギーに対しては、、、本当に申し訳ないと思っている。
でも
自分が「ジェーン」を愛しているという気持ちに、これ以上目を背けることは出来なかった。

承諾書を破り捨てたあと、妻はとうとう大声をあげて泣き始めた。
ヘンな言い方だが、僕はその彼女の泣く姿を見て少しホッとしたのだ。
これで離婚は確定だ。
この数週間、呪いのように頭の中につきまとっていた「離婚」という二文字は、
これでとうとう現実化したのだ。



The next day, I came back home very late and found her writing something at the table. I didn’t have supper but went straight to sleep and fell asleep very fast because I was tired after an eventful day with Jane. When I woke up, she was still there at the table writing. I just did not care so I turned over and was asleep again.

その翌日、僕は仕事からかなり遅くに帰宅した。
家に戻ると、妻はテーブルに向かって何かを一生懸命に書いていた。
夕食はまだだったが食欲など到底なく、僕はただベッドに崩れるように倒れ込み寝入ってしまった。
深夜に一度目が覚めたが、その時も妻はまだテーブルで何かを書いているようだった。
僕はもはや大した興味もなく、ふたたび眠りについた。


In the morning she presented her divorce conditions: she didn’t want anything from me, but needed a month’s notice before the divorce. She requested that in that one month we both struggle to live as normal a life as possible. Her reasons were simple: our son had his exams in a month’s time and she didn’t want to disrupt him with our broken marriage.

朝になって、妻は僕に「離婚の条件」とつきつけてきた。
彼女は家も車も株も、何も欲しくないと言った。
でもその代わりに「1ヶ月間の準備期間」が欲しいと言ってきた。
そして彼女の条件は、その1ヶ月のあいだ出来るだけ「今までどおり」の生活をすること。
その理由は明確だった。
僕らの息子が、1ヶ月後にとても大切な試験を控えているため
できるだけ彼を動揺させたくないというのが、彼女の言い分だった。



This was agreeable to me. But she had something more, she asked me to recall how I had carried her into out bridal room on our wedding day. She requested that every day for the month’s duration I carry her out of our bedroom to the front door ever morning. I thought she was going crazy. Just to make our last days together bearable I accepted her odd request.

それに関しては、僕は即座に納得した。
だが、それ以外にもうひとつ妻は条件をつけてきた。
「私たちが結婚した日、あなたが私を抱き上げて寝室に入った日のことを思い出してほしい」と。
そして、これからの一ヶ月のあいだ、あの時と同じようにして
毎朝、彼女が仕事へ行くときに
彼女を腕に抱き上げて 寝室から玄関口まで運んでほしいと言うのだ。

僕は「とうとうおかしくなったな・・・」と思った。
でもこれ以上妻といざこざを起こしたくなかった僕は、黙って彼女の条件を受け入れた。


I told Jane about my wife’s divorce conditions. . She laughed loudly and thought it was absurd. No matter what tricks she applies, she has to face the divorce, she said scornfully.

僕は「ジェーン」にこのことを話した。
ジェーンはお腹を抱えて笑い、「ばかじゃないの」と言った。
今さら何をどうジタバタしたって離婚はまぬがれないのにと
ジェーンは嘲るように笑った。


My wife and I hadn’t had any body contact since my divorce intention was explicitly expressed. So when I carried her out on the first day, we both appeared clumsy. Our son clapped behind us, daddy is holding mommy in his arms. His words brought me a sense of pain. From the bedroom to the sitting room, then to the door, I walked over ten meters with her in my arms. She closed her eyes and said softly; don’t tell our son about the divorce. I nodded, feeling somewhat upset. I put her down outside the door. She went to wait for the bus to work. I drove alone to the office.

僕が「離婚」を切り出して以来
僕ら夫婦はまったくスキンシップをとっていなかった。
なので
彼女を抱き上げて玄関口まで連れていった1日目
僕らは二人ともなんともヘンな感じで、ぎこちなかった。

それでもそんな僕らの後ろを、息子はそれは嬉しそうに手をパチパチ叩いてついてきた。
「ダディーがマミーを抱っこして『いってらっしゃい』するよ!」
その言葉を聞くなり、僕の胸はきりきりと痛んだ。
寝室からリビングへ、そして玄関口へと
僕は妻を腕に抱いたまま10メートルは歩いただろうか。
妻は目を閉じたまま、そっと「どうかあの子には離婚のことは言わないで」と耳元でささやいた。
僕は黙ってうなずいた。でもなぜか、そうしながら
心はひどく動揺していた。

妻をドアの外に静かにおろすと、彼女はそのままいつものバス停へ向かって歩いていった。
僕もいつもどおり車に乗り込み仕事へ向かった。


On the second day, both of us acted much more easily. She leaned on my chest. I could smell the fragrance of her blouse. I realized that I hadn’t looked at this woman carefully for a long time. I realized she was not young any more. There were fine wrinkles on her face, her hair was graying! Our marriage had taken its toll on her. For a minute I wondered what I had done to her.

2日目の朝
初日よりは少しは慣れた感があった。
抱き上げられながら、妻は僕の胸に自然ともたれかかっていた。
僕はふと、彼女のブラウスから薫るほのかな香りに気づいた。
そして思った。
こうして彼女をこんな近くできちんと見たのは、最後いつだっただろうかと。。。

妻がもはや若かりし頃の妻ではないことに、僕は今さらながら驚愕していた。
その顔には細かなシワが刻まれ
髪の毛には、なんと白いものが入り交じっている!
結婚してからの年数が、これだけの変化を彼女に。。。
その一瞬、僕は自問した。「僕は彼女に何てことをしてしまったのだろう」と。


On the fourth day, when I lifted her up, I felt a sense of intimacy returning. This was the woman who had given ten years of her life to me. On the fifth and sixth day, I realized that our sense of intimacy was growing again. I didn’t tell Jane about this. It became easier to carry her as the month slipped by. Perhaps the everyday workout made me stronger.

4日目の朝
彼女を抱き上げたとき、ふと
かつて僕らの間にあった、あの愛情に満ちた「つながり感」が戻ってくるのを感じた。
この人は
この女性は
僕に10年という年月を捧げてくれた人だった。

5日目、そして6日目の朝
その感覚はさらに強くなった。
このことを、僕は「ジェーン」には言わなかった。

日にちが経つにつれ
妻を抱き上げることが日に日にラクになってゆくのを感じた。
なにせ毎朝していることなので、腕の筋力もそりゃ強くなるだろうと
僕は単純にそう考えていた。


She was choosing what to wear one morning. She tried on quite a few dresses but could not find a suitable one. Then she sighed, all my dresses have grown bigger. I suddenly realized that she had grown so thin, that was the reason why I could carry her more easily.

ある朝、妻はその日着てゆく服を選んでいた。
鏡のまえで何着も何着も試着して
それでも体にピッタリくる一着が、なかなか見つからないようだった。
そして彼女は「はあ〜っ」とため息をついた。
「どれもこれも、何だか大きくなっちゃって。。。」

その言葉を耳にして、僕はてハッ!とした。妻はいつの間にやせ細っていたのだ!
妻を抱き上げやすくなったのは、僕の腕力がついたからではなく
彼女が今まで以上に軽くなっていたからだったのだ!

Suddenly it hit me… she had buried so much pain and bitterness in her heart. Subconsciously I reached out and touched her head.

愕然とした。
それほどまで、やせ細ってしまうまで
彼女は痛みと苦痛を胸のなかに。。。

僕は思わず手を伸ばして、妻の髪に触れていた。

Our son came in at the moment and said, Dad, it’s time to carry mom out. To him, seeing his father carrying his mother out had become an essential part of his life. My wife gestured to our son to come closer and hugged him tightly. I turned my face away because I was afraid I might change my mind at this last minute. I then held her in my arms, walking from the bedroom, through the sitting room, to the hallway. Her hand surrounded my neck softly and naturally. I held her body tightly; it was just like our wedding day.

そこに息子がやってきた。
「ダディー、マミーを抱っこして『いってらっしゃい』する時間だよ!」

息子には、父親が母親を毎朝抱き上げるこの光景を目にすることが
すでに大切な日常の一場面となっているようだった。

妻は、そんな息子にむかって「おいで」と優しく手招きしたかと思うと
彼を力いっぱいぎゅっと抱きしめた。
僕は思わず目をそらした。
そうしないと、最後の最後で、気が変わってしまいそうだったからだ!

僕はだまって、いつものように妻を腕に抱き上げ
寝室から、リビング、そして玄関口へと
彼女を運んだ。
妻はただそっと、僕の首に腕を回していた。
そんな彼女を、気づいたら強くグッと抱きしめていた。
そうまるで、結婚したあの日の僕のように。。。

彼女の、それはそれは軽くなった体を腕のなかに感じながら
僕は例えようのない悲しみを覚えていた。

But her much lighter weight made me sad. On the last day, when I held her in my arms I could hardly move a step. Our son had gone to school. I held her tightly and said, I hadn’t noticed that our life lacked intimacy. I drove to office…. jumped out of the car swiftly without locking the door. I was afraid any delay would make me change my mind…I walked upstairs. Jane opened the door and I said to her, Sorry, Jane, I do not want the divorce anymore.


そして最後の朝、

妻を抱き上げたとき
僕は、一歩たりとも歩みを進めることができなかった。
その日息子はすでに学校へ行ってしまっていた。

僕は妻をしっかりと腕に抱き、そして言った。
「今まで気づかなかったよ。僕たちの結婚生活に、こうしてお互いのぬくもりを感じる時間がどれほど欠けていたか・・・」



そして僕はいつもどおり仕事へ向かった。
何かにせき立てられるように、とにかくここで、最後の最後で
自分の決心が揺らいでしまうのが怖くて
それを振り切るかのように、車を停めると鍵もかけずに飛び出し
オフィスのある上の階まで駆け上がっていった。
気が変わってしまう前に、オフィスへ行かなければ。早く「ジェーン」のもとへ!

ドアを開けるとそこに「ジェーン」がいた。
彼女を見た瞬間、
僕は思わず口にしていた。

「ジェーン、すまない。 僕は離婚はできない。」

She looked at me, astonished, and then touched my forehead. Do you have a fever? She said. I moved her hand off my head. Sorry, Jane, I said, I won’t divorce. My marriage life was boring probably because she and I didn’t value the details of our lives, not because we didn’t love each other anymore. Now I realize that since I carried her into my home on our wedding day I am supposed to hold her until death do us apart. Jane seemed to suddenly wake up. She gave me a loud slap and then slammed the door and burst into tears. I walked downstairs and drove away. At the floral shop on the way, I ordered a bouquet of flowers for my wife. The salesgirl asked me what to write on the card. I smiled and wrote, I’ll carry you out every morning until death do us apart.

「ジェーン」は「はあ?」という目で僕を見つめ
そして額に手をあてた。「あなた、熱でもあるの?」

僕はジェーンの手を額からはずし、再度言った。
「すまない、ジェーン。僕は離婚はできないんだ。」

「妻との結婚生活が『退屈』に感じられたのは、彼女を愛していなかったからではなく
僕が毎日の小さな幸せを、他愛のない、だけどかけがえのない小さな日常を
大切にしてこなかったからなんだ。
今頃になって気づいたよ。あの日、あの結婚した日
僕が彼女を腕に抱いて家の中へ初めての一歩を踏み入れたあの日のように
僕は死が二人を分つまで、彼女をしっかり腕に抱いているべきだったんだ!」

「ジェーン」はようやく事の次第を理解したようだった。
そして僕のほっぺたを思いっきりひっぱたくと、扉をバタン!と閉め
ワーッ!と泣き叫びながら飛び出して行った。


僕はそのまま黙って階下に降りた。
見ると、花屋が目にとまった。
僕はそこで、妻のためのブーケをアレンジしてもらった。
店員が「カードには何とお書きになりますか?」と聞いてきた。
僕はふと微笑んで、言った。
「そうだね、こう書いてくれ。」

『毎朝君を腕に抱いて見送るよ。死が二人を分つ、その日まで...』




That evening I arrived home, flowers in my hands, a smile on my face, I run up stairs, only to find my wife in the bed -dead. My wife had been fighting CANCER for months and I was so busy with Jane to even notice. She knew that she would die soon and she wanted to save me from the whatever negative reaction from our son, in case we push through with the divorce.— At least, in the eyes of our son—- I’m a loving husband….

その日の夕方、僕は
妻への花束を抱え、顔に笑顔をたたえて
家についた。

はやる気持ちで階段を駆け上がる!
早く早く!妻のもとへ!


出迎えてくれた妻は

ベッドで冷たくなっていた。。。。


何も知らなかった。
僕は、何も知らなかったのだ。

妻が「ガン」であったことさえも。

ジェーンとの情事にうつつをぬかしていた僕は、
妻が
この数ヶ月必死で病魔と戦っていたことに
気付きさえしなかったのだ!

妻は分かっていたのだ。自分がもうじき死ぬことを。
彼女が出してきた「離婚の条件」は
僕を責めるものではなく、僕を救うためのものだったのだ!
自分亡き後、最愛の息子から
僕が責められることがないように。


毎朝お母さんを抱き上げて優しく見送るお父さん。
そう、そういう僕を毎朝見ていた息子にとって
僕はまぎれもなく
「お母さんに離婚をつきつけたお父さん」ではなく
「お母さんを最後まで愛したお父さん」となったのだ!

The small details of your lives are what really matter in a relationship. It is not the mansion, the car, property, the money in the bank. These create an environment conducive for happiness but cannot give happiness in themselves.

僕はどうしても皆さんにお伝えしたかった。
日々のささやかな幸せ、、、それが人生で何よりも大切であるということを。
幸せは
大きな家、土地、高価な車、または銀行の残高、、、
そんなものの中にあるのではないということを。

So find time to be your spouse’s friend and do those little things for each other that build intimacy. Do have a real happy marriage!

もしも今、あなたの傍らにかけがえのない伴侶がいるのなら
毎日がどんなに忙しくても
どうか、相手が大切だと伝える小さなジェスチャーを
心を通わせる時間を

大切にしていっていただきたいと思います。


  •   このエントリーをはてなブックマークに追加  

<< 着々と〜マイベスト・吉井和哉〜 戻る イラストを軸に回る俺のLife >>